尾行者とため池の宿
アポン川の宿場町を後にした俺たちの旅路は、どこまでも続く川の流れに沿って南へと続いていた。
武具職人の忠告が、頭の片隅で微かな警鐘を鳴らし続けている。
あの男たちが、俺のことを嗅ぎ回っている――。
面倒な連中に目をつけられてしまったのは確かだろう。
俺は内心で警戒の糸を張り詰めさせながらも、ロウェナにはそれを一切悟らせないよう、努めて普段通りに振る舞った。
「ロウェナ、見てみろ。あの鳥、大きいな」
「とり、おっきい」
川面を滑るように飛んでいく水鳥を指差すと、ロウェナも無邪気に言葉を紡ぐ。
その笑顔を見ていると、俺の心に渦巻く警戒心も、少しだけ和らぐ気がした。
川沿いの道は、黒葉の森を抜けてからしばらく続いた平原とは違い、時折、小さな林や岩場が景色に変化を与えてくれる。
朝のひんやりとした空気が、雨上がりの湿った土の匂いを運び、歩を進めるたびに足元の草が朝露で濡れた。
その日の昼食は、川の恵みをいただくことにした。
「ロウェナ、少しここで待ってろ。いま、美味いものを獲ってくる」
俺はロウェナを川岸から少し離れた安全な場所に座らせると、先日買ったばかりの投げナイフを数本、抜き放った。
釣り道具があればもっと楽なのだが、生憎と持ち合わせがない。
(まあ、これも昔の勘を取り戻す訓練だと思えば悪くないか)
俺は水面を凝視し、魚の動きを読む。
きらりと銀色の鱗が翻った瞬間、手の中のナイフが閃光のように飛んだ。
シュッ、と空気を切り裂く音の直後、チャポン、と小さな水音が立つ。
見事、一匹の腹を正確に貫いていた。
同じ要領で、もう二、三匹。
あっという間に、二人分の昼食が確保できた。
焚き火でこんがりと焼いた魚は、皮がパリパリと香ばしく、ふっくらとした白身からはじゅわっと旨味のある脂が滲み出てくる。
ロウェナは、熱いのをふうふうと冷ましながら、夢中でその身を頬張っていた。
「えお、おいしい」
「ああ、美味いな」
そんな穏やかな旅が、二日ほど続いた頃だった。
ふと、何気なく背後を振り返った俺の肌が、ピリリと粟立つのを感じた。
視線だ。
それほど離れてはいない。
だが、殺気は全く感じられなかった。
ただ、じっと、俺たちの動向を観察しているような、そんな粘着質な視線。
(……あの男たちの仲間か? それとも……)
俺はロウェナに気づかれないよう、何でもないふりをして再び前を向いた。
それから数日間、その奇妙な視線は、まるで俺たちの影のように、付かず離れずの距離を保ち続けた。
夜営の時も、食事の時も、常にどこかから見られている。
相手に敵意がない以上、こちらから迂闊に手を出すわけにはいかない。
下手に動けば、ロウェナを危険に晒すことになりかねないからだ。
川面のきらめきが、時折、何かの動きのように見えてしまう。
風で揺れる木々の影に、何度も人影を探した。
張り詰めた緊張を内心に隠しながら、俺はロウェナとの文字の練習を続け、他愛のない話に相槌を打った。
「ロウェナ、今日はどこまで字を覚えたんだ?」
「えど! 『かわ』! 『さかな』!」
俺の緊張に気づく様子もなく、ロウェナは覚えた単語を誇らしげに叫んだ。
そのことが、今の俺にとっては唯一の救いだった。
そして、視線を感じ始めてから四日目の夕暮れ時。
俺たちの目の前に、ようやく次の宿場が見えてきた。
だが、その光景は、俺の想像を遥かに超えるものだった。
街と見間違えるほどに巨大な、巨大な「ため池」が、夕日を浴びて黄金色に輝いている。
そして、その水際に沿うように、びっしり と宿や商店の建物が立ち並んでいたのだ。
「うわ……」
ロウェナも、その壮大な光景に息を呑んでいる。
水面に映る街の灯りが、まるで星空のように揺らめいていた。
乾燥した土地なのだろうか、生活の全てが、この巨大なため池を中心に回っていることが一目で分かった。
俺は、ひとまずの安全地帯にたどり着けたことに安堵のため息を漏らす。
同時に、背後で揺れる気配を、まだ確かに感じていた。
宿に入り、部屋の窓からそっと外の様子を窺う。
もう、あの視線は感じられなかった。
街の雑踏に紛れたのか、あるいは、諦めて去ったのか。
(さて、あの視線の主は……どうするつもりだ?)
俺は警戒を解かぬまま、静かに夜の帳が下りていくため池の街を眺めていた。




