迷子の夜と、再会の朝
どれくらいの時間歩いたのだろうか。
疲れ果てて、足が棒のようになった頃、見覚えのある場所に出た。
大きな門。
エドと一緒にこの街に入ってきた場所だ。
あの時、エドは衛兵と話していた。
ここなら…エドが、またここを通るかもしれない。
そんな淡い期待を抱きながら、ロウェナは門の脇にある物陰に、体を小さく丸めた。
もう、体力は残っていない。
張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、ロウェナは深い眠りへと落ちていった。
翌朝、空が白み始め、街の人々が動き出す頃。
ノーレストの街の門では、若い衛兵が、早番として立哨任務についていた。
夜明け前の冷たい空気の中、門の周辺を巡回していると、門の脇の物陰に、小さな人影が丸まっているのを見つけた。
「おい、どうした! こんなところで寝てちゃ駄目だ!」
若い衛兵は、警戒しながら近づいた。
寝ているのは、子供のようだ。
起こそうと肩に触れると、子供はゆっくりと目を開けた。
その顔を見て、若い衛兵はハッとした。
「…あれ!? 君は!?」
先日、エドと一緒に街に入ろうとした、あの言葉を話せない少女だ。
「どうしたんだ? エドウィンさんは一緒じゃないのか?」
少女は、何も言わず、ただ若い衛兵の顔を見上げている。
その瞳は、不安と疲れで揺れていた。
若い衛兵はすぐに状況を察した。
孤児院に預けると聞いていたが、そこから抜け出してきたのだろう。
このまま放っておくわけにはいかない。
「よしよし、大丈夫だ。僕と一緒に来なさい」
若い衛兵は少女の手を取り、門の詰所へと連れて行った。
少女は怯える様子もなく、素直についてくる。
どうやら、自分のことを覚えているらしい。
詰所の中で暖を取らせ、少し水を与えた。
「エドウィンさんは…どこに行ったんだ?」
そう問いかけてみるが、少女は首を横に振るだけだ。
言葉が話せないことを思い出す。
「参ったな…」
若い衛兵は考え込んだ。
とにかく、この少女を保護したことを、関係者に連絡しなければならない。
孤児院に連絡すべきだろう、もしかしたら、エドさんも探しているかもしれない。
あの人は『金色の秤亭』に行くと言っていたな。
若い衛兵は、孤児院と『金色の秤亭』の両方に、少女を保護したことを連絡する手配をした。
その頃、エドは『金色の秤亭』の部屋にいなかった。
ロウェナを孤児院に預けた後、どうにも落ち着かなかったエドは、朝早く目が覚めていた。
そんな時、孤児院からシスターがやってきてロウェナが夜のうちにいなくなったことを聞かされた。
血の気が引いた。
まさか。
安全な場所に預けたはずなのに、俺が離れたことで、かえって危険な目に遭わせてしまっているのかもしれない。
危機感が、胸の中で激しく燃え上がった。
迷っている時間はない。
エドはすぐに街の中を探しに出た。
言葉が話せないロウェナが、一人でどこへ行くというのか。
街のどこかで迷子になっている可能性が高い。
大通り、市場、人通りの多い場所を重点的に探す。
見回りの衛兵にも、それとなく尋ねてみる。
時間だけが過ぎていく……
昼近くになり、一度『金色の秤亭』に戻った時、宿の主人から若い衛兵からの伝言を聞かされた。
「衛兵さんから伝言だぜ。お前さんの探してるらしい女の子を、門の詰所で保護したってよ」
その言葉を聞いた瞬間、エドの全身から力が抜けた。
同時に、安堵の波が押し寄せる。
良かった。
無事だった。
「ありがとうございます!」
主への礼もそこそこに、エドは再び宿を飛び出し、門の衛兵詰所へ向かって全力で駆け出した。
街の人々の間を縫うように、石畳の上を疾走する。
(……ロウェナ…)
その名前が、心の中で繰り返される。
衛兵詰所の前に辿り着いた時、扉の隙間から、中にロウェナの姿が見えた。
若い衛兵の隣に座っている。
その顔は、少し汚れてはいるが、無事だ。
エドは迷わず詰所の扉を開けた。
ガチャリ、と扉が開いた音に、ロウェナが顔を上げた。
そして、エドの姿を認めると…
「え、え、お…!」
声にならない、震えるような、しかし確かにエドの名を呼ぼうとするか細い声が聞こえた。
ロウェナは、椅子から飛び降り、一目散にエドの元へ駆け寄ってきた。
エドは両腕を広げて、その小さな体を受け止める。
ドシン、と小さな体がエドの胸に飛び込んできた。
ロウェナはエドにしがみつき、子供のように、ワァワァと声を上げて泣き始めた。
その泣き声は、悲しみだけではない。
安堵と、再会の喜びと、そして…もう二度と離れたくない、という必死な思いが込められているように感じられた。
エドは、ロウェナの小さな背中を、優しく、何度も撫でてやった。
「大丈夫、大丈夫だよ」
そう繰り返す。
この泣き声を聞いて、エドは痛いほど理解した。
この子が、どれほど自分を必要としているのかを。
孤児院に預ける、という選択が、この子にとってどれほど耐え難いものだったのかを。
この子を一人にしておくことは、自分にはもうできないのだと。
面倒だ、とか、自由がなくなる、とか、そんなことはどうでもよくなった。
俺が、この子を守る。
俺が、この子と一緒にいる。
それが、自分が選んだ結果なのだ。
あの森で、ロウェナを助けると決めた時点で、もう道は一つに繋がっていたのかもしれない。
エドは、しがみついて泣くロウェナをしっかりと抱きしめ返した。




