苦渋の選択と、利益の天秤
オーガたちが闇に消えた後、牧場には重苦しい沈黙だけが残った。
先ほどまでの戦闘の興奮は冷め、代わりにじっとりとした恐怖と混乱が場を支配している。
俺は店主たちを促し、牧場主の母屋へと戻った。
ロウェナは俺の無事を確認すると、安堵したように駆け寄ってきたが、室内の重苦しい空気を感じ取り、黙って俺の隣に座った。
牧場主の妻が淹れてくれた、味のしない茶をすすりながら、店主の一人が震える声で口火を切った。
「エドウィン殿……今の、本当なのでしょうか。あの……オーガが、喋った……。それも、金獅子のことを……」
「ええ、オーガはこの辺りには住んでいなかったはずです。それがなぜ、こんな場所に……」
牧場主も顔面蒼白だ。
俺は腕を組み、冷静に情報を整理する。
「まず認識を改める必要があります。オーガは厳密には魔物ではありません。亜人に分類されます。普段、人と関わることが少ないだけで、彼らには彼らの社会と知性がある」
俺の言葉に、店主たちはさらに顔を見合わせた。
相手が単なる獣であれば、討伐して終わりだ。
だが、知性ある亜人であり、なおかつ彼ら自身も被害者であるとなれば、話は全く変わってくる。
「つまり、こうだ」
俺はテーブルを指で叩きながら説明する。
「『金獅子』は、流れ着いて食うに困ったオーガ一族に目をつけた。そして、仮面の剣士の力で彼らを脅し、不平等な契約を結ばせた。家畜を計画的に襲撃させて市場の肉を品薄にし、自分たちは利益を独占する。さらに、オーガたちから奪った家畜の一部を上納させることで、リスクなく利益を二重取りしている……そういう構図でしょう」
「ひどすぎる……」
宿屋の主人が呻いた。
「我々を苦しめているだけでなく、亜人たちまで手駒にして……」
「だが、どうするというのです!」
別の店主が声を荒らげた。
「相手はあの『金獅子』だぞ! ヴァイデの商業組合もギルドも黙らせるほどの力を持っているんだ。我々のような小物が楯突いて、どうにかなる相手じゃない!」
「かと言って、このまま黙っていてもジリ貧だ。オーガたちに家畜を奪われ続ければ、我々は破産する」
「オーガたちに事情を話して、金獅子と手を切るように説得するのはどうだ?」
「馬鹿を言え! 彼らは食うためにやっていると言っていた。金獅子と手を切れば、彼らの食い扶持がなくなる。そうなれば、今度は人を襲わないという保証がどこにある?」
堂々巡りの議論が続く。
金獅子と戦うのは無謀。
オーガを放置すれば破滅。
オーガを討伐すれば、根本的な解決にはならず、良心も痛む。
まさに、八方塞がりだった。
(面倒なことだ。どちらに転んでも、血を見ることになりかねない)
俺が次の手を思考していると、それまで黙って大人たちの会話を聞いていたロウェナが、こてんと首を傾げた。
そして、まるで当たり前のことのように、ぽつりと呟いた。
「ねえ、えど」
場の全員の視線が、ロウェナに集まる。
「鬼さんたち、おうち、ないんでしょ?」
「……ああ、野盗に襲われて、流れてきたと言っていたな」
「おなかも、すいてるんでしょ?」
「そうだろうな」
ロウェナは不思議そうに、困惑する大人たちを見回した。
「じゃあ、ここで、みんなではたらけばいいのに」
シン、と部屋が静まり返った。
ロウェナのあまりにも単純で、あまりにも突拍子のない提案に、店主たちは呆気に取られている。
「な……何を言っているんだ、嬢ちゃん!」
すぐに我に返った店主の一人が、乾いた笑いを浮かべながらも必死に否定する。
「オーガを雇うだと? 冗談じゃない! あんな化け物同然の連中を、どうやって信用しろって言うんだ!」
「そうだとも!」牧場主も激しく同意する。「今は大人しくしているが、ひとたび腹を空かせれば、いつ我々に牙を剥くか分かったものじゃない。危険すぎる!」
別の店主が、そろばんを弾くかのように指を折りながら、経済的な懸念を口にした。
「それに、仮に彼らが協力的だったとしてだ。あの巨体だぞ。一体どれだけの大飯喰らいか分からん。こっちは今すぐにでも肉を仕入れて利益を出さにゃならんのに、彼らが労働力として役に立ち、牧場が立て直るまで、一体どれだけの時間がかかるんだ? それまで、彼らを養う余裕など、我々にはない!」
次々と上がる反対意見に、ロウェナはシュンと肩を落とし、俺の外套の後ろに隠れてしまった。
もっともな意見だ。リスクが高すぎる。
だが、このままでは状況は悪化する一方だ。
(……面倒だが、一番マシな道筋かもしれん)
俺は一つ息を吐き、議論に割って入った。
「皆さんの懸念は分かります。ですが、見方を変えてください」
俺が口を開くと、店主たちは一斉にこちらを向いた。
「彼らはああ見えて、理知的で社会性もしっかりと持っている。そうでなければ、金獅子とあんな複雑な契約交渉などできません。それに、彼らは約束を守っていた。人を襲わないというルールを、だ」
俺はテーブルに身を乗り出し、商売人である彼らに一番響くであろう利点を提示する。
「考えてもみてください。オーガの一族がこの牧場にいるとなれば、これ以上ない護衛になります。並の野盗はもちろん、それこそ金獅子が小細工をしてきても、彼らがいるだけで強力な牽制になる。下手な護衛を何人も雇うより、よほど確実ですよ」
「そ、それはそうかもしれんが……」
店主たちの表情が、わずかに揺らぐ。
俺は畳み掛けた。
「それに、先ほどの話が本当なら、オーガたちは今まで連れ去った家畜を、まだどこかに隠し持っている可能性が高い。交渉次第では、それを取り戻せるかもしれない。そうなれば、皆さんが失った損失は幾分は補填されるでしょう。牧場もすぐに立て直すことは難しいかもしれませんが、ゼロからよりは早いはずです。それに協力すれば今よりも規模を大きくすることだって夢じゃないはずです」
俺はさらに具体的な策を提示する。
「一箇所の牧場で全員は無理でも、近辺の小規模牧場で分散して雇ってしまえばいい。彼らも離れ離れにならずに済み、こちらも労働力を得られる。今しか出来ない手ですが、どうでしょうか」
俺は、普段の自分からは考えられないほど必死に、分かりやすい利益に繋がる可能性を訴えていた。
この複雑に絡まった糸を解くには、彼ら自身に「利がある」と判断させ、動いてもらうしかない。
俺の言葉に、部屋は再び沈黙に包まれた。
店主たちは顔を見合わせ、それぞれの頭の中で必死に損得勘定を弾いているようだった。
珍しく会話多めになってしまいました。
普段の会話と地の文のバランスはどうなのか疑問に思いました。




