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第百二十話:最後の準備

 イザベラ様はゆっくりと振り上げた大戦斧を下ろした。

 その燃えるような真紅の瞳が、私と、そして私の背後で苦しげに呻くセレスティーナ様を、もう一度射抜くように見つめる。


「……よろしいでしょう」

 彼女は静かに、しかし城全体に響き渡るような力強い声で告げた。

「一日だけ、あなたに時間を差し上げますわ。ですが、もしあなたが失敗した時、あるいは逃亡するような素振りを見せた時――その時はわたくしのこの斧が二人まとめて討ちます。よろしいですわね?」

「……はい。感謝いたします」


 私のか細い返事を聞くと、彼女は踵を返し、玉座の間を出ていった。

 そして外に控える、彼女のあまりに屈強な兵士たちに、雷鳴のような声で命令を下すのが聞こえた。

「あなたたち! この城を完全に包囲なさい! 鼠一匹、外には出しませんことよ! これはわたくしたちの新たなトレーニングですわ! 気合を入れなさい!」

「「「ハイル・マッスル!!」」」


 地鳴りのような雄叫び。私はそのあまりにイザベラ様らしいやり方に、乾いた笑いを浮かべるしかなかった。

 彼女は私を信じてくれたのだ。この、あまりに荒唐無稽な計画を。


 その時だった。

 城の高い窓から、ふわりと穏やかな翠の光が差し込んできたのは。

 それは城全体を優しく包み込むような温かい光。

(……シルヴィア様……!)


 遥か王都から、彼女が命を懸けて祈りを届けてくれている。その光がセレスティーナ様の荒れ狂う魔力を、ほんの少しだけ和らげてくれているのが分かった。

 イザベラ様が与えてくれた「時間」。

 シルヴィア様が与えてくれた「猶予」。

 二人の想いを無駄にするわけにはいかない。


 私は再び開かずの書斎へと戻った。

 儀式を始めるための最後の準備。

 捧げるべき対価は決まっている。私の「前世の記憶」と「セレスティーナ様への全ての想い」。

 だがそれらを儀式の「対価」として定義づけるための、物理的な「触媒」が必要だった。


 私は侍女用の粗末な私室から、一冊の古い日記帳を持ってきた。

 この世界に来てから、誰にも見せることなく綴り続けてきた、私の心の全て。

 その最後のページを開く。

 そこには震える文字で、こう記されていた。


『――吹雪の夜の誓い。禁書庫の闇の中で。あなた様が私に見せてくれた本当のあなた。私はあなた様にお仕えできるだけで幸せだった。でも、今は違う。あなたとただ共に生きたいと。そう願ってしまう、この愚かな私を、どうかお許しください』


 私のこのどうしようもない恋心。

 その全てが、この一枚の紙に詰まっている。

 私はそのページをそっと破り取った。

 ビリという乾いた音が静かな書斎に響く。それは私の初恋が終わる音だった。


 私はその一枚の紙を胸に強く抱きしめた。

 涙はもう出なかった。

 さあ、始めましょう。

 私の愛した人を救うための、最後の儀式を。

 第百二十話「最後の準備」、いかがでしたでしょうか。仲間たちの想いを背に、リリアは、儀式を執り行うための、最後の準備を終えました。

 次回、第百二十一話「精神世界へのダイブ」。物語は、ついに、第五章の、クライマックスへと、突入します。どうぞ、お楽しみに。


ご覧いただきありがとうございました。感想や評価、ブックマークで応援いただけますと幸いです。また、世界観を共有する作品もあるので、そちらもご覧いただけるとお楽しみいただけるかと存じます。HTMLリンクも貼ってあります。

次回は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です。

活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話を更新しています。(Xアカウント:@tukimatirefrain)

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