暴走する鉄塊と、路地裏の攻防
翌朝、俺たちは冒険者ギルドへ向かう前に、市場へ買い出しに出た。
カレドヴルフの朝は早い。だが、今日は活気というよりも、どこか刺々しい空気が漂っていた。
「おい、邪魔だぞ! もっと端を歩け!」
「ああん? こっちこそ荷物を運んでるんだ、お前が避けろ!」
通りでは、些細なことで口論になっている職人や商人の姿が目立つ。
普段なら「お互い様」で済むような接触でも、今のこの街の人々は妙に気が立っているようだった。
「……この暑さだ、イライラするのもわかるが、少し様子がおかしいな」
俺は額の汗を拭いながら呟いた。
地面からの照り返しだけでなく、空気そのものが熱を持って肌にまとわりついてくる。
「あつい~……とけちゃう……」
ロウェナが完全にバテてしまい、俺の影に隠れるようにして歩いている。
「ほら、さっき買った『冷却布』だ。首に巻いておけ」
俺は道具屋で仕入れたばかりの青い布を取り出した。
錬金術で作られた特殊な薬液に浸されており、長時間ひんやりとした冷たさを保つ優れものだ。
それを首に巻いてやると、ロウェナは「はぁ~、いきかえる~」と安堵の息を吐いた。
「クリス、調子はどうだ?」
「悪くないです。……ただ、少し背中が重いですけど」
クリスが苦笑する。彼の背中には、昨日手に入れたばかりの槍が背負われている。
剣よりも長く、重量もあるが、その負担すら心地よい緊張感に変わっているようだった。
その時だ。
ガシャァァァン!!
前方の通りから、何かが激しく砕ける音と、人々の悲鳴が響き渡った。
「きゃああああ!」
「逃げろ! 自律鎧が暴走したぞ!!」
雑踏が割れ、人々が逃げ惑う。
その向こうから姿を現したのは、全高二メートルほどの鉄の巨人だった。
自律駆動鎧。
本来は鉱山での重作業や危険地帯の探索に使われる、魔導制御されたゴーレムの一種だ。
だが、今のそれは明らかに制御を失っていた。
太い鉄の腕をデタラメに振り回し、露店の屋台をなぎ倒しながら、逃げ遅れた人々の方へと進んでいく。
「止まれ! 止まるんだ!」
街の衛兵たちが駆けつけ、剣や槍で応戦する。
しかし、作業用に分厚く作られた装甲は生半可な攻撃を弾き返す。
「くそっ、硬すぎる! 刃が通らねえ!」
金属音が虚しく響く中、ゴーレムは赤く目を光らせ、衛兵の一人を殴り飛ばそうと腕を振り上げた。
「やるぞ、クリス! 被害が広がる前に止める!」
「はい!」
ロウェナを担ぎ、俺は人混みをかき分けて前に出ると、落ちていた盾を拾い強く打ち鳴らした。
ガンッ!ガンッ!
「こっちだ、鉄クズ! 相手をしてやる!」
挑発に乗ったゴーレムが、ギギギ、と首を回して俺を捕捉する。
俺はそのまま踵を返し、大通りから外れた路地裏へと走った。
狙い通り、ゴーレムはドシンドシンと地響きを立てて俺を追ってくる。
「よし、ここなら!」
俺が誘い込んだのは、荷車のすれ違いも難しいような狭い路地だ。
両側を石造りの工房に挟まれたこの場所なら、奴も自慢の豪腕を振り回せない。
だが、それはこちらも同じだ。
「狭い……! エドさん、これじゃ剣が振れません!」
追いついてきたクリスが叫ぶ。
剣術、特に威力のある斬撃を繰り出すには、刃を振るう空間が必要だ。
この狭さでは、剣が壁に当たってしまう。
「だからこそだ! クリス、お前の武器ならどうだ!?」
俺は盾を構え、突進してくるゴーレムを受け止める体勢を取った。
クリスの目が、ハッと見開かれる。
「……行けます!」
彼は背中の槍を引き抜いた。
剣のように横に振る必要はない。
槍に必要なのは、標的へ向かう直線だけだ。
ズドンッ!
ゴーレムの拳が俺の盾に叩きつけられる。
重い衝撃が腕に走るが、俺は足を踏ん張って耐えた。
その横から、疾風のような影が走る。
「ふっ!」
カッ!
クリスの槍が、ゴーレムの脇の下――装甲の継ぎ目を正確に貫いた。
「ギ……ガ……!?」
ゴーレムが動きを止める。
本来なら剣士が踏み込めない間合い。
だが、槍のリーチは、敵の攻撃範囲の外から一方的な攻撃を可能にしていた。
さらに、路地の悪路も関係ない。
船の上で鍛えられたクリスの体幹は、瓦礫の散らばる狭い足場でもビクともしない。
下半身を安定させ、突き出される「点」の衝撃。
カンッ、カンッ、ズボォッ!
二撃、三撃。
正確無比な突きが、ゴーレムの膝関節を破壊し、姿勢を崩させる。
「今だ、トドメを刺せ!」
「はあああっ!」
クリスが鋭い気合いと共に、渾身の一撃を放つ。
狙うは胸部。
分厚い装甲板の奥にある動力炉だ。
切っ先が装甲をこじ開け、その奥にある魔石ごと中枢を貫いた。
ブシュゥゥゥ……。
蒸気が抜けるような音と共に、ゴーレムの赤い目の光が消え、その巨体がどうと前に倒れ込んだ。
「……やったか」
俺は盾を下ろし、息を吐いた。
クリスも槍を引き抜き、手応えを確認するように拳を握っている。
狭所での立ち回りと、硬い敵への刺突。
槍という武器の真価が、この一戦で証明された形だ。
しばらくして、騒ぎを聞きつけた持ち主の職人と衛兵たちが駆けつけてきた。
「あ、ああ……すまない、助かった! 怪我人はいないか!?」
職人は蒼白な顔でゴーレムに駆け寄った。
「俺たちは平気だ。しかし、どうなってんだ? 整備不良か?」
「そ、そんな馬鹿な! 今朝、火を入れたばかりだぞ。魔力回路にも異常はなかったはずなのに……」
職人は信じられないといった様子で、機能停止したゴーレムの胸部装甲を開いた。
「なっ……なんだこれは!?」
彼が驚愕の声を上げる。
俺も横から中を覗き込み、眉をひそめた。
動力炉の周辺にある制御部品が、ドロドロに溶けて固まっていたのだ。
「部品が溶けてる……? 耐熱処理されたミスリル合金だぞ?」
「ああ。どうやら、内部で異常な高熱が発生したみたいだな」
俺は装甲に触れてみた。まだ火傷しそうなほど熱い。
単なる魔力暴走やオーバーヒートの熱量ではない。
部品そのものを融解させるほどの熱が、突発的に発生したとしか思えなかった。
「……ただの故障じゃなさそうだな」
俺は顔を上げ、街の方角を見渡した。
相変わらず、じりじりとした熱気が通りを包んでいる。
昨日の大溶鉱炉の圧倒的な熱量。
今日の街の人々の、妙なイラつき。
そして、耐熱合金すら溶かす暴走事故。
すべてが、見えない「熱」で繋がっているような気がしてならなかった。
「エドさん……」
クリスも不安そうに俺を見る。
彼の手には、頼もしい相棒がある。
だが、これから俺たちが直面するのは、単に硬いだけの敵ではないかもしれない。
「警戒を強めるぞ。この街は今、何らかの『熱病』にかかってる」
俺の言葉に、クリスは槍を握り直し、小さく頷いた。
カレドヴルフの空には、今日も赤い煙が不気味に棚引いていた。




