獣道と人災の影
次の牧場を目指して草原の街道を進んでいると、前方から数台の荷馬車がこちらへ向かってくるのが見えた。
すれ違いざまに横目で見ると、荷台には家財道具が雑多に積み上げられ、御者台に座る男たちの表情は暗く、生気がない。
まるで全てを諦めたかのような、絶望の色が浮かんでいた。
俺たちの荷馬車を率いる宿屋の主人が、馬を寄せて声をかけた。
「もし、あんたたちも牧場の方かい? 一体、何があったんだ」
声をかけられた男は、力なく首を振った。
「……もう終わりだ。昨夜、獣の群れにやられた。家畜はほとんど食い荒らされて……とてもじゃないが、もうあそこじゃ暮らせねえ。街へ避難するところさ」
彼らもまた、近隣の牧場主だったのだ。
男たちの話は、昨日聞いた内容とほぼ一致していた。
ここ数週間、ヴァイデ北部の特定の川筋に沿って被害が集中しており、まるで獣の群れが計画的に南下しているかのようだという。
「奇妙な話なんだがよ」別の男が、乾いた声で付け加えた。
「奴らは、人は一切襲わねえ。金品にも手をつけず、狙うのは決まって出荷間近の太った家畜だけなんだ。まだ小さい子牛や、年寄りの家畜には目もくれねえ。まるで、目利きでもいるみたいにだ」
同行していた男の一人が、苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。
「ギルドには何度も救援依頼を出しているんだが、『調査中』の一点張りでな。おかげで被害が広がる一方だ。一体、何を守るためのギルドなんだか」
避難する一行を見送りながら、俺は胸の中に渦巻く違和感を強めていた。
(獣がそんなに都合よく川筋に沿って移動するか? 家畜を選別する獣……。まるで、誰かが効率よく牧場を襲撃しているみたいじゃないか)
面倒な匂いが、ますます濃くなっていく。
一行が次の目的地へと急ぐ途中、街道脇の茂みが大きく揺れ、数匹の狼型モンスターが涎を垂らしながら飛び出してきた。
「ひいっ! 魔物だ!」
店主たちが荷馬車の上で悲鳴を上げる。
俺はロウェナに「荷台の奥にいろ」と短く指示すると、馬から飛び降り、剣を抜いた。
狼たちが俺の姿を認識し、襲いかかってくるよりも早く、俺の体は動いていた。
一匹目の喉元を切り裂きながら、その勢いを利用して二匹目の懐へ。
返す刃で心臓を貫き、身を翻して最後の個体の首を跳ね飛ばす。
数合も交えていない。
ほんの数呼吸の間に、全ての狼は血溜まりの中に沈んでいた。
(……弱い)
斥候か、あるいははぐれか。
俺は念のため、仕留めた狼の死体を調べ始めた。
一匹の首筋の毛が、不自然に擦り切れているのに気づく。
毛皮をかき分けてみると、そこには粗雑な革製の首輪が、毛に隠れるように巻かれていた。
(飼いならされているのか……)
獣の仕業に見せかけた、人為的な犯行。
これで疑いは確信に変わった。
その日の夕方、俺たちは目的地の牧場に到着した。
幸い、ここはまだ被害を受けていないようだったが、牧場主の顔色は暗い。
「近隣の牧場がやられた話は聞いている。だが、先祖代々の土地だ。そう簡単に明け渡すわけにはいかない……」
不安に怯えつつも、その目にはまだ戦う意志が残っていた。
その夜、牧場主の家で、店主たちによる緊急の会議が開かれた。
ロウェナは俺の隣で、大人たちの緊迫したやり取りを静かに見守っている。
「ここまで来て、手ぶらでは帰れない。もしここもやられたら、ヴァイデの小規模店は本当に立ち行かなくなるぞ」
「危険は承知の上だ。我々が買い支えるためにも、まずはこの牧場を守り切らねばなるまい」
議論が白熱する中、俺は静かに口を開いた。
「どうやら、相手はただの獣ではなさそうだ。だが、守る覚悟があるなら、俺も力を貸そう」
俺は懐から金色のギルド証を取り出し、テーブルの上に置いた。
「俺が正式に護衛依頼として引き受けましょう。ただし、相手が何であれ、撃退するには皆さんの協力が必要です」
Bランクの証が放つ輝きに、店主たちと牧場主の目が集まる。
彼らの驚きは、やがて確かな安堵へと変わっていった。
「Bランクの冒険者様だったとは……! ありがたい! 必要なものは何でも提供する! 何なりと指示してくれ!」
牧場主は、まるで救いの神が現れたかのように、俺の手を強く握りしめた。
こうして、俺はまたしても面倒事の中心に立つことになった。




