それぞれの正義と約束の肉
夜明け前の薄闇の中、俺たち一行はヴァイデの街を目指して出発した。
馬に乗る俺と、荷馬車の御者台に座る店主たち。
その後ろには、クリスとオーガのリーダーであるモルグル、そして彼の護衛役のオーガが数名、徒歩で続く。
ロウェナは、牧場主の妻に見送られながら、小間使いの女性が乗る荷台にちょこんと座っていた。
牧場には、モルグル以外のほとんどのオーガたちが残ることになった。
「エドウィン殿、本当に大丈夫ですかい? 街へ行くなら、もっと屈強な若い衆を連れて行った方が……」
心配する牧場主に、モルグルは静かに首を振った。
「いや、これでいい。これは我らだけの問題ではない。お前さんたち人間との、最初の共同作業だ」
牧場主も、その言葉に覚悟を決めたように頷く。
「……分かった。こっちは任せとけ。もう、あんたたちを化け物扱いするような奴は、この牧場にはいねえよ」
わずかな期間で芽生えた、種族を超えた奇妙な信頼関係に見送られ、俺たちはヴァイデへの帰路についた。
数日後、街の南門が見えてきた頃、案の定、ひと悶着が起きた。
門番の衛兵たちが、モルグルたちの姿を認めるなり、血相を変えて槍を構えたのだ。
「止まれ! 何者だ! なぜオーガなどが街の門に!」
街の人々が遠巻きに集まり始め、騒ぎが大きくなる前に、荷馬車から店主たちが次々と飛び出してきた。
「待ってくれ、衛兵殿! 彼らは我々の客人だ!」
「そうだ! 決して怪しい者たちではない!」
必死に庇う店主たちに、衛兵は困惑を隠せない。
その時、俺は馬から降り、衛兵の前に進み出た。
「俺は冒険者ギルド所属、Bランクのエドウィン。彼らの身元は、俺が保証する」
懐から取り出した金色のギルド証が、朝日にきらりと輝く。
Bランクという階級と、店主たちの必死の訴えに、衛兵の隊長らしき男は渋々ながらも槍を下ろした。
「……分かった。だが、街中で騒ぎだけは起こしてくれるなよ」
俺たちは、好奇と恐怖が入り混じった無数の視線に晒されながら、ヴァイデの街へと足を踏み入れた。
「では、我々は商業組合へ。エドウィン殿、後ほどギルドで合流しましょう」
店主たちは足早に組合本部へと向かう。俺たちもまた、捕虜にした偽物の仮面の剣士とその仲間たちを引き立て、冒険者ギルドを目指した。
ギルドの扉を開けた瞬間、昨日までの酒場の比ではないほどの喧騒と視線が、俺たち――正確には、俺の後ろに立つモルグルたちと捕虜に突き刺さった。
俺は構わず受付カウンターへ進み、呆然とする職員に告げる。
「ギルドマスター、あるいはここの支部長を呼んでくれ。急ぎの、そして厄介な話がある」
奥から現れたのは、精悍な顔つきをした壮年の男だった。その鋭い目が、俺、クリス、そしてモルグルを順に射抜き、最後に捕虜に目が止まる。
「私がヴァイデ支部長のガウェインだ。Bランクの冒険者が、オーガを連れて何の用かな」
「単刀直入に言おう。この街の肉の流通を巡る一件、その裏には亜人を利用した悪質な計画がある。そして、その首謀者は『金獅子の咆哮亭』だ」
俺はこれまでの経緯を、冷静に、しかし詳細に語り始めた。
オーガたちが野盗に住処を追われ、流れ着いた先で仮面の剣士に脅され、不本意な契約を結ばされたこと。
計画的に牧場を襲撃させられ、奪った家畜の一部を『金獅子』に上納させられていたこと。
そして、その背後には、本物とは違う偽物の『仮面の剣士』がいたこと。
俺の話が終わる頃、ギルドの扉が再び開き、商業組合の紋章をつけた恰幅の良い男を先頭に、店主たちがなだれ込んできた。
「ガウェイン支部長! これは由々しき事態ですぞ!」
組合長は、捕虜の自白によって『金獅子』の悪行が裏付けられたことを報告し、ギルドとしても組合としても断固たる対応をする事を求めた。
全ての報告を聞き終えたガウェイン支部長は、深く、重い息を吐いた。
「……話は分かった。これほどの証拠が揃っては、ギルドとしても看過できん」
彼は近くにいた職員に、厳しい声で命じた。
「直ちに『金獅子の咆哮亭』の責任者をここへ召喚しろ。拒否するなら、ギルドの名において、実力行使も構わんとな」
しばらくして、ギルドに連行されてきたのは、金刺繍の派手な服に身を包んだ、小太りの商人だった。
彼は傲慢な態度で周囲を見回していたが、会議室の隅に立つモルグルの姿を認めた瞬間、その顔から血の気が引いた。
「き、貴様ら……なぜここに……」
「全て聞かせてもらったぞ」
ガウェイン支部長の低い声が、静まり返ったギルドに響く。
「亜人を脅して手駒とし、市場を不正に操作して私腹を肥やす。見事な手腕と言うべきかな? 言い分があるなら聞こう」
もはや言い逃れはできないと悟ったのだろう。
男は観念したようにその場にへたり込み、全てを白状した。
レセヴォアの誕生による需要増を見越して市場を独占しようとしたこと。
そのために、流れ者のオーガたちを脅して利用したこと。
偽物の仮面の剣士を使い、自分の悪行を隠蔽しようとしたこと。
その日のうちに、『金獅子の咆哮亭』にはギルドと商業組合から厳しい業務停止命令と、多額の賠償金が課せられた。
独占されていた肉も解放され、街の店にも少しずつだが正常な供給が戻る見通しが立った。
オーガたちの処遇については、モルグルが代表としてギルドと交渉し、被害を与えた牧場の復興と警備を担うことを条件に、ギルドがその身元を保証する形で、ヴァイデ近郊での居住が正式に認められた。
全てが終わり、俺たちが世話になった宿に戻ると、店主たちが満面の笑みで出迎えてくれた。
「エドウィン殿、クリス殿、本当にありがとうございました! これで我々も商売を続けられます!」
心からの感謝の言葉に、クリスは照れくさそうに頭を掻いている。
その横で、ロウェナが俺の外套の裾をくいっと引っ張った。
「えど」
「ん?」
「オーガさんたち、もう、おうち、こわされない?」
「ああ、大丈夫だ。もう誰も、あいつらの邪魔はしないさ」
俺がそう答えると、ロウェナは安心したように、これまでで一番の笑顔を見せた。
「よかった! じゃあ、これで、おにく、みんなで、たべれるね!」
そのあまりにも純粋な言葉に、その場にいた大人たちは皆、顔を見合わせて笑い出した。
俺は、また一つ大きすぎる面倒事を解決してしまったことに内心でため息をつきながらも、この少女の笑顔が見られるなら、まあ、悪くはないか、と煙草に火をつけたのだった。




