偽りの仮面
見張り台から放たれた切羽詰まった声が、牧場の夜気を切り裂いた。
「ヴァイデの方角からだ! 複数の騎馬の一団が、こちらに向かってくるぞ!」
その報告を合図に、昨日までの牧歌的な空気は一瞬にして消し飛び、代わりに武具の擦れる音と、固唾を呑む息遣いが場を支配した。
「来たか……」
俺は低く呟き、クリス、そしてオーガのリーダーであるモルグルと共に、数人のオーガが用意してくれた即席のバリケード裏で静かに武器を構えた。
「師匠……!」
クリスの声には、緊張と共に確かな闘志が宿っている。
俺はロウェナの小さな肩に手を置いた。
「ロウェナ、お前はみんなと一緒に母屋にいろ。絶対に外へ出るな」
「でも……」
不安そうに揺れる瞳が、俺とクリスを交互に見上げる。俺は努めて優しい声で続けた。
「大丈夫だ。すぐに終わらせる」
「ああ、ロウェナちゃん! 俺たちが必ず守るからな!」
エドとクリスの力強い言葉に、ロウェナはこくりと頷くと、名残惜しそうに俺の手を一度だけ握り、母屋の方へと駆けだしていった。
地響きと共に砂塵が舞い上がり、黒い影の集団が月明かりの下にその姿を現す。
数にして二十騎ほどか。
彼らはバリケードの手前で馬を止めると、その中からリーダー格の男がゆっくりと前に進み出てきた。
男は顔を不気味な仮面で覆い、その声は権威を笠に着た傲慢さに満ちていた。
「我らは『金獅子』の使いだ。オーガども、貴様ら、我らが紹介してやった仕事を放り出して、ここで何を企んでいる?」
モルグルが答えようとする前に、男は嘲るように言葉を続けた。
「まあ、いい。我らは慈悲深い。今ここで我らに従うというのなら、今回の裏切りは見逃してやろう。その代わり、この牧場の家畜は全て、我らが引き取らせてもらう。拒否すれば……どうなるか分かるな?」
脅迫。
それも、一方的で理不尽なものだ。
俺はバリケードから一歩前に進み出た。
「その仕事とやらは、もう無しだ」
俺の静かな声に、仮面の男の視線が突き刺さる。
「なんだ、貴様は。ただの護衛が口を挟むな」
「口を挟むな、という言葉をそっくり返そう。手を出すなら、俺が相手になる。用がないなら、さっさと失せろ」
交渉の余地など、最初からなかった。
仮面の男が、侮蔑と怒りに歪んだ声で叫ぶ。
「――やれ!」
号令と共に、騎馬隊が一斉に蹄を鳴らし、地を揺るがして突撃を開始した。
「クリス、モルグル! 左右から崩せ!」
「他の者はアイツらを馬から落とせ!」
俺からの指示が飛ぶ。
モルグルが雄叫びを上げ、その巨体と棍棒で先頭の騎馬の突進を正面から受け止めた。
馬が嘶き、敵の勢いが一瞬止まる。
その隙を、クリスは見逃さなかった。
バリケードを盾にしながら巧みに馬上の敵へと接近し、素早い剣閃で的確に急所を切り裂いていく。
他のオーガたちも、その圧倒的な腕力で馬上の敵を掴んでは投げ飛ばし、あるいは荷馬車を盾にして突撃を防いでいた。
母屋の前では、店主たちが恐怖に震えながらも、農具を武器に必死の構えを見せている。
その背後、母屋の窓から、ロウェナが子供たちの手を固く握りしめ、固唾を呑んで戦況を見守っているのが見えた。
戦況が膠着し始めたその時、敵のリーダーである仮面の男が動いた。
クリスとモルグルの連携を紙一重でかいくぐり、手薄になったバリケードの一角から、内部へと侵入しようとする。
その男の前に、俺は静かに立ちはだかった。
「……お前が、ここの指揮官か。ただの護衛にしては、腕が立つようだな」
男は俺を侮り、自信満々に斬りかかってくる。
だが、その剣筋はあまりにも軽く、浅い。
キィン、と甲高い金属音を立てて、俺は相手の攻撃の全てを、まるで子供の遊びに付き合うかのように完璧に受けきった。
「なっ……!?」
驚愕に目を見開く相手に、俺は一瞬の隙も与えない。
相手を殺すつもりはなかった。
だが、許すつもりもない。
二度と剣を握れないように、その腕の腱を、正確に断ち切った。
「ぐあああっ!」
悲鳴と共に馬から転がり落ち、苦痛に呻くリーダーの姿に、騎馬隊は完全に統率を失う。
彼らは我先にと馬首を返し、算を乱して撤退していった。
逃げ遅れた数人は、オーガたちによってあっさりと捕縛された。
戦闘が終わり、張り詰めていた空気が緩む。
初めての共同作業での勝利に、人間とオーガの間には、安堵と、確かな連帯感が生まれていた。
牧場主の妻や店主たちが、オーガの負傷者にも分け隔てなく手当てを手伝い、ロウェナも小さな手で水を持ってきたり、布を渡したりと懸命に働いている。
「良いタイミングだった、クリス」
「モルグル殿こそ。あなたがいなければ、難しかった」
クリスとモルグルは互いの健闘を称え合い、種族を超えた戦友として、固い握手を交わしていた。
俺は捕虜にした男たちを尋問し、『金獅子』がこの襲撃を「ならず者の仕業」として処理するつもりだったことを聞き出した。
そして、最後に、地面に転がる仮面の男に問いかける。
「お前は、何者だ」
男は、腕の激痛に顔を歪めながら、観念したように自白した。
「……偽物だよ。俺は、ただ人より少し腕が立っただけだ。あの『仮面の剣士』の名を語れば、楽に大金が稼げると思ったんだ……」
その言葉に、クリスが憤りを露わにした。
「貴様のような奴が……本物の『仮面の剣士』がどれほどの傑物か、知りもしないで!」
クリスは、捕虜のオーガたちに向き直ると、本物の仮面の剣士がいかに凄いかを、噂話から眉唾物の話まで含めてつらつらと語り始めた。
そのあまりの熱弁に、俺とロウェナは顔を見合わせ、呆れたようにため息をつくしかなかった。
その夜、牧場では焚き火を囲み、全員でささやかな勝利が祝われた。
「エドウィン殿がいなければ、我々は本当に終わっていました」
店主たちの心からの感謝に、俺は煙草の煙を吐き出しながら答えた。
「まだ何も終わってはいない。明日、こいつらを街に連れて行きます、全てを白状させなければ」
クリスが立ち上がり、決意を新たにする。
「師匠、次は俺が、もっと役に立ってみせます!」
「我らも、二度と奴らの言いなりにはならん」
モルグルも力強く頷いた。
ロウェナが、俺の外套を掴み、小さな声で呟く。
「こわかった。でも、みんな、つよい」
皆で話をしていると流れで、クリスが今回の護衛が冒険者としての依頼だと知ると、血相を変えた。
「師匠! そういえば今回の件、ギルドを通していないじゃないですか! これじゃ正式な依頼にはなりませんよ! 登録する時に、職員の方が説明していたではありませんか!」
普段、冒険者を雇うことのない店主たちは、きょとんとしている。
俺はわざとらしく首を傾げた。
「そうだったか? すっかり忘れていたな」
牧場主は、そんな俺たちのやり取りを見て豪快に笑った。
「はっはっは! まあ、細かいことはいい! 全てが終わったら、約束通り、報酬はきっちり払わせてもらうさ!」
クリスは天を仰ぎ、ロウェナは俺の隣で、いつの間にかこくりこくりと舟を漕いでいる。
冒険者のルールなどよく分かっていないオーガたちの笑い声が、夜の牧場に温かく響き渡っていた。
過去一長くなってしまいましだがひと段落?ですかね




