古き灯台への潜入
依頼の準備のため、俺たちは再びリューベックの市場を訪れた。
活気ある人混みを抜け、武具や道具を扱う店が並ぶ一角へ向かう。
「いいか、よく見ておけ」
店先で矢を選びながら、俺はクリスとロウェナに説明を始めた。
「ハーピーは空を飛ぶ。つまり、矢を外せばそれきりだ。多めに用意しておく必要がある。クリス、お前の分もだ」
「はい、師匠」
「それから、この油。これは松明の火を長持ちさせるためのもんだ。灯台の中は暗いだろうからな。暗闇で視界がなくなるのが、一番危ない」
俺はそこで言葉を切り、クリスの目を見て続けた。
「だがな、クリス。道具に頼るだけじゃダメだ。例えば、ゴブリン相手で一番重要なのは立ち回りだ。奴らは弱い分、必ず群れで襲ってくる。絶対に複数を同時に相手にするな。そして、常に背後を警戒しろ。後ろを取られるのが一番まずい。……もっとも、背中を安心して任せられる相棒がいれば、話は別だがな」
俺の言葉に、クリスは一瞬きょとんとした後、満面の笑みを浮かべた。
「それなら安心ですね。僕の背後には、誰よりも頼りになる師匠がいますから」
その真っ直ぐな信頼のこもった言葉に、俺は一瞬たじろぐ。
照れ隠しに、わざとぶっきらぼうに返した。
「……減らず口を叩けるようになったじゃないか。油断して背中から斬られるなよ」
宿に戻り、いざ出発という時になって、ロウェナが自分のリュートを背負おうとした。
俺はそれを手で制する。
「ロウェナ。そいつは置いていけ」
「……でも」
「せっかく手に入れた宝物なんだ。戦闘に巻き込まれて、傷つけたり壊したりしちゃ面白くないだろ?」
俺がそういうと、ロウェナは少し考えた後、納得したように頷いた。
そして、部屋の隅のベッドにリュートをそっと置くと、「おるすばん、よろしくね」と小さな声で言い聞かせていた。
リューベックの城門を出て、俺たちは海沿いの崖の上に続く道を進む。
活気ある街の喧騒はすぐに遠ざかり、吹き付ける潮風とカモメの鳴き声だけが響く、荒涼とした風景が広がっていた。
やがて、崖の先端に古びた石造りの灯台が、まるで巨大な墓標のように姿を現した。
「あの灯台は、このリューベックの街ができるよりもっと昔、ここにあった小さな港町で使われていたものだそうです」
クリスが、街で得た知識を語る。
「リューベックができてからは役目を終え、今はこうして放置されているとか……」
廃墟と化した灯台。
その歴史を知ると、潮風に混じって聞こえてくる風切り音が、まるで過去からの嘆きのように感じられた。
灯台に近づくにつれ、上空を飛ぶハーピーの姿がはっきりと見えてくる。
だが、その様子はどこかおかしい。
優雅に空を旋回しているのではない。
何かを警戒するかのように、あるいは何かから逃げるように、落ち着きなく、慌ただしく灯台の周りを飛び回っている。
「……妙だな」
俺の呟きに、クリスも眉をひそめた。
灯台のふもとに到着し、身を隠せる岩陰を見つけると、俺は二人に告げた。
「お前たちはここで待て。俺が中の様子を探ってくる。安全を確認したら合図を送るから、それまで何があっても動くな」
「はい、師匠!」
クリスの返事を確認し、俺は単独で灯台への潜入を開始した。
半ば朽ちた扉を抜け、内部に侵入する。黴と獣の腐臭が鼻をついた。
中はがらんとした吹き抜けになっており、壁際に沿って上階へと続く螺旋階段があるだけだ。
特に部屋のようなものはない。
入り口から少し離れた階段の陰で、二匹のゴブリンが見張りをしている。
俺は音もなく外套の内側から投げナイフを抜き放つと、一匹の喉元めがけて正確に投擲した。
ゴブリンは声も上げられずに崩れ落ちる。
もう一匹が異変に気づいた瞬間には、俺は既にその背後に回り込んでいた。
脳裏に、遠い昔の記憶が蘇る。
『いいか、エド。斥候の基本はかくれんぼだ。どうすれば森の木に、道の影に溶け込めるか。どうすれば相手に気づかれずに背中を取れるか。遊びだと思うなよ、これができなきゃ冒険者にはなれねえんだ』
厳しくも、どこか楽しげだった男との訓練の記憶。
俺は小刀を抜き、残ったゴブリンを音もなく無力化した。
その後も、一階部分を巡回していた数体のゴブリンを、物音一つ立てずに掃討していく。
一階の安全を確保し、螺旋階段の麓で例の大きな足跡と、より一層強くなった腐臭を改めて確認する。
(……本命は上か)
俺は灯台の入り口近くまで戻ると、唇をすぼめ、鳥の鳴き真似を小さく二度、響かせた。
しばらくして、クリスがロウェナの手を固く引きながら、慎重に壊れた扉から中へと入ってきた。
そして、内部の静けさと、物言わぬ骸となって転がるゴブリンたちの姿を見て、師の技術に改めて戦慄する。
「よし、ここを拠点にする。ここからが本番だ」
俺はそう告げると、薄暗い螺旋階段の奥を睨みつけた。




