草原の食卓と、三つの役割
ヴァイデの街を後にしてから、俺たちの旅は穏やかな日常に溶け込んでいった。
どこまでも続く広大な草原を貫く一本の街道。
遮るもののない空の下、草の匂いを運ぶ風が絶えず吹き抜けていく。
俺たちの旅には、すっかり決まった役割分担と、心地よいリズムが生まれていた。
先頭を歩くのは、常に俺だ。
長年の経験で培った勘で周囲の気配を探り、遠くの地形や雲の流れを読んで、その日の進路と野営地を判断する。
最後尾は、弟子であり、一行の荷物を率先して背負うクリス。
彼は俺の背中を見ながら、歩き方一つ、剣の佩き方一つも見逃すまいと真剣な眼差しを向けている。
そして、その真ん中を、ロウェナが楽しそうに歩いていた。
時折、珍しい形の石や可憐な野花を見つけては、短い言葉で俺たちに報告する。
彼女のその小さな発見が、単調になりがちな旅路に彩りを添えていた。
その日の昼下がり、俺は街道から少し外れた、小川が流れ込む窪地を指差した。
「よし、今日はあの辺りで少し長めに休憩しよう。風も避けられる。クリス、食事の準備を始めてくれ」
「はい、師匠!」
「ロウェナは薪拾いを頼む。あまり遠くへは行くなよ」
「はーい!」
二人が元気よく返事をすると、俺は付け加えた。
「俺は少し、今晩のおかずを調達してくる。火の準備ができたら、剣の素振りでもして待ってろ」
俺はそう言うと、腰の投げナイフを数本抜き取り、近くの小高い丘の向こうへと姿を消した。
残された二人は、もうすっかり手慣れたものだった。
クリスが背囊から手斧を取り出して薪を割り始めると、ロウェナも自分の小さな背囊から火口と火打ち石を取り出し、しゃがみこんで火起こしの準備を始める。
やがて、パチパチと心地よい音を立てて火が熾ると、クリスは剣を抜いた。
だが、それは以前のような、がむしゃらに型を繰り返すだけの稽古ではない。
目を閉じ、深く息を吸い込む。
風の音、遠くで鳴く鳥の声、草が擦れる微かな音。
エドに教わった通り、周囲の気配を全身で感じ取り、その流れに溶け込むように、滑らかに剣を振るう。
一つ一つの動きに、明確な目的と意識が込められていた。
その様子をしばらく眺めていたロウェナは、薪の準備が一段落すると、今度は小さな革袋を手に、野営地の周りを歩き始めた。
「これは……えどが、おしえてくれたやつ」
俺に教わった知識を頼りに、食べられる野草や木の実を探しているのだ。
その小さな背中は、自分もこの旅の一員として役に立ちたいという、健気な意志に満ちていた。
一時間ほどして、俺が肩に大きな草原鳥を担いで戻ってくると、そこには完璧に準備された野営地が出来上がっていた。
「師匠! お帰りなさい!」
「えど、みて! これ、つかえる?」
ロウェナが誇らしげに差し出してきた布の上には、色とりどりの木の実と、数種類の香草が並べられている。
俺は無言で頷き、それが最高の褒め言葉だと知っている二人は、嬉しそうに顔をほころばせた。
ここから先は、食事当番であるクリスの独壇場だ。
「よし、今日は腕によりをかけて作りますよ!」
彼は俺が仕留めた鳥を受け取ると、まだ少しぎこちない手つきながらも、手際よく解体を始めた。
分からないところは俺が黙って手本を見せ、彼はそれを真剣な眼差しで盗み見て、自分の技術にしていく。
鳥の骨と干し肉で丁寧に出汁を取り、俺が近くで掘り出してきた野生の根菜を煮込む。
頃合いを見て、ロウェナが見つけた香草を加え、最後に鳥の肉を投入した。
「焦がすなよ。弱火でじっくりだ。それが味を引き出すコツだ」
俺の助言に、クリスは真剣な顔で頷き、火加減を慎重に調整する。
やがて、焚き火の鍋からは、これまでとは全く違う、食欲をそそる豊かな香りが立ち上り始めた。
出来上がったポトフは、澄んだ黄金色のスープの中で、ほろりと崩れるほど柔らかく煮込まれた肉と野菜が湯気を立てていた。
三人は無言で、自分たちの手で作り上げた食事を夢中で味わう。
それはヴァイデで食べたどんな豪華な料理よりも、違う美味しさが感じられた。
「おいしい! おにく、やわらかい! スープも、あったかい!」
口の周りをスープで濡らしながら、ロウェナが満面の笑みでクリスを褒めた。
「本当か? 良かった……。師匠のご指導と、ロウェナちゃんが見つけてくれた香草のおかげだよ」
クリスは照れくさそうに頭を掻くが、その顔は達成感に満ち溢れていた。
俺は黙って最後の一滴までスープを飲み干すと、空になった器を置いて、ただ一言だけ、ぽつりと呟いた。
「……悪くない。次は塩加減をもう少し控えてみろ。素材の味がもっと生きる」
それは料理を作る上での指摘であり、同時に、最高の賛辞だった。
クリスとロウェナは顔を見合わせ、これまでで一番嬉しそうに笑った。
夕日に染まる草原で、三人はそれぞれの役割を果たした満足感を胸に、静かに片付けを始める。
面倒なことばかりだと思っていたこの旅が、今ではどうしようもなく、温かい。
俺はそんならしくない感傷を煙と共に吐き出し、二人の背中を、静かに見守っていた。




