金色の秤亭にて
おばあさんに教えてもらった道を辿り、俺とロウェナは目的の宿屋にたどり着いた。
看板には確かに、金色の天秤の絵が描かれている。
『金色の秤亭』
見た目も、他の宿屋より少しだけ立派に見える。
扉を開けて中に入ると、そこは予想以上に広く、天井も高い。
多くの旅人らしき人々がテーブルについて食事をしたり、酒を飲んだりしている。
活気があるが、どこか落ち着いた雰囲気だ。
カウンターには、商隊の人から話を聞いた通りの、変わり者…かどうかは分からないが、人の良さそうな恰幅の良い男が立っていた。
彼が宿の主人だろう。
「すみません」
俺が声をかけると、主人はニコリと笑ってこちらを見た。
そして、俺の左肩に縛り付けている、巨大なドレイクの尻尾に目を留めた。
主人の目が、丸くなった。
「こ、これは…ドレイクの尻尾じゃねえか! こんな大物を、どこで手に入れたんだい!?」
噂通りの反応だ。やはり珍しいものに目が無いらしい。
「黒葉の森で、運良く手に入れまして」
俺は簡潔に答えた。
そして、本題に入る。
「実は、この尻尾を買い取っていただきたいんですが…それと、そのまま数日、泊めていただけませんか? この子と二人で」
主人は目を皿のようにして尻尾を見つめ、そしてロウェナを見た。
少し考え込んだ後、ニッと笑った。
「面白い! いいだろう。こんな珍しいモンをこの目で見る機会なんて、そうそうねえからな! 買い取らせてもらおう!」
話が早い。助かる。
ドレイクの尻尾の買い取り額は、予想していたよりもずっと多かった。
小袋がいくつか必要なくらいの金貨だ。
それに、主人は興奮冷めやらぬ様子で言った。
「ドレイクの尻尾の礼だ! 滞在中の宿代は、少しサービスさせてもらうよ! いやぁ、いいものを見せてもらった!」
ラッキーだ。
余計な値切り交渉とか、面倒な手間が省けた。
宿代を差し引いた分の代金を受け取り、俺はそのまま数日分の部屋を予約した。
これで、しばらくは安心してノーレストの街で過ごせる。
部屋は予想通り綺麗で、広さも十分だった。
旅の疲れを癒やすには最適だ。
ロウェナも、綺麗な部屋に目を輝かせている。
荷物を部屋に置くと、俺はすぐに主人に声をかけた。
「宿の近くに、湯に入れる場所はありますか? できれば、ゆっくりできるところが…」
主人は頷いた。
「それなら、少し値は張るが、個室の浴場があるよ。湯も綺麗だし、疲れも取れるだろう」
値が張っても構わない。
旅一番の贅沢だ。
背負ってきたドレイクの尻尾の代金もある。たまには、こういうのもいいだろう。
個室浴場は、予想以上の快適さだった。
広い湯船に、清潔な脱衣所。
ふう、と息を吐き出し、ゆっくりと湯に浸かる。
森の中での野営や、慌ただしい移動で溜まった体の疲れが、湯の温かさでゆっくりと溶けていくようだ。
ロウェナも、湯船の中で気持ちよさそうに手足を動かしている。
そして、湯に浮かぶロウェナの金髪が、湯の明かりに照らされて、キラキラと輝いていた。
代官騎士様が話してくれた、輝く髪のお姫様のようだ。
風呂から上がると、体も心もすっかり軽くなっていた。
さあ、街へ出よう。
ロウェナに、美味しいものと甘いものを食べさせてやる番だ。
街へ繰り出し、まずは焼き菓子屋を探した。
商隊の人にもらった焼き菓子が相当気に入っていたようだから。
出来立ての、色々な種類の焼き菓子を買い、ロウェナに好きなだけ選ばせてやる。
目を輝かせながら選ぶロウェナを見ていると、こちらも嬉しくなる。
そのまま、街をぶらぶらと散策する。
大道芸人を見つけたり、珍しい香辛料を売る店を覗いたり。
ロウェナは何もかもが新鮮なようで、片時も俺から離れず、好奇心いっぱいに周りを見ている。
露店で、見たこともない菓子を見つけた。
主人の説明によると、遠い南方の国から来た『チョコレート』というものらしい。甘くて、少し苦味がある、という説明に興味を惹かれた。
少し値が張ったが、これも旅の経験だ、と一つ買ってみる。
ロウェナにも分けてやると、不思議そうな顔で口に含み、そして、目を丸くして頷いた。
美味しい、ということだろう。
さらに歩くと、果物屋の店先に、蜜漬けの瓶が並んでいた。
中でも、桃の蜜漬けは、高級品らしい。
瓶の中で琥珀色に輝く桃は、見ているだけで美味しそうだ。
これも少しだけ買ってみた。
口に入れると、とろけるような甘さと、桃の豊かな香りが広がる。
ロウェナも、一口食べて、うっとりとした顔になった。
武具屋にも立ち寄った。
旅立つ前から使っている防具はくたびれて限界を感じたのだ。
新しい革鎧を注文することにした。
採寸してもらい、完成には数日かかると言われたので、後日受け取りに来ることにする。
ついでに、愛刀の手入れも依頼した。
ドレイクと戦った時の些細な傷も、専門の職人に見てもらえば安心だ。
ノーレストでの時間は、穏やかに過ぎていった。
午前中は武具屋や商店を見て回り、午後はロウェナと街を散策したり、公園のような場所で休んだりした。
夜は宿屋の食堂で温かい食事を摂る。
旅に出てから、こんなにもゆっくりと過ごしたのは初めてかもしれない。
宿の部屋で、二人で焚き火…ではない、小さなランプの明かりの下で過ごす夜。
ロウェナは新しい服を着て、小さな背囊を枕元に置いている。
俺は、武具屋で買ったばかりの手入れ道具で、短刀を磨いていた。
静かな時間。
「……えお」
突然、微かな声が聞こえた。
俺は手を止め、ロウェナの方を見る。
ロウェナは、俺の顔をじっと見つめている。
「え…?」
もう一度聞こうとした、その時。
「……えお…」
再び、ロウェナが、か細い声で、言葉を紡ごうとした。
それは、俺の愛称。「エド」という音に近い。
驚きと、そして、どうしようもなく込み上げてくる嬉しさ。
俺は思わず、短刀を磨く手を止めた。
ロウェナが、俺の名前を呼ぼうとしてくれた。




