旅立ちの身支度
俺の問いかけに、ロウェナは少し躊躇った後、意を決したように自分の金色の髪を一房ぎゅっと握りしめ、俺に見せた。
それと同時に、もう片方の手で、俺の頭を指差す。
「俺の、頭……?」
きょとんとする俺の手を、ロウェナは小さな手で掴み、ぐいと引っ張って歩き出した。
有無を言わさぬその力強さに、俺は戸惑いながらも、彼女の後をついていくしかない。
ロウェナに連れてこられたのは、街の一角にある、小さな理髪店だった。
そこでようやく、俺は彼女の意図を理解した。俺は無意識に自分の頭を撫でる。
(たしかに……もうずいぶん、髪が伸びたな)
領都を出てから一度も切っていない。衛兵の頃は定期的に整えていたが、今は肩につくほど伸びっぱなしだし、最後に髪を切ったのがいつかも思い出せない。
結局、俺たちは二人並んで、理髪店の椅子に座ることになった。
陽気な店主が、手際よく俺たちの髪を切っていく。
俺は肩まで伸びていた髪を、うなじが見えるくらいの長さにさっぱりと揃えてもらい、いつものように後ろで一つに結んだ。
ロウェナは、不揃いだった毛先を綺麗に切り揃え、肩までの長さの愛らしい髪型になった。鏡に映る自分の新しい髪型を見て、ロウェナはとても嬉しそうで満足気はにかんでいる。
理髪店を出た後、俺はロウェナを連れて露店が並ぶ通りへと向かった。
何軒か見て回り、一つの質素な髪飾りを手に取る。
繊細な葉の模様が手彫りされた、木製の髪留めだ。
「これ、どうだ?」
ロウェナに見せると、彼女は目を輝かせてこくこくと何度も頷いた。
代金を払い、その場でロウェナの髪につけてやる。
小さな髪留めは、彼女の金色の髪によく映えた。
ロウェナは、自分の髪に飾りがついたのがよほど嬉しいのか、その場でくるくると回ってはしゃいでいる。
「よし、じゃあ、せっかく髪も切ったことだしな」
俺はロウェナの手を引き、街に来て最初に行った、あの浴場へと向かった。
以前と同じように個室を借り、湯気の立ち上る湯船を前に、俺はまずロウェナの髪を洗ってやった。
細く柔らかい金色の髪を、指で優しく梳くように洗う。
湯に濡れた彼女の髪は、まるで溶かした金の糸のようだった。
体を洗う段になると、ロウェナはもう俺の手を借りなかった。
最初に宿場で湯を貰った時と比べると、随分と自分のことができるようになったものだ。
俺が自分の体を洗っていると、先に洗い終えたロウェナが、おずおずと俺の背後に回り、小さな手で背中を洗ってくれた。
その小さな手の感触が、なんだか擽ったい。
二人で湯船に浸かり、旅の前して疲れを癒やす。
湯に浮かぶロウェナの体は、相変わらず凹凸のない子供のものだが、初めて森で助けた時のような、痛々しいほどやせ細った感じはもうどこにもなかった。
(……よく、ここまで元気になったもんだ)
そんなことを考えていると、ロウェナがぼうっとした顔で、頬を赤くしているのに気づいた。
今日の湯は、少し熱かったのかもしれない。
「ロウェナ、少しのぼせたか? そろそろ出よう」
俺が促すと、ロウェナはこくりと頷いた。
浴場を後にし、すっかり冷えた夜道を、俺たちは宿へと向かって歩く。
「明日からは、またしばらく風呂に入れない日が続くけど、大丈夫か?」
「食事も、また硬いパンが続きそうだ」
「買い込んだ甘味も、少しずつ食べないとな」
俺の一方的な語りかけに、ロウェナはしっかりと頷き、俺の手を強く握り返してきた。
その夜、俺たちは『黒い短剣』の皆と、宿の食堂で最後の夕食を共にした。
「黒葉の森を抜けた先の街道沿いには、スリープウルフの群れが出るから気をつけな。夜は特に活発になるから、野営する場所は慎重に選ぶんだぞ」
「森の北側には、傷に効く月光草が自生している場所があります。夜に淡く光るのが目印なので、見つけたら少し摘んでおくといいですよ」
「ノーレストは冬になると、道が埋まるくらい雪がすごいんだから。今のうちに出発するのは正解よ」
「ヴァイデに着いたら、絶対『大地の恵み亭』のステーキを食べなきゃ損だよ! 絶品だって有名なんだ!」
ザックはロウェナに怯えられ少し凹んでいるようだった。
ゴードン、ピップ、フィオナ、ライラ。
それぞれが、俺たちのこれからの旅に役立つ情報を、惜しげもなく話してくれた。
名残惜しい宴も、やがてお開きの時間となる。
部屋に戻り、最後の荷物の確認をする。
しまい忘れはない。
ロウェナは、買ってもらったばかりの髪留めをつけたまま、ベッドに潜り込もうとしていた。
「ロウェナ、それは外して寝ないと。壊れたら大変だろ」
俺が言うと、ロウェナは名残惜しそうに髪留めに触れたが、素直に頷いてそれを外し、枕元の小箱に大切にしまった。
明日はいよいよ出発だ。
俺たちは、早めに眠りにつくことにした。




