灯台の見取り図と、暴君の巣
灯台の一階部分にクリスとロウェナを呼び寄せた俺は、まず内部の安全を確保しつつ、何か手がかりがないかを探った。
隅に打ち捨てられていた古い木箱は、そのほとんどが腐って崩れていたが、一つだけ状態の良いものがあった。
蓋をこじ開けると、黴臭い空気と共に、丸められた羊皮紙が転がり出てくる。
「……これは」
慎重に広げてみると、それはこの灯台の見取り図だった。
俺は松明の光でそれを照らし、二人に声をかける。
「これを見ろ。構造は単純だ。螺旋階段が一本通ってるだけ。ここが一階、俺たちが今いる場所だ。そして二階、三階、四階と続く。最上階が、昔、灯りを点していた灯室だ」
俺は図を指しながら続ける。
「ハーピーの様子からして、奴らの巣はこの灯室だろう。そして、それを乗っ取ったボスがいるのもそこだ。下の階層にいるゴブリンは、ただの番犬代わりに過ぎん」
作戦は変わらない。
「階層を一つずつ潰していく。俺が先行し、クリスは弓で後方支援。ロウェナはクリスの背後から離れるな」
改めてそう伝え、俺たちは薄暗い螺旋階段へと足を踏み入れた。
階段を登り始めると、すぐに異様な光景が目に飛び込んできた。
段差のあちこちに、食い散らかされた家畜の骨や、無残に引き裂かれたゴブリンの死骸が転がっている。
濃密な血の匂いが、鼻腔を刺す。
二階の踊り場が見えてきた。
バリケードのようなものはなく、数体のゴブリンが瓦礫の陰に潜み、武器を構えているだけだ。
「来るぞ!」
俺は愛刀を抜き放ち、階段を駆け上がる。
ゴブリンたちを掃討し終えると、灯台の中に束の間の静寂が訪れた。
静かすぎるほどの、静寂が。
「……妙だな」
「何がです、師匠?」
「静かすぎる。下の騒ぎに、上の連中が気づかんはずがない」
俺の言葉を裏付けるように、三階の方から、ゴブリンたちの慌てふためくような甲高い叫び声が響き渡ってきた。
どうやら、階下の番犬たちが静かになったことで、ようやく侵入者の存在に気づき、混乱しているらしい。
俺はまず、クリスの背後に隠れていたロウェナの元へ歩み寄り、その小さな肩に手を置き、屈んで視線を合わせる。
「大丈夫か、ロウェナ。怖かっただろう」
彼女の頬に飛んだらしい、黒い返り血の染みを指でそっと拭ってやる。
ロウェナは小さな顔をこくこくと縦に振り、俺の外套の裾をぎゅっと握りしめた。
その時、矢を回収していたクリスが声を上げた。
「師匠……! こちらを見てください。誰か、ここに住んでいたようです」
踊り場の片隅には、丸められた毛布、小さな鍋、食べかけで干からびた魚など、誰かが最近まで生活していた痕跡が僅かに残されていた。
俺はその無人の寝床と、上階へと点々と続く血痕を見て、静かに答える。
「ああ。“住んでいた”、過去形だがな」
三階へ続く階段は、これまでの比ではないほどの惨状だった。
階段の途中で、俺は足を止めた。
そこに転がっていたのは、ゴブリンではない。
みすぼらしい服を着た、人間の男の亡骸だった。
二階に住んでいたと思われる人物の、無残な姿。
「ロウェナ、こっちを見るな。クリスの背中に隠れていろ」
俺は即座にロウェナの前に立ち、その視界を遮る。
クリスも俺の意図を察し、ロウェナの小さな体をそっと自分の後ろへと導いた。
子供に見せるには、あまりに惨い光景だった。
三階のゴブリンを難なく倒し、四階へと続く階段に差し掛かった時、俺は足を止めた。
上から聞こえるのは、ゴブリンの甲高い声ではない。
低く、地を這うような唸り声。
そして、骨を噛み砕く、不快な音。
「……お前たちはここで待て。ここから先は、俺一人で行く」
「しかし、師匠!」
「いいから待ってろ。気配を探るだけだ」
俺はそう言い残し、音を殺して一人、四階へと続く最後の階段を登った。
踊り場にたどり着き、壁の陰からそっと中の様子を窺う。
そこにいたのは、三体のホブゴブリンだった。
ゴブリンとは比較にならない巨体と、凶悪な顔つき。
そのうちの一匹は、さらに一回り大きく、明らかに群れの主の風格を漂わせている。
だが、俺の目を引いたのは、その巨体ではなかった。
三体のホブゴブリンは、踊り場の中心に陣取ってはいるものの、その視線は常に、さらに上――灯室へと続く最後の階段に向けられていた。
その目には、支配者の傲慢さではなく、恐怖と警戒の色が浮かんでいる。
まるで、上の階にいる”何か”を、必死に監視しているかのように。
(……こいつらが、ボスじゃないのか?)
受付嬢の言葉が脳裏をよぎる。
“正体不明の影”
ハーピーの異常な行動。
そして、眼前のホブゴブリンたちの不可解な様子。
全てのピースが、一つの悍ましい可能性を示していた。
俺は音もなくその場を離れ、二人が待つ三階へと引き返した。
「師匠! ご無事で……」
「話は後だ。撤退するぞ」
俺のただならぬ気配に、クリスは言葉を呑んだ。
一階まで一息に下り、灯台の外に出ると、俺はすぐさまクリスに向き直った。
「クリス、ロウェナを連れてすぐに街へ戻れ」
「えっ……師匠はどうされるのですか!?」
「俺はここに残る。奴らの注意を惹きつけておく」
俺は早口で、しかし冷静に指示を出す。
「四階にはホブゴブリンが数匹いた。並のゴブリンとは訳が違う。だが、奴らだけなら何とかなる」
「……問題は、そのホブゴブリンどもが、灯室にいる”何か”をひどく警戒していることだ。未知の敵を相手に、お前たち二人を護りながらでは、勝てる保証がない。だが、俺一人なら……やりようは、ある」
「そ、そんな……」
「だから、ギルドに伝えろ。この灯台にはホブゴブリン以上の化け物がいる可能性が高い、と。これはもう、俺たちの手には負えん。分かったな? これは命令だ」
俺の真剣な眼差しに、クリスは自らの役割の重要さを理解したようだった。
彼は固く唇を結び、力強く頷く。
「……必ず、伝えます」
「頼んだぞ」
クリスはロウェナの手を固く握ると、俺に一度だけ深く頭を下げ、街へと続く道を駆け出そうとした。
その時、ロウェナがクリスの手を振りほどき、俺の元へ駆け寄ってきた。
「えど」
俺が屈むと、ロウェナは小さな両手で俺の顔を包み込むように支え、そのおでこに、自分の小さな唇をちゅ、と押し当てた。
そして、俺の目をじっと見つめて、不安げに問いかけた。
「……また、街で、あえるよね?」
その問いかけと、おでこに残る温かい感触に、俺は一瞬、言葉を失う。
やがて、こみ上げてくる何かを抑えるように、静かに、しかし強く頷いた。
「ああ。約束だ」
ロウェナは満足そうに微笑むと、今度こそクリスの元へ戻り、その小さな手を繋いだ。
俺は二人の後ろ姿が小さくなるのを見届けると、再び灯台へと向き直る。
さて、応援が来るまで、どうやって時間を稼ぐか。
俺は愛刀の柄を握り直し、静かに口の端を吊り上げた。




