第百十一話:教授への手紙
「私を、殺して」
愛しい人のその悲痛な懇願が、呪いのように私の耳にこびりついて離れない。
私は父君が遺した「開かずの書斎」で、眠るように意識を閉ざしたセレスティーナ様を傍らに、独り絶望的な戦いを続けていた。
目の前には希望の光であるはずの父君の研究記録。
『――魂の等価交換。対価の肩代わりも、可能なのではないか…?』
その一文を私は、もう何百回読み返しただろうか。
だが、そこから先がない。父君の研究は、そのあまりに危険な仮説の扉を叩いたところで途絶えてしまっている。具体的な儀式の方法も、捧げるべき「対価」の正体も何一つ記されてはいない。
(万策、尽きた……)
時間だけが無情に過ぎていく。セレスティーナ様の魂は今この瞬間も、「器」に喰らい尽くされているのだ。
王都の仲間たちに助けを求めるにはあまりに遠い。この城の者たちは忠実だが、この禁忌の領域に足を踏み入れることはできないだろう。
私の思考が完全な手詰まりに陥った、その時だった。
私の脳裏に、あの眠たげな、しかし全てを見透かすような一人の男の顔が浮かんだ。
アルベール・クロイツェル教授。
彼は、何かを知っている。
私は懐から、シルヴィア様が別れ際に、お守りとしてそっと握らせてくれた一つの小さな魔法具を取り出した。
ドルヴァーン家に伝わる精霊通信機。一対の翠玉がはめ込まれた小さな銀の小箱。遠く離れたもう一つの小箱と、一度だけ短い言葉を交わすことができるという貴重な遺物。シルヴィア様はその片割れを王都に残してきたはずだ。
最後の望み。
私は震える手で羊皮紙の切れ端にペンを走らせた。
教授に何を問うべきか。言葉を間違えれば、全てが終わる。
私は意を決して、ただ核心だけを記した。
『儀式の対価とは何か? それを肩代わりする方法はないか?』
その短い問いに私の全ての希望を乗せて。
私は精霊通信機の蓋を開けた。翠玉が淡い光を放ち始める。
羊皮紙をその光にかざすと、文字は光の粒子となって虚空へと吸い込まれていった。
届けと、ただ祈る。
やがて光はふつりと消え、翠玉はただの石へと戻った。
返信があるという保証はない。
だが、今の私にできることはもうこれしかなかった。
私は沈黙に戻った書斎で、ただ静かにその時を待つことしかできなかった。
第百十一話「教授への手紙」、いかがでしたでしょうか。万策尽きたリリアが、最後の望みを託した、一通の手紙。
次回、第百十二話「魂という対価」。謎めいた教授からの返信が、リリアに、新たな、そして、あまりに過酷な、道を示します。どうぞ、お楽しみに。
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