第百八話:父の書斎、最初の仮説
私の無謀な戦いの始まり。
その第一歩は、この冷たくなった女王様の体を安全な場所へとお運びすることだった。
私は彼女の力なく垂れ下がった腕を自分の肩に回し、渾身の力でその体を支え起こす。軽い。まるで魂が抜け落ちてしまったかのように。
生き残った城の者たちが呆然と私たちを迎えた。彼らの瞳に浮かぶのは主君への畏敬と、そして彼女が成り果てた姿への隠しようもない恐怖。
「お嬢様を、暖かい寝室へ……」
老執事の震える声に私はかぶりを振った。
「いえ、書斎へ。……『開かずの書斎』へ、お連れください」
父君が遺した最後の研究室。
そこに全ての始まりと、そしてきっと終わりのための鍵があるはずだ。
私は侍女たちにセレスティーナ様を託すと、一人あの禁忌の知識で満たされた部屋へと駆け込んだ。
(時間がない……!)
セレスティーナ様の魂は今この瞬間も「災厄の器」に喰らい尽くされている。
私は憑かれたように父君が遺した膨大な研究記録の山を片っ端からめくっていった。古代魔術、妖霊術、そして禁忌とされた「律章術」に関するおびただしい数の文献。
前世で司法試験の膨大な資料と格闘した日々が、こんなところで役に立つなんて皮肉なものだ。だが今は感傷に浸っている暇はない。
どれほどの時間が経っただろうか。ロウソクの火が何本も燃え尽きる頃。
私はついに見つけ出した。
父君が最後に研究していたであろう「天鎖の環」……あの自己犠牲の儀式に関する詳細な記述のその片隅に。
インクの色が違う走り書きのような、小さな小さな注釈を。
『――古代の儀式において、捧げられるべき対価は、常に「魂」の総量によって、計測される。生命そのものではなく、魂を構成する、根源的な要素。すなわち、記憶、感情、あるいは、その魂が、世界と結んだ、絆の数……。理論上、同等か、それ以上の「魂の価値」を持つ別の存在が、その対価を肩代わりすることも、可能なのではないか……?』
魂の等価交換。
対価の肩代わり。
その言葉がまるで暗闇に差し込んだ一筋の光のように私の疲弊しきった脳を貫いた。
(これだ……!)
それはあまりに荒唐無稽で希望的観測に過ぎない一つの仮説。
だが今の私にとっては世界で唯一の希望だった。
セレスティーナ様が失ってしまったその「魂」の対価を。
この私が肩代わりする。
私はその禁断の記述が記されたページを強く強く握りしめた。
私の本当の戦いがここから始まる。
この絶望的な仮説を確かな現実に変えるための戦いが。
第百八話「父の書斎、最初の仮説」、いかがでしたでしょうか。絶望の底で、リリアは、あまりに危険な、しかし、唯一の希望を見出しました。
次回、第百九話「王都の激震」。物語の舞台は、一時、王都へと移ります。残された仲間たちの、反撃の狼煙が上がります。どうぞ、お楽しみに。
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