港町の洗礼と、約束の食卓
三人は、巨大なリューベックの城門をくぐった。
その瞬間、これまでに旅してきたどの街や宿場とも違う、圧倒的な活気と喧騒が、まるで物理的な力を持った波のように全身を打ち付けた。
空気を満たすのは、しょっぱい潮の香りに混じる、水揚げされたばかりの魚の生臭さ、燻製を作るための煙、そして船体を補修するタールの匂い。
耳には、カモメの甲高い鳴き声、様々な国の言葉で交わされる船乗りたちの怒号にも似た談笑、そして港から響く出航を告げる大きな汽笛や鐘の音が、途切れることなく流れ込んでくる。
五感から流れ込んでくる膨大な情報に、クリスは呆然と立ち尽くし、ロウェナは驚きで目を丸くして、俺の外套の裾を固く握りしめた。
長い旅路を物語るように、俺たちの外套やブーツは土埃と泥で汚れ、やや色褪せている。
その旅慣れた、しかし疲労の滲む姿は、活気ある港町の華やかな賑わいの中で、少しだけ浮いて見えた。
俺は「長い旅の褒美だ」と宣言し、これまでの道中での宿探しとは違い、港の目抜き通りに面した、ひときわ大きく立派な宿屋の扉を開いた。
幸運にも、宿には最後の空き部屋が一つだけ残っていた。
それは大きなベッドが二つ備え付けられた、広々とした部屋だった。
三人はようやく腰を落ち着ける場所を確保し、安堵のため息をつく。
部屋に案内してくれた若い女給は、三人の汚れた姿に気づき、親しみを込めた笑顔で助言した。
「お客様、お長旅でお疲れでしょう。この先の通りに、街で一番と評判の浴場がございますよ。旅の汗を流すには、あそこが一番でございます」
女給が部屋を出ていくと、クリスは部屋の様子と俺たちを交互に見比べ、申し訳なさそうに切り出した。
「師匠、素晴らしい部屋ですが……その、ベッドが二つしか。俺は床で休みますので、師匠とロウェナちゃんでお使いください」
クリスが恭しく頭を下げようとした、その時だった。
部屋の中を探検していたロウェナが、ぱたぱたと駆け寄ってきた。
彼女はまず、窓際にあるベッドを指差す。
「こっち、くりす!」
そして、もう片方の大きなベッドを指差すと、自分の胸と俺を交互に指差して、にっと笑った。
「こっちが、えどと、わたし! いっしょ!」
そのあまりにも無邪気な采配に、クリスは言葉を失う。
俺はそんな彼の肩に、ぽんと手を置いた。
「ロウェナの言う通りだ。それに、お前の気遣いは分かる。だが、ここまで寝食を共にしてきたんだ。今更だろう」
俺の言葉に、クリスは顔を赤くして俯いた。
女給の勧めに従い、三人は早速、評判の浴場へと向かう。
湯気が立ち上る清潔な空間に、長旅で凝り固まった体がじんわりと解けていくのを感じた。
俺が「ロウェナ、一人で女湯に入れるか?」と尋ねると、ロウェナは見知らぬ場所が不安なのか、小さな首をふるふると横に振って、俺の外套を固く握りしめた。
俺は仕方なく追加料金を払って、家族用の個室風呂を借りる。
そして、悪戯っぽくクリスに「お前も一緒に入るか?」と尋ねると、クリスは「滅相もございません!」と顔を真っ赤にして慌て、一人で男湯の方へと駆け込んでいった。
二人きりになった個室風呂で、俺はロウェナの背中を流してやりながら、ふと気づく。
黒葉の森で初めて出会った時の、あばらが浮くほど痩せ細っていた少女の面影は、もうどこにもない。
旅を続けながらも、毎食欠かさずしっかり食べてきたおかげで、その体には子供らしい健やかな肉付きが戻りつつあった。
俺の胸に、温かい感謝の念が込み上げてくる。
(よく、食べてくれるようになった……)
そして、同時に、彼女が経験してきたであろう飢えや苦しみを思い、心の中で強く誓う。
(この子が、二度とひもじい思いをすることは、俺が絶対にさせない)
湯船に満ちる温かい湯気の中で、それは誰にも聞こえない、俺だけの固い誓いだった。
入浴後、さっぱりとした体で、三人は少し早めの夕食のために食堂を探し始めた。
目抜き通りの店はどこも混雑しており、喧騒を避けて脇道に入った先で、一軒の年季の入った「鴎の休み処」という名の、静かでこぢんまりとした食堂を見つける。
食堂を一人で切り盛りしていたのは、皺の深い顔に鋭いが温かい眼差しを宿した老婆だった。
彼女は三人の姿を見ると、「おやまあ、長い旅だったんだろう。さっぱりはしたが、その顔にはまだ疲れが残っておるよ」と静かに迎え入れてくれた。
老婆はお茶を淹れながら、三人に港町ならではのルールを教えた。
「この街には冒険者ギルドもあるが、船乗りたちを束ねる『水夫ギルド』ってのがあってね。連中の間の揉め事には首を突っ込まないのが一番さ。それと、夜の黒桟橋には近づくんじゃないよ。訳ありの連中が集まるからね」
注文を終えてしばらくすると、長かった旅の目的であった「海の幸」が、約束を果たすかのように次々と運ばれてくる。
皮はパリッと香ばしく、身は驚くほどふっくらとした巨大な魚の炭火焼き。
エビやカニ、貝が丸ごと入った、香辛料の香りが食欲をそそる豪快なポトフ。
そして、三人が初めて目にする、薄く引かれ、真珠のように艶めく魚の刺身。
クリスが恐る恐る口に運び、その上品な甘みに目を見開く横で、ロウェナは一切れの刺身を頬張り、「あまい!」と満面の笑みを浮かべた。
初めて食べる海の幸の圧倒的な美味しさに、二人は夢中で食事を進める。
その幸せそうな顔を眺めながら、俺は静かにエールを口に運んだ。
港町までの旅が、最高の形で報われた瞬間だった。




