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【23000pv感謝】元衛兵は旅に出る〜衛兵だったけど解雇されたので気ままに旅に出たいと思います〜  作者: 水縒あわし
最新章

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歌紡ぎのレイと湿地の夜



 翌朝、丘の上で目を覚ました俺たちを迎えたのは、昨日までの濃霧が嘘のような、どこまでも澄み渡った青空だった。


湿地の空気は朝露に洗われ、草いきれの匂いがひときわ強く感じられる。



 焚き火で残りの魚を炙りながら、三人は昨夜の不思議な出来事について話していた。



「一体、何者だったのでしょうか。我々を助けて、何の得があるというのか……」


 クリスは、まだ納得しきれない様子で首を捻る。


彼の生真面目な頭では、見返りを求めない善意というものが、にわかには信じがたいらしかった。



「きれいな、うただったね」


 ロウェナは、昨夜の旋律を思い出すように、うっとりと呟いた。


彼女にとっては、理由などどうでもよく、ただその美しい響きだけが心に残っている。



「さあな。だが、借りを作ったのは確かだ。いつかどこかで、別の誰かに返せばいい」


 俺はそう言って話を締めくくると、出発の準備を促した。



 丘を下り、俺たちは再び湿地帯の中へと足を踏み入れる。


陽が高くなるにつれて、夜の間に丘の麓に沈んでいた霧が、再びゆっくりと立ち上り始めていた。


昨日ほどの濃さではないが、それでも視界は白く煙り、数歩先の人影がおぼろげに霞む。



 三人が慎重にぬかるみを避けながら進んでいた、その時だった。



 霧の向こうから、また、あの歌声が聞こえてきた。



 昨夜の物悲しい旋律ではない。


今日のは、朝の光のように明るく、軽快なリズムを刻む旅の歌だ。


だが、その声は紛れもなく、昨夜の主のものだった。


しかも、昨夜よりもずっと近くで響いている。



「この歌声……昨夜の! 近くにいます!」


 クリスは即座に剣の柄に手をかけ、周囲を鋭く警戒する。


対照的に、ロウェナの顔はぱっと輝き、声がする方へと期待に満ちた眼差しを向けた。



 俺は、二人を制するように静かに手を上げた。


歌声は、ゆっくりと、しかし確実に、こちらへ近づいてきている。



 やがて、揺らめく霧の中に、一つの人影がぼんやりと浮かび上がった。



 最初はただのシルエットだったが、近づくにつれて、その姿が鮮明になっていく。


歳はクリスより少し上といったところか。


旅慣れた様子の軽装に、手には使い込まれたリュートを持ち、その指はリュートの弦を軽やかに爪弾き、歌声に心地よい音色を添えていた。



 青年は、俺たちの存在に気づいているのかいないのか、目を閉じて気持ちよさそうに歌いながら、こちらへ歩いてくる。



 俺たちの目の前でぴたりと足を止めると、青年は歌の最後の一節を朗々と歌い上げた。


澄んだ声の余韻が、霧の立ち込める湿地に静かに溶けていく。



 そして、彼はゆっくりと目を開けると、俺たち三人の顔を順に見回し、まるで旧知の友人にでも会ったかのように、人懐っこい笑みを浮かべた。



「やあ、おはよう。昨夜はよく眠れたかい?」


 その屈託のない声に、クリスは剣にかけた手のやり場を失い、呆然と立ち尽くすしかなかった。



「俺はレイ。見ての通り、しがない吟遊詩人さ。様々な土地を旅して、見聞きした物語を歌にしたり、こうして絵を描いたりして、どうにか糊口を凌いでいる」


 レイと名乗った青年は、悪戯っぽく片目をつむる。



「昨夜は驚かせてしまったかな。だが、この辺りでは昔から、霧で道に迷った旅人を見かけたら、歌で安全な場所まで案内するのが、旅人同士の暗黙の習わしなのさ」



 彼は「ちょうど良かった。この湿地の霧や、珍しい鳥の声を題材にした新しい歌を作りたくてね。しばらく、この辺りをうろついていたんだ」と、この地に滞在している理由を語った。



 意気投合した俺たちは、その日はレイと行動を共にすることにした。



 昼過ぎの休憩中、レイがリュートの手入れをしていると、クリスが興味深そうにその手元を覗き込んだ。


クリスは簡単な鍵盤楽器を習った心得はあったが、リュートのような弦楽器に触れるのは初めてだった。



「弾いてみるかい?」


 レイに勧められ、クリスはおずおずとリュートを受け取る。


心得があるため姿勢は良いが、弦の押さえ方に苦戦し、ぽろん、と間の抜けた音を立てては首を傾げていた。



 その様子をじっと見ていたロウェナが、不意に「わたしも!」と手を挙げた。



「おや、お嬢ちゃんもかい? いいとも」


 レイは子供の遊びのつもりで、小さなロウェナに簡単な和音の押さえ方を教えてやる。


しかし、ロウェナがその小さな指で弦を弾いた瞬間、その場にいた誰もが耳を疑った。



 驚くほど澄んだ、正しい音階が、湿地の空気に柔らかく響き渡ったのだ。



「……すごいじゃないか!」


 レイは目を丸くして、心から感心したように言った。



「初めて触ったとは思えないな。筋がいい。もしかしたら、君は歌や音と、とても仲良しなのかもしれないね」


 夜、四人は一つの焚き火を囲んでいた。



 レイはリュートを手に取ると、今日の出来事から着想を得たという即興の歌を、優しい音色と共に口ずさみ始めた。



 それは、無口だが誰より強く、仲間を守る剣士と、その背中を追いかける真面目な弟子、そして、太陽のように明るく、歌の女神に愛された小さな少女が、まだ見ぬ海を目指して旅をするという内容の、温かいバラードだった。



 自分たちの旅が、一つの物語として歌になる。


 その不思議な体験に、三人は静かな感動を覚えていた。


クリスは誇らしげに胸を張り、ロウェナはうっとりと聞き惚れ、俺はただ黙って、揺れる炎の向こうにいる吟遊詩人の姿を見つめていた。



 一夜限りの出会いを惜しむかのように、湿地の夜は、リュートの優しい音色と共に、静かに更けていった。



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