本戦開幕
本戦当日、俺は宿の部屋の窓を開け、眼下に広がる光景に思わず眉をひそめた。
昨日までとは比べ物にならない人の波が、通りを埋め尽くしている。
近隣の村や街から、この日のために大勢の観光客や旅人が押し寄せたのだろう。
色とりどりの旗がはためき、そこかしこから陽気な音楽と客引きの威勢のいい声が聞こえてきた。
「すごい……ひと、いっぱい」
俺の隣で、ロウェナも目を丸くしている。
俺たち三人は人波をかき分けるようにして宿を出た。
街全体が、まるで一つの巨大な祭りの会場のような熱気に満ちている。
あまりの人の多さに辟易しながらも、俺はロウェナが踏みつけられないようにひょいと抱きかかえ、闘技場を目指した。
闘技場の前で、俺はクリスの肩を軽く叩いた。
「気負うな。昨日やったことを思い出し、そのまま出せばいい」
「はい!」
短く激励の言葉を送ると、ちょうど参加者用の入り口から出てきたギデオンが、クリスに気づいて手を上げた。
二人は頷き合うと、共に闘技場の中へと消えていく。
俺とロウェナは観客席へと向かい、試合がよく見えそうな席を探して腰を下ろした。
やがて、ファンファーレと共に開会式が始まった。
予選を勝ち抜いた十六名の猛者たちが、砂塵の舞う闘技場へと入場してくる。
その中には、ひときわ大柄なギデオンと、少し緊張した面持ちのクリスの姿もあった。
貴賓席に、この宿場一帯の領主となる予定の男や、街長になる男が姿を現す。
領主予定者が、水晶のようなものが先端についた杖を顔の前に掲げると、その声が闘技場全体に朗々と響き渡った。
「皆の者、よくぞ集まってくれた! 本日、この佳き日に、皆に伝えたいことがある! このため池の宿場は、本日をもって正式な『街』として認められた!」
観客席から、割れんばかりの歓声が上がる。
「街の名は『レセヴォア』! 偉大なる辺境伯様より、直々に賜った名だ! この地が、南北交通の要衝として、水と共に多くの恵みを蓄え、人々が集う場所となるようにとの願いが込められている! 詳しいことは改めて布告するが、このレセヴォアの街の誕生を、皆で祝おうではないか!」
辺境伯、という言葉に、俺は領都にいた頃の記憶を微かに手繰り寄せた。
ずっと昔、式典の際に、遠目からその姿を一度だけ見かけたことがある。
それだけの、希薄な記憶だが。
続いて、大会のルールが説明された。
「――本トーナメントは全十六名にて、三日間にわたり行われる! 本日は一回戦、全八試合! 武器は真剣を用いるが、殺傷は固く禁ずる! 毒や弓矢の使用も禁止だ! 降参、あるいは戦闘不能と審判が判断した時点で試合終了とする!」
最後に、領主予定者が再び口を開いた。
「この大会で優秀な成績を収めた者は、我が騎士として取り立てることも吝かではない! 参加者の諸君は、日頃の鍛錬の成果を存分に発揮し、正々堂々、悔いのない戦いを見せてくれることを期待している!」
開会式が終わり、いよいよ試合が始まった。
クリスの試合は、今日の最終試合である第八試合に組まれていた。
陽が傾き始め、闘技場に長い影が落ちる頃、ついにクリスの名が呼ばれた。
「さあ、本日の最終試合! 予選を圧倒的な剣技で勝ち上がってきた新星、クリス選手の登場だ!」
クリスが闘技場に足を踏み入れる。
対する相手は、分厚い盾と長剣を構えた、いかにも堅実そうな戦い方をする男だった。
ゴングが鳴り響き、試合が始まる。
序盤は、互いの出方を窺うような、静かな展開が続いた。
相手は鉄壁の守りだ。
クリスの繰り出す鋭い突きや斬撃を、ことごとく盾で受け止め、堅実にカウンターを狙ってくる。
派手さはないが、一進一退の攻防。
互いに決定打を与えられぬまま、時間だけが過ぎていく。
痺れを切らしたのは、クリスの方だった。
「はあっ!」
気合一閃、これまで以上の速度で、相手に猛然と斬りかかる。剣、肘、蹴り、あらゆるものを織り交ぜた、嵐のような連続攻撃。
相手は完全に防御に徹し、分厚い盾の裏に身を潜めるようその猛攻を必死に凌いでいた。
その瞬間だった。
相手の意識が、正面からの連撃と盾に集中しきっている、その一瞬の隙。
クリスは攻撃の最中、ふっと体勢を低くすると、相手の盾を回り込むようにして死角へと滑り込んだ。
ガツン! と鈍い音が響く。
背後に回り込んだクリスが、剣の柄頭で相手の後頭部を強かに打ち据えたのだ。
盾の男は白目を剥き、崩れるようにして砂塵の中へと倒れ伏した。
審判が駆け寄り、男の戦闘不能を確認すると、高く腕を突き上げる。
「勝者、クリス!」
その声に、観客席がどっと沸いた。
その日の夜、俺たちはギデオンも交えて、いつもの酒場で祝杯を挙げていた。
「いやあ、見事な勝ち方だったぜ、クリス! あの最後のやつ、どうやったんだ?」
「ギデオンこそ、今日の試合、圧巻だったぞ。相手の鎧ごと叩き割るかと思った」
互いの健闘を称え合う二人を見て、俺もエールを口に運ぶ。
「沼地での経験が、少しは活きたようだな」
「はい、師匠! 相手が盾に集中した時、闘技場が、あの沼地に見えました。盾が、俺の死角を作る水草に……」
クリスは、興奮冷めやらぬ様子で、今日の試合を振り返っていた。




