ため池の街と弟子入り志願
翌朝、俺たちはため池の宿場を散策することにした。
巨大なため池の周囲をぐるりと囲むように道が整備されており、水際には漁から戻った小舟がいくつも繋がれている。
水鳥たちの賑やかな鳴き声と、獲れたての魚を威勢よく捌く漁師たちの声が、朝の活気ある空気を作っていた。
「わあ……みずうみ、みたい」
ロウェナが、ぽつりと感想を漏らす。
その瞳は、どこまでも広がる水面のきらめきに釘付けになっていた。
昼食を摂るため、俺たちはひときわ賑わいを見せている酒場に入った。
木の扉を開けると、むわりとした熱気と共に、様々な人々の話し声とエールの匂いが俺たちを出迎える。
俺はロウェナを連れて隅の方の席に座り、近くのテーブルで盛り上がっている商人たちの会話に、それとなく耳を傾けた。
「いやあ、この宿場ももうすぐ正式に『街』になるらしいぜ! 今、その手続きで大わらわだとか」
「そりゃめでてえ! 何せここは南と北を結ぶ街道が交わる場所だ。人も物も、どんどん集まってくるだろうよ」
「このため池のおかげで、水にゃ困らんし、農業も盛んだからな。街になるのも当然ってもんだ」
なるほど、ここはただの宿場ではない。
発展の最中にある、活気に満ちた場所らしい。
ふと、別の席から興奮した声が聞こえてきた。
「おい、聞いたか! 闘技場のトーナメント、もう予選が始まってるらしいぜ!」
「おう! なんでも優勝すりゃ、領主様のお抱え騎士に取り立ててもらえるって話じゃねえか!」
闘技場、か。
面倒事が集まりそうな響きだが、少し興味が湧いた。
俺は食事を終えると、店主に場所を教えてもらい、ロウェナの手を引いてその闘技場へと向かった。
闘技場は、宿場の外れに隣接するように建てられていた。
円形の簡素な造りだが、観客席はそこそこの熱気に包まれている。
砂埃と汗の匂いが混じり合った中で、二人の男が鈍い音を立てて剣を打ち合っていた。
俺たちは空いている席に座り、しばらくその様子を眺める。
近くの席にいた常連らしき観客に話を聞くと、三日後に始まるトーナメント本戦に向けて、今は出場者を決める予選の真っ最中なのだという。
試合を眺めていたロウェナが、不意に俺の顔と、砂塵の舞う闘技場を交互に指差した。
「えど、でる?」
その純粋な瞳に、俺は苦笑いを浮かべて首を横に振る。
「いや、出ないぞ。ああいうのは目立つからな。面倒はごめんだ」
俺の答えに、ロウェナは少しだけ残念そうな顔をして、小さく頬を膨らませた。
その日の夕方、俺たちは闘技場の喧騒を離れ、別の静かな酒場で夕食を摂ることにした。
ロウェナの前に温かいシチューとパンを置き、俺は自分の分のエールと、もう一つ、まだ誰も座っていない向かいの席にも同じものを注文する。
店に入った時から、気づいていた。
昨日まで俺たちを尾行していた、あの視線の主が、店の隅の席に座っていることに。
取ってつけたような付け髭と、どう見てもサイズの合っていない外套。
下手な変装が、逆に悪目立ちしていた。
俺は、その男に向かって、くいと顎をしゃくってみせた。
こっちへ来い、という合図だ。
男はビクッと肩を揺らし、観念したように席を立つと、おずおずと俺たちのテーブルへやってきた。
「……何の用だ」
俺が静かに尋ねると、男はもじもじと視線を彷徨わせた。
「その……先日は、どうも」
アポン川の宿場町で、俺に一瞬で組み伏せられた、あの手練れの男だった。
「あんたがたに何かするつもりはなかったんだ。ただ、その……話がしたくて、つい……」
「で、要件はなんだ」
人の多いこの場所なら、下手に手出しはできないだろう。
俺の単刀直入な問いに、男は意を決したように付け髭をぐいっと直し、居住まいを正した。
「実は、あの後、仲間とは縁を切ってきた。元々、あいつらのやり方には愛想が尽きかけていたんでな。あんたとの一件で、踏ん切りがついたんだ」
男はそこまで一気に話すと、ごくりと喉を鳴らした。
「あんたの、あの動き……! 一切の無駄がなく、流れるようで、それでいて鋭い! 俺は、あんな剣技を今まで見たことがない! 一目で、惚れちまったんだ!」
興奮のあまり、男の付け髭が半分剥がれかけている。
俺が呆気に取られていると、男は突然、その場で勢いよく立ち上がった。
そして、周囲の客が何事かと注目する中、派手な音を立てて床に膝をついた。
「どうか! 俺を弟子にしてください! 師匠!」
突然の土下座に、店中の視線が俺たちのテーブルに突き刺さる。
(なぜそうなる……面倒なことになった)
俺は額に手を当て、深い深いため息をついた。
剥がれかけの付け髭をつけた男は、ただひたすらに、真剣な眼差しで俺を見上げている。




