ノーレストの門にて
遥か遠くに見えていた街並みが、いよいよ目の前に迫ってきた。
城壁は高く、頑丈そうで、門も複数の兵によって守られている。
これまで立ち寄ったどんな宿場や村とも比べ物にならない規模だ。
これが、ノーレストの街。
代官騎士様が話していた王都ほどではないだろうが、かなりの賑わいを見せているに違いない。
門の手前には、旅人や商人が列をなしていた。
街に入る為に俺たちも列に並び、順番を待つ。
ロウェナは、初めて見る大きな街の門に、目を丸くしている。
やがて、俺たちの番が来た。
衛兵は皆、規律正しく、どこか威圧感がある。
領都の衛兵とは随分違うな、などと考えながら、俺は彼らの指示に従った。
「荷物を検める。背囊を開けろ」
淡々とした口調だ。
言われるがままに背囊を下ろし、蓋を開ける。
中身を確認した衛兵が、次に俺の左肩に縛り付けている、巨大なドレイクの尻尾に目を留めた。
「…これはなんだ?」
その衛兵の隣に立っていた、少し若そうな衛兵が、興味と同時に警戒の眼差しを向けてきた。
「ドレイクの尻尾です」
俺は正直に答えた。
嘘をついても仕方がないし、隠せるようなサイズでもない。
衛兵達は驚いた顔で俺を見上げる。
「ドレイク!? あの!? どうやって手に入れたんだ?」
「ああ、黒葉の森で、こいつと遭遇しましてね」
俺は隣に立つロウェナを指差した。
ロウェナは、じっと俺たちのやり取りを見ている。
「この子が、森の中で何かに追われていたんです。俺が見つけて保護したんですが、その追いかけていた『何か』が、このドレイクだった」
「運が良いのか悪いのか、そいつは既に手負いだったようで。それでもかなり手強くて…まあ、必死に逃げ回りながら戦って、たまたま弱点を突くことができたんでしょうね、尻尾を切り落としたら撃退することができました」
偶然、たまたま、必死に逃げ回って。
あくまで、凄腕の剣士が魔物を討伐したわけではない、ただの旅人が運良く生き延びた、というニュアンスで話す。
単独でドレイクに致命傷を与えたなんて、正直に言っても信じてもらえないだろう。
面倒なことになるだけだ。
「手負いだったとはいえ、ドレイクを…一人で、ですか?」
若い衛兵はまだ疑っているようだった。無理もない。
「ええ、まあ。ほら、これ。森の中で拾ったんですが、黒葉の森の地図みたいです」
俺は背囊から人攫いの小屋で見つけた森の地図を取り出し、若い衛兵に軽くひらひらと見せた。
正確には、見せつける、という感じだ。
これで少しは信用してもらえるだろう。
明らかに詳細な地図を見た若い衛兵は、さらに驚いた顔になった。
「こ、これは…」
「で、まあ、この子を一人で置いていくわけにもいかないんで、街まで連れてきたってわけです」
話を締めくくる。さて、どう出るか。
若い衛兵は地図から目を離し、俺とロウェナ、そしてドレイクの尻尾を交互に見比べる。
そして、意を決したように言った。
「分かりました。少々お待ちください。上司を呼んで参りますので、あちらの詰所で待っていていただけますか? 」
まあ、そうなるだろう。面倒だが、仕方ない。
「分かりました」
俺は頷き、ロウェナの手を引いて、案内された詰所の中に入った。
質素な部屋で、長椅子がいくつか置いてあるだけだ。
ロウェナと一緒に長椅子に腰掛け、静かに待つ。
ロウェナは不安そうな顔で、俺に寄り添ってきた。
しばらくして、扉が開く。
若い衛兵と共に部屋に入ってきたのは、鎧を着込んだ、いかにも経験豊富そうな中年衛兵だった。
彼がこの門の責任者だろう。
「話は若い者から聞いた。貴殿が、黒葉の森でドレイクと遭遇し、撃退したと?」
上司の言葉は簡潔だ。
俺はまっすぐその目を見て答える。
「間違いありません」
「この地図は?」
地図を指差す。
「森の奥にあった、壊れた小屋の中から見つけました。この森の詳細が載っていて、助かりました」
俺は地図を広げ、上司に見せた。
上司は地図を一目見て、その詳細さに驚いたようだった。
「これは…! よくこんなものを見つけられたな。それで、ドレイクと遭遇した場所と、その小屋の場所を教えてもらえるか? 」
俺は地図の上で、大体の場所を指差した。
ドレイクと戦ったのは街道沿い。
小屋はそこから外れた場所だ。
「正確な場所は、この地図でないと説明しづらいですね。申し訳ありませんが、この地図は旅の途中なので、お渡しすることはできません。ですが、もし必要でしたら、写しを取っていただいて構いませんよ」
この地図は、旅を続ける上で非常に役に立つ。
人攫いが使っていたものだから、街道に載っていない情報も含まれている可能性がある。
おいそれと手放すわけにはいかない。
上司は少し考えた後、頷いた。
「写しか…よし、分かった。では、少し待っていてくれ。この地図の詳細を確認させてもらう」
そして、若い衛兵に地図を渡して何か指示を出した。
「ところで、この少女についてなんだが…」
俺はロウェナに、ここで少し待っているように伝えた。
ロウェナは不安そうだったが、頷いてくれた。
俺は上司に声をかけ、部屋を出ての隅の方へ移動した。
ロウェナに聞こえないように、声を潜める。
「実は、この子には帰る場所がないんです。森で一人だったところを保護しました。話すことも、あまり得意ではないようで…」
ロウェナが話せないこと、そして孤児であることを説明する。
今後のことを相談したい、と正直に伝えた。
上司は俺の話を黙って聞いていた。
そして、俺の顔と、部屋の中でじっと座っているロウェナの顔を交互に見た。
「なるほど…帰り先のない子供、か」
少し考え込んだ後、上司は懐から紙とペンを取り出した。
「この街にも、孤児院がある。そこでなら、この子を預かってもらえるだろう。私が紹介状を書いてやろう」
思いがけない申し出だった。
衛兵の職務とはいえ、ここまで親身になってくれるとは。
「ありがとうございます。助かります」
俺は素直に礼を言った。
これで、ロウェナの居場所は確保できる。
上司が紹介状を書いている間、若い衛兵がロウェナのそばに歩み寄っていた。
どうやら、地図の写し取りは彼に任されたらしい。
彼は地図から目を離し、ロウェナに話しかけ始めた。
ロウェナは初めは戸惑っていたが、若い衛兵が剣の柄に付けていた小さな飾りに興味を示し、二人はすぐに打ち解けたようだった。
言葉は通じなくとも、身振り手振りで、衛兵はロウェナを笑わせている。
その光景を見て、俺は少しだけ安心した。
上司から紹介状を受け取り、地図も返してもらった。
感謝の言葉を伝え、俺はロウェナを迎えに行った。
若い衛兵に手を振って別れを告げるロウェナの手を引く。
「行こう、ロウェナ。街に入るぞ」
ロウェナは、俺の言葉に頷き、小さな手で俺の手を握り返した。
ノーレストの大きな門をくぐる。
賑やかな街の喧騒が、耳に飛び込んできた。
たくさんの人々の話し声、荷馬車の軋む音、商店の呼び込みの声。
活気に満ち溢れている。
さて、まずはどこへ行こうか。孤児院に行くのは、ロウェナに少し街を見せてからでも遅くはないだろう。
商隊から聞いた『金色の秤亭』も気になる。ドレイクの尻尾は、重くて邪魔だ。
大きな街の入口で、俺とロウェナは立ち止まった。




