アデル丘陵へ
翌朝、俺とロウェナは準備を済ませ、宿のカウンターで店主と最後の挨拶を交わした。
「世話になったな、店主さん。これが残りの宿代だ」
「おう。またいつでも泊まりに来な。それに、お嬢ちゃん。これ、持っていきな」
店主はそう言って、カウンターの下から焼き菓子の入った小さな紙袋を取り出し、ロウェナに手渡した。
ロウェナはぱあっと顔を輝かせ、深々と頭を下げてそれを受け取る。
「ありがとうございます。それと、もし『黒い短剣』の皆さんが見えたら、伝言をお願いできますか」
俺はフィオナたちの顔を思い浮かべながら言った。
「『黒葉の森に入る時に世話になったエドウィンだ。おかげでノーレストまで無事にたどり着けた』と」
「あいよ、確かに伝えとくぜ。達者でな!」
店主に見送られ、俺たちはノーレストの街を後にした。
西へ向かう街道は、ノーレストに来る時に通った道と同じように、よく整備されていて歩きやすかった。
なだらかな丘と畑が広がる風景が続き、時折、大きな荷物を積んだ馬車が俺たちを追い越していく。
ロウェナは元気いっぱいで、俺と手を繋いだり、疲れると背中におんぶされたりしながら、楽しそうに歩いていた。
その日の夕方、日が落ちきる寸前に、街道沿いの宿場にたどり着く。
ロウェナはすっかり疲れてしまったのか、俺の背中で静かな寝息を立てていた。
二日目の朝、宿場を出発する時にロウェナに「馬車に乗ってみるか?」と尋ねてみたが、彼女はぶんぶんと首を横に振り、俺の手をぐいと引いて歩き出した。
どうやら、自分の足で歩くのが楽しいらしい。
昨日と同じ様に道を進んでゆく。
しかし、昼食を終えた頃から、空模様が怪しくなってきた。
青空は厚い灰色の雲に覆われ、湿った風が吹き始める。
俺たちは早めに野営の場所を探すことにした。
街道から少し入った、大きな木の下に場所を決めると、同じように雨を警戒したらしい他の商隊も、次々と集まってきて、ささやかな野営地が出来上がった。
ロウェナは、ある商隊の護衛をしていた若い冒険者に懐いたようで、木剣を借りてチャンバラごっこをしてもらっている。
俺も、他の旅人たちと焚き火を囲み、情報交換をしながら静かに夜を過ごした。
三日目の朝、商隊はそれぞれの目的地へと出発していく。
昨夜、ロウェナと遊んでくれていた商隊の御者が、俺たちに声をかけてきた。
人の良さそうな、初老の男だ。
「兄ちゃんたちも、アデル丘陵へ行くのかい? よかったら、途中まで乗っていくかい?」
その申し出はありがたかった。
俺が返事をするより早く、ロウェナは「当然乗ります」と言わんばかりに、荷台の後ろにちょこんと腰掛けていた。
(ちゃっかりしてるな……)
俺は心の中で呆れながらも、御者に礼を言って、その申し出を受けることにした。
商隊は、御者の主人と、若い護衛の二人だけという、こぢんまりとしたものだった。
荷馬車に揺られながら進む道は快適だったが、昼を過ぎると、ついに雨が降り始めた。
ポツポツとした雨粒は、あっという間に激しい土砂降りへと変わった。
御者が荷台の荷物に雨除けのシートを張っている、その時だった。
ザザ……と激しい雨音に紛れて、甲高い奇声が響いた。
「グルッ!」「ギャア!」
ゴブリンだ。
雨で視界が悪い中、森の中から七匹のゴブリンが飛び出してきた。
二匹が御者へ、二匹が護衛へ、そして残りの三匹が、荷台にいる俺たち目掛けて襲いかかってくる。
「ロウェナ、隠れてろ!」
俺はロウェナを荷台の奥へと押し込み、振り返り様に剣を抜いた。
ザシュッ!
飛びかかってきた一匹目を、すれ違いざまに切り捨てる。
返す刃で二匹目の喉を掻き切り、身を翻して三匹目の心臓を正確に貫いた。
ほんの数秒の出来事だ。
続いて、御者に向かった二匹を、荷台から飛び降りながら一閃のもとに切り伏せる。
若い護衛の方を見ると、彼は自力で二匹のゴブリンを倒していた。
なかなかの腕前だ。
「お二人とも、怪我はありませんか!?」
「あ、ああ……助かったよ。ありがとう!」
御者と護衛の無事を確認し、俺はすぐに提案した。
「他の魔物も寄ってくるかもしれません。早めにここを立ち去りましょう」
俺たちは死体を街道脇に転がすと、急いで馬車を走らせた。
道中、御者から何度も感謝されたが、俺は「気にしないでください」と返すだけだった。
急いだおかげで、夕方にはアデル丘陵の麓にある宿場町にたどり着くことができた。
宿場に着く頃には、嘘のように雨も上がっている。
俺たちはそこで商隊と別れた。
何度も礼をしたいと言われたが、乗せてもらった礼だと言いくるめた。
目の前には、雨に洗われた新緑が美しい、アデル丘陵が広がっている。




