第百七話:『止めて』ではなく、『救う』ために
世界から音が消えた。
天を突いた白銀の光が収まった後、そこに広がっていたのは絶対零度の静寂だった。
ライネスティア家の軍勢も律章復興派の狂信者たちもその存在の痕跡すら残さず、ただ清浄な白銀の雪原が広がるばかり。まるで最初から何もなかったかのように。
戦いは終わった。
一方的な虐殺によって。
その静寂の中心にセレスティーナ様は佇んでいた。
いや、もはやそれは私が愛した「彼女」ではなかった。
銀髪は輝きを失い、まるで灰をかぶったかのようにくすんだ色へと変わり果て、その瞳から全ての光が失われている。ただその小さな体から周囲のマナを無差別に奪い続けるおぞましい力が陽炎のように立ち上っているだけ。
「災厄の器」。
父君の日記に記されていた、世界の理そのものから切り離された孤独な破壊の権化。
私の手には彼女が最後に私に託した一本の短剣がずしりと重い。
その冷たい感触が彼女の最後の命令を私の魂に、繰り返し、繰り返し響かせる。
『――あなたの手で、私を、止めて』
そうだ。
私はこの人を殺さなければならない。
この世界を、そして彼女自身の魂の安寧を守るために。
それが私に与えられた唯一にして絶対の使命。
それが私の「推し活」の本当の結末。
私はゆっくりと短剣を握りしめた。
一歩、また一歩とその空っぽの器へと近づいていく。
雪を踏みしめる自分の足音だけがやけに大きくこの静寂の世界に響いた。
あと十歩。
あと五歩。
彼女のその虚ろな瞳が私を捉える。
何の感情も宿っていない。ただそこに「在る」だけの美しい人形。
私は彼女の目の前に立った。
そして短剣を振り上げる。
この心臓を一突きにすれば全てが終わる。
この長くて苦しい茶番劇が。
だが。
私の腕は震え、動かなかった。
脳裏に蘇る。
自己犠牲の儀式を前に私の涙を見て、彼女が最後に下した本当の選択。
「あなたを置いて死ぬくらいなら、私は、この呪われた運命と共に、生き延びてみせる」と、そう誓ったあの気高い女王の顔が。
「……できません……」
私の唇からか細い嗚咽が漏れた。
「私には……あなた様を、殺すことなど……!」
運命など知らない。
使命など知ったことか。
私はただこの人を失いたくない。
そのたった一つの愚かでどうしようもない感情が私の全てだった。
私は短剣を雪原に投げ捨てた。
そして代わりに、その冷たくなった空っぽの器を、ありったけの力で抱きしめた。
彼女を「破壊」する運命に私は今叛逆する。
「止める」のではない。私はあなた様を「救う」のだ。
「お嬢様……! セレスティーナ様……!」
私の本当の聖戦が今ここから始まる。
この呪われた運命に抗うための。
この世界でたった一人の愛しい人を救い出すための、あまりに無謀で孤独な戦いが。
第五章、開幕。第百七話「『止めて』ではなく、『救う』ために」、いかがでしたでしょうか。絶望的な状況の中、リリアが下した、最初の「叛逆」。
次回、第百八話「父の書斎、最初の仮説」。リリアは、セレスティーナを救うための、僅かな希望を探し始めます。どうぞ、お楽しみに。
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