森の中で拾ったもの[前編]
黒葉の森へと足を踏み入れると、すぐにその名の通り、濃い緑に囲まれた。
背の高い木々が天に向かって真っ直ぐ伸びていて、見上げると葉っぱの隙間から僅かに空が見えるだけだ。
街道沿いは、それでも木々の間を縫って時折、陽の光が差し込む。
聞いていたほど、常に真っ暗というわけではないらしい。
まあ、晴れていれば、だが。
しかし、少しでも街道から外れて奥まった場所を見ると、そこは明らかに暗い。
木々の密度が増し、下生えも一層濃くなる。
なんとも言えない、森の奥深くに潜むものが蠢いているような、張り詰めた雰囲気が漂っている。
森の中はひんやりとしていて、それが心地よかった。
歩き始めて少し火照ってきた体を、冷たい空気が冷ましてくれる。
地面は土で、下生えの草はやや長く、足元がおぼつかないと道を外れてしまいそうだ。
注意深く、一歩ずつ足を進める。
聞き慣れない鳥の声や、獣らしき鳴き声が、森のあちこちから聞こえてくる。
風で木々が擦れる音や、自分の足音だけが響く静寂の中で、それらの音は妙に大きく聞こえた。
しばらく歩いたが、日差しが届きにくいため、時間が全く分からない。
太陽の位置で時間を測る癖がついているので、これは少し不便だ。
まだ、夕方ではないだろうが、どのくらい進んだのかも、今いる場所が地図上のどこなのかも、全く見当がつかない。
そろそろ休憩するか、と思い立ち、街道沿いの、比較的木が少なく開けた場所を見つけた。
大きな木の根元に腰を下ろし、背囊を下ろす。
旅に出てから定番になった、黒パンと干し肉を取り出して齧る。
硬いパンは顎が疲れるが、腹持ちはいい。
食べながら背囊から手帳を取り出し、地図を確認する。
だが、無意味だった。
森の中では、目印になるものがほとんどない。
ただ漠然と、ここが広大な森の中であることだけが分かる。
こんなに役に立たない地図も珍しい。
ふと、何かの気配を感じた。
ピリリと肌が粟立つような感覚。
本能的な警戒心だ。
生きるために身についた危険を察知する感覚が警鐘を鳴らしている。
黒パンを齧る手を止め、周囲に意識を集中する。
風の音でも、動物の鳴き声でもない。
明らかに、何かがこちらへ近づいてくる「音」がする。
手早く残りの干し肉とパンを背囊にしまい込む。
そして、無意識のうちに、腰の愛刀の柄に手を伸ばしていた。
噂になっていた、森での行方不明者。
その原因かもしれない。
少しばかり、緊張感が走った。
同時に、ほんの少しだけ、妙な高揚感も感じている自分がいた。
面倒なことになりそうだが、衛兵ですら手がかりが掴めずお手上げだという相手。
一体どんな奴だろうか?
剣を完全に抜きはせず、鞘に収めたまま柄を握りしめ、木の陰に身を隠す。
物音を立てないように、じっと待つ。
音はどんどん近づいてくる。
それは、必死に走ってくるような、何かに追われているような、切羽詰まった足音だった。
そして、視界の開けた街道に、その姿が現れた。
年の頃はわからないがかなり幼い。
眩しいほどのブロンド髪を持つ少女だった。
だが、その姿は痛々しい。
服は破れ、汚れ、ボロボロだ。
髪も乱れ、顔色も悪い。
足元もおぼつかない様子で、フラフラと街道を走ってくる。
明らかに、何かから逃げてきた、あるいは何かを探している途中に行き倒れそうになっている、そんな様子だった。
その少女を見て、俺は内心で頭を抱えた。
…まずい。見つけてしまった。
見過ごすべきか、それとも助けるべきか。
俺としては、ここで見て見ぬ振りをするのも一つの手だ。
関わらなければ、危険な事態に巻き込まれることもない。
旅は気ままに、波風立てずに、がモットーだったはずだ。
しかし、ボロボロになった少女の姿が、どうにも頭から離れない。
困っている人を見過ごせない、と別の本音の部分が顔を出す。
ここで見捨てて、もしこの後、その少女に何かあれば…後で絶対、気になってしまう。
きっと旅どころではなくなる。
葛藤が、一瞬にして頭の中を駆け巡る。
面倒か、それとも後悔か。
そんな俺の葛藤を嘲笑うかのように、少女の後ろから、ものすごい速さで何かが追いかけてくる音が近づく。
ドドドドドという重い音と、低いうなり声。
それは、決して人間ではない。
獣か、あるいは魔物か。
考えるより先に、俺の体が動いた。
考えるより先に、腰の剣が鞘から引き抜かれていた。
隠れていた木の陰から飛び出し、少女の前に躍り出る。
「危ない!」
そう叫びながら、ボロボロの少女を守るように、俺は剣を構えて立ちはだかった。




