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【23000pv感謝】元衛兵は旅に出る〜衛兵だったけど解雇されたので気ままに旅に出たいと思います〜  作者: 水縒あわし
最新章

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西の果ての港と、旅の記録



 海賊の襲撃という一幕こそあったものの、それ以降の航海は、拍子抜けするほど平穏だった。


 俺は『海燕丸』の甲板で、潮風に吹かれながら、遠い水平線に目を細める。



 あの日、圧倒的な武力で海賊を追い払った噂が広まったのか、あるいは単なる偶然か。



 時折、遠くに不審な船影が見えることはあったが、こちらの旗印を確認するや否や、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていくばかりだった。



「結局、剣を抜いたのはあの一回きりだったな」


 舵輪を握るガイル船長が、隣で可笑しそうに肩を揺らす。



「まったくだ。腕が鈍っちまうよ」


 近くでロープを巻いていた古株の船員が、ニカッと笑って口を挟む。



「普通なら、もっと質の悪い連中に絡まれる航路なんだがなぁ……やっぱりアレだ、ロウェナ嬢ちゃんのおかげだ!」


「違げぇねえ! あの子は風も呼ぶし、敵も追っ払う。最高のマスコットだぜ!」


 船員たちは口々にロウェナを称賛し、マストの下でリュートを爪弾く彼女に温かい視線を送る。



 ロウェナは自分の名前が出たことに気づき、照れくさそうに、しかし誇らしげにへへと笑った。



 その隣では、クリスが「ロウェナちゃんは凄いですから!」と、まるで自分のことのように鼻を高くしている。



 やがて、見張り員の声が響き渡る。



「港が見えたぞォ! ヴァンデルだ!」


 水平線の彼方に、黒々とした陸影が迫ってくる。



 近づくにつれ、その全貌が明らかになる。


巨大な石造りの防波堤、空へと伸びる無骨な鉄の煙突、そしてそこから吐き出される白煙。



 リューベックの木のぬくもりとは対極にある、鉄と石と、油の匂いがする産業の街。



 西の大陸の玄関口、『ヴァンデル』だ。


 入港の準備で船内が慌ただしくなる前に、俺たちは世話になった仲間たちと、最後の挨拶を交わした。



 厨房では、クリスが師と仰いだコックのガンツと向き合っていた。



「ガンツさん……長い間、本当にありがとうございました。あなたに教わったこと、一生忘れません!」


 感極まって目を潤ませるクリスに、ガンツはいつものようにぶっきらぼうに鼻を鳴らす。



「フン、大袈裟な奴だ。……ほらよ」


 ガンツは懐から、小さな包みを取り出してクリスに投げ渡した。



 中には、使い込まれた砥石が入っていた。



「西の大陸に行っても、包丁の手入れは怠るなよ。道具を大事にできねえ奴は、いい飯も作れねえからな」


「は、はいっ!」


 クリスは砥石を胸に抱きしめ、深く頭を下げた。



 甲板では、ロウェナが船員たちに囲まれている。



「嬢ちゃん、元気でな!」


「また歌いに来いよ!」


 彼らは代わる代わるロウェナの頭を撫で、手慰みに彫った木彫りのイルカや、珍しい色の小石なんかを、彼女のポケットに詰め込んでいく。



 ロウェナはポケットをパンパンに膨らませながら、一人一人に「ありがとう」と笑顔で応えていた。



 そして俺は、ガイル船長と固い握手を交わしていた。



「あんたたちのおかげで、いい航海だったよ。カレドヴルフまでは長い陸路だ、気をつけてな」


「ああ。船長も達者で」


「おうよ。もし帰りの足が必要になったら、またウチを探しな。歓迎するぜ」


 ドォン、と鈍い音がして、船体が岸壁に横付けされる。



 タラップが下ろされ、俺たちはヴァンデルの大地へと足を踏み出した。



 鼻をつくのは、石炭の煤けた匂いと、金属が擦れ合う音。



 リューベックとは違う、重厚で煤けた空気感が、ここが異国の地であることを告げている。



 俺たちは一度だけ振り返った。



 積荷の搬出で慌ただしく動き回る『海燕丸』の船員たちが、手を休めてこちらに大きく手を振ってくれている。



 長い時間を共にした「家」を離れる一抹の寂しさと、新たな旅への期待。



 俺たちは大きく手を振り返すと、前を向き、雑踏の中へと歩き出した。



 その夜、俺たちは港の近くにある、船員向けの宿をとった。



 石造りの頑丈な宿は、飾り気はないが質実剛健で、長旅の疲れを癒やすには十分だった。



 久しぶりの揺れないベッド。



 クリスとロウェナは、別れの興奮と新しい街への緊張が解けたのか、夕食を済ませると早々に深い眠りに落ちていた。



 部屋には、二人の穏やかな寝息だけが響いている。



 俺は窓辺の椅子に腰掛け、月明かりの下で一服した。



 ふと、背囊の奥にしまい込んでいたものを思い出す。



「……そういえば、しばらく書いてなかったな」



 俺は荷物の中から、アポン川の宿場町で買った防水加工の革袋を取り出した。



 中から出てきたのは、少し湿気を帯びた革張りの手帳だ。



 インク壺とペンを用意し、ページをめくる。



 最後に書かれた文字は、リューベックの「歌う洞窟」へ向かう前のもので止まっていた。



 あれから、あまりにも多くのことがありすぎた。



 俺はペン先にインクをつけ、空白のページに記憶を落とし込んでいく。



 ――リューベックの洞窟にて。


人魚との邂逅。



 詳細は伏せつつ、あの夜の神秘的な体験と、ロウェナたちが手に入れた虹色の巻貝のことを記す。



 ――港を襲った長い凪。


ロウェナの歌声が風を呼び、俺たちは『海燕丸』に乗ることになった。



 ――クリスの酷い船酔いと、ロウェナの順応の速さ。



 ――海賊の襲撃。


船上での立ち回りは、衛兵時代の経験が活きた。



 ――船員たちとの日々。


クリスの料理、ロウェナの歌、そして俺の木剣での稽古。



 ペンを走らせるたびに、潮風の匂いや、船員たちの笑い声が鮮やかに蘇る。



 そして、最後に。



 ――西の大陸、港町ヴァンデルに到着。



 俺はそこでペンを止め、小さく息を吐いた。



 これで、空白は埋まった。



 次の行に、明日の予定を書き加える。



『明日は、カレドヴルフへの道を探す』



 手帳を閉じ、革袋にしまう。



 窓の外を見上げると、異国の月が、リューベックで見た時と同じように、静かに俺たちを照らしていた。



 旅は続く。



 まだ見ぬ「鍛冶の街」を目指して。



 俺は椅子から立ち上がり、音を立てないようにベッドへと潜り込んだ。



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