第百二十三話:魂の救済
絶望が支配する絶対零度の玉座。
そこに腰かけた、幼いセレスティーナ様の姿をした「災厄の器」は、私の言葉に初めてその虚無の表情をわずかに揺らした。
『……救う、だと?』
その声はまるで遠い昔に忘れてしまった言葉を、思い出すかのような響きをしていた。
『この娘を苦しみから解放してやると言うのか。お前ごときが』
「ええ。そのために私はここにいるのですから」
私がもう一歩、その玉座へと足を踏み出したその瞬間。
少女の足元から鋭い氷の棘が無数に床を突き破り、私の行く手を阻んだ。
『来るな。お前のその温もりは、この娘をさらに傷つけるだけの毒だ』
だが私はもう怯まなかった。
その氷の檻のさらに奥。玉座のその背後に。
私は見てしまった。
このどこまでも白く凍てついた世界に、たった一つだけ存在する黒い「染み」を。
それはこの絶望の世界に空いた傷口。彼女の本当の心が囚われている牢獄。
(あそこだ……!)
私は氷の棘を避けようともせず、ただまっすぐにその「牢獄」へと向かって走り出した。
鋭い氷の刃が私の頬を、腕を切り裂いていく。だが不思議と痛みは感じなかった。
そしてついにたどり着いた。
その黒い染みはまるで、この絶望の世界に空いた小さな穴のようだった。
私はその記憶の斑にそっと手を伸ばし、その中を覗き込んだ。
そこにいた。
書斎の隅で、父が遺した血塗られた研究記録を前に、たった一人、膝を抱え、声を殺して泣いている、本当のセレスティーナ様が。
「私が生まれてこなければ」とそう何度も何度も呟きながら。
「お嬢様……!」
私は迷わずその記憶の闇の中へと飛び込んだ。
私の声に少女がびくりと肩を震わせ、顔を上げた。
その涙に濡れた月白色の瞳が私を映す。
「……だれ……?」
「お迎えに上がりました」
私はその小さな体の前に静かに膝をついた。
そしてありったけの愛と想いを込めて、その震える体を強く強く抱きしめた。
その瞬間、それまで人形のようだった彼女の瞳に初めて、戸惑いと温かいものに触れた安堵の色が浮かび、その唇からか細い子供らしい嗚咽が漏れた。
「もう大丈夫です。あなたはもう一人ではありません」
そして私は儀式の最後の詠唱を紡いだ。
自らの魂を対価として捧げるための最後の言葉を。
「――我が魂をここに捧げます」
私の魂から温かい光が溢れ出す。
司法試験の分厚い参考書、友人と笑い合った雨の日の喫茶店、そんなありふれた、けれどどうしようもなく愛おしかった日々の輝き。私の前世の記憶。
そしてこの世界であなた様と出会い、恋をした、私の全ての想い。
その一つ一つの愛おしい記憶が、光の奔流となってこの凍てついた世界を優しく溶かしていく。
氷雪が音もなく崩れ落ちていく。
氷の彫像と化した思い出たちが、再びその温かい色を取り戻していく。
私の腕の中で幼いセレスティーナ様の体が、少しずつ光の粒子となって消えていく。
だがその表情はもう泣いてはいなかった。
ただ安らかに、そしてどこか嬉しそうに微笑んでいた。
やがて世界が真っ白な光に包まれる。
私の意識が遠のいていく。
これでいい。
あなた様が救われるのなら。
私のこのちっぽけな想いなど、喜んで。




