元衛兵の本領
三階の踊り場に、やはり奴らが姿を現した。
一体は、先ほど俺が仕留めた奴と同程度。
そしてもう一体は、偵察時に確認した、一回り大きいリーダー格。
その手には、巨体に釣り合う、肉断ち包丁を巨大化させたような無骨な鉈が握られている。
衛兵時代の教練を思い出す。
ホブゴブリン。
ゴブリンの上位種であり、特殊な能力こそないが、その巨躯から繰り出す膂力と頑健さはオーガすら凌ぐ。
こういう相手と集団で戦う際の定石は決まっていた。
まず、屈強な者たちが大盾を並べて分厚い壁を作り、奴の攻撃を完全に防ぎ止める。
その盾の隙間から、長い槍で足を狙って動きを封じ、遠距離からは弓で牽制する。
そして、奴が大振りになった一瞬の隙を、手練れの剣士が突いて仕留める。
それが、磐石の戦法。
(だが、ここに大盾も槍も、援護の弓兵もいない。いるのは俺一人……となれば、やることは一つだ)
正面からの打ち合いは自殺行為。
搦め手で崩すしかない。
俺は愛刀を構え直し、静かに息を吐いた。
小さい方のホブゴブリンが、獣のような咆哮を上げて棍棒を振りかぶる。
だが、リーダー格の巨体は動かなかった。
そいつは周囲を見渡し、ちらりと上階――灯室へと続く階段に視線を送ると、何かを躊躇うように、苦悩するかのように唸り声を上げた。
(……やはり、上を気にしているのか)
侵入者である俺を排除したい。
だが、持ち場である最上階への道から離れたくない。
その葛藤が見て取れた。
やがて、リーダーは決断したらしい。
俺に向かってではなく、隣にいた仲間の方へ向き直ると、その巨体をおもむろに蹴り飛ばしたのだ。
「なっ……!?」
味方を弾丸のように利用する、原始的すぎる攻撃。
俺は咄嗟に身を翻し、螺旋階段を駆け下りる。
巨礫と化したホブゴブリンは、俺が先ほどまでいた場所の壁を突き破り、窓ガラスを粉砕しながら、断末魔の叫びと共に眼下の岩場へと消えていった。
俺はそのまま二階の広間まで退避する。
好都合だ。これで、一対一の状況を作り出せる。
リーダー格のホブゴブリンは、邪魔者を片付けたことに満足したのか、巨大な鉈を手に、地響きを立てながら俺を追って階段を降りてきた。
二階で、俺は奴と対峙する。
奴が振り下ろす鉈は、それ自体が暴風のようだった。
俺は攻撃をひたすら避け続ける。
直撃はもちろん、掠っただけで腕の一本は持っていかれるだろう。
鉈が床を叩き、壁を抉るたびに、砕けた石の破片が散弾のように飛んでくる。
それを避けながら、反撃の機会を窺う。
動きは単調で読みやすい。
俺は奴の攻撃を避けながら、腰のポーチに手を伸ばし、市場で買った油差しをそっと抜き取った。
ホブゴブリンが、大きく振りかぶる。最大の好機。
俺は鉈が振り下ろされるその瞬間、奴の足元めがけて油差しを滑り込ませるように投げつけた。
陶器が砕け、油が床に広がる。
それに気づくことなく、ホブゴブリンは渾身の力で鉈を振り下ろし、自らの足で油を踏みつけた。
「グルゥッ!?」
巨体が、バランスを失う。
つるりと足が滑り、奴の体は前のめりに大きく傾いた。
振り下ろした鉈は狙いを外し、床を砕いてあらぬ方向へ跳ね返る。
がら空きになった、無防備な巨体。
俺はその一瞬を見逃さなかった。
床を蹴り、滑るように奴の懐へ。
「――終わりだ」
俺の愛刀が、ホブゴブリンの太い首を、深々と貫いていた。
ホブゴブリンは、何が起きたのか分からないといった顔で、自らの喉から突き出た刃を見下ろし、そして、ゆっくりと崩れ落ちた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
ホブゴブリンの亡骸が転がる広間、俺は壁に背を預け、静かに息を整えていた。
大立ち回りを演じたが、幸い傷らしい傷はない。
(仲間を犠牲にし、ただ力任せに暴れるだけの存在……)
これが、ホブゴブリン。
だが、そんな単純な暴力の化身が、この上の階にいる“何か”に怯えていた。
一体、何がいるというんだ。
俺は懐から革のケースを取り出し、そこから一本、既に巻かれたタバコを引き抜いた。
火口箱で火をつけ、紫煙を深く、深く吸い込む。
煙が、肺腑に染み渡っていく。
揺らめく煙の向こうに、灯室へと続く、最後の螺旋階段が見えていた。




