第百六話:氷霜の心臓【side:セレスティーナ】
世界が、白に染まっていく。
私の、意識が、薄れていく。
魂核の奥底から、堰を切ったように溢れ出してくる、この、絶対零度の力が、私の、人間としての、全ての感覚を塗りつぶしていく。
城壁を叩く風の音も、兵士たちの怒号も、今はもう、水底から聞くように遠い。
寒い。痛い。悲しい。
そんな、当たり前の感情すら、絶対的な虚無の中に、溶けていく。
ああ、これなのか。
父上が、恐れていたものは。
父が、その父が、我がヴァイスハルト家が、代々、その手を汚してまで、王国の闇に葬り去ってきた宿命の、本当の姿は。
なんと、皮肉なことでしょう。百五十年前、ライネスティア家に生まれた同胞を屠った我らが、今度は、自らが断頭台に上るだなんて。
薄れゆく、思考の中、私は、思い出す。
幼い日、この書斎で、父の大きな手が、私の小さな手を包み、一緒にペンを走らせてくれた、あの温もりを。
白氷城に帰った日、私を「お嬢様」と呼び、駆け寄ってきてくれた、領民の、あの、温かい笑顔を。
そして、最後に。
リリア、あなたのことだけを。
初めて、書斎で、出会った日。
あの時のあなたの瞳を、忘れない。誰もが私の銀髪を恐れ、あるいは憐れむ中で、あなただけが、ただ真っ直ぐに、私という人間を見ていた。その、愚かなほどに献身的で、強い光を宿した瞳が、私の凍てついていた世界に、初めて、色を与えてくれた。
吹雪の山小屋で、私の冷たい手を、あなたの、その温かい手で、握りしめてくれた、あの夜。
禁書庫の闇の中で、「生まれてきてくれて、ありがとう」と、私の存在そのものを、肯定してくれた、あの瞬間。あなたの涙で濡れた頬、必死に言葉を紡ぐ唇、その全てが、私の、宝物。
この力は、あなたを守るための、最後の剣。
そして、あなたを、最も、深く、傷つける、最悪の刃。
ああ、リリア。
私の、たった一人の、愚かで、そして、何よりも、愛おしいあなた。
あなたの、その、少し癖のある髪が風に揺れる様を、もう一度、見たかった。
あなたが、私のために淹れてくれる、あの、少しだけ風変わりな薬草茶を、もう一度、飲みたかった。
どうか、この過ちを、この罪を、あなたの手で――。
世界が、完全に、白く、染まる。
私の、心臓が、氷の霜で、覆われていく。
もう、何も、感じない。
何も、聞こえない。
ただ、最後に、あなたの、温かい手の、感触だけが、私の魂に、焼き付いていた。
その、最後の、温もりすら、絶対零度の力が、無慈悲に、消し去っていく。
そして、世界は、白く、染まった。




