大溶鉱炉の熱と、衛兵直伝の槍
工房での約束の時間である夕方まで、俺たちはカレドヴルフの観光に出ることにした。
昨晩、酒場でドワーフたちに教わったこの街一番の名所――『大溶鉱炉』へ向かうためだ。
街の中心部へと近づくにつれ、ただでさえ高い気温が、さらにじりじりと肌を焼く熱気へと変わっていく。
そして、広場を抜けた先。
俺たちの視界を、圧倒的な「黒」と「赤」が覆い尽くした。
「うわぁ……! おっきいー!」
ロウェナが口をあんぐりと開けて空を見上げる。
そこには、天を衝くほどの巨大な塔がそびえ立っていた。
黒鉄で作られたその塔は、まるで太古の巨人が置き忘れた槍の穂先のようだ。
表面には無数の配管が血管のように這い回り、蒸気を噴き出している。
だが、何よりも目を奪うのは、その足元だ。
塔の根元にある巨大な排出口から、ドロドロに溶けた鉄が、まるで溶岩の川のように流れ出しているのだ。
眩いオレンジ色の光を放つ液体金属が、専用の耐熱水路を通り、幾筋もの支流に分かれて街の各区画へと運ばれていく。
ゴオオオオオオ……。
地響きのような唸り声は、この巨大な炉が呼吸をしている音だという。
「す、すごい……。これが、人の手で作られたものなんですか……?」
クリスが圧倒され、言葉を失っている。
「ああ。この『大溶鉱炉』こそが、武器や道具の素を生み出す心臓部みたいだな」
俺は流れ落ちる鉄の川を見つめながら言った。
「この熱が、鉄を溶かし、不純物を取り除き、強靭な鋼へと変える。……俺たちがここまで旅してきた道のりと同じだな」
「え?」
「何度も熱せられ、叩かれて、少しずつ強くなる。ここにある熱量は、積み重ねてきた歴史そのものってわけだ」
俺たちの旅も、気付けば随分と遠くまで来たものだ。
リューベックを出て、海を渡り、荒野を越え、こうして鉄の都に立っている。
100にも及ぶであろう、大小様々な出来事を乗り越えてきた俺たちの足跡が、この重厚な鉄の塔と重なって見えた。
「積み重ねてきた、強さ……」
クリスは何かを噛み締めるように、真剣な眼差しで溶鉄の輝きを見つめていた。
ひとしきり『大溶鉱炉』を見学した後、俺たちは近くにある、冒険者向けに開放されている修練場へと移動した。
地面は踏み固められた赤土で、周囲には木製の人形がいくつか立てられている。
「さて、夕方まで少し時間がある。さっき借りた槍を試してみるか」
「はい!」
クリスは、老ドワーフから借り受けた試作品の槍を構えた。
長さはおよそ二メートル強。
穂先は鋭く、柄は黒く塗装された鋼鉄製だ。
シュッ、とクリスが突きを繰り出す。
だが、切っ先はわずかにブレ、狙った人形の急所から逸れた。
「うーん……やっぱり、剣とは勝手が違いますね。長くて、間合いが難しいです」
クリスは困ったように眉を下げた。
「どうしても、剣の癖で『踏み込んでから振ろう』としちゃいます。槍の長さを持て余してるというか……」
「貸してみろ」
俺はクリスから槍を受け取った。
ずしりとした重み。
だが、バランスは悪くない。
「エドさん、槍も使えるんですか?」
「ああ。昔、衛兵をやっていた頃にな」
俺は懐かしさを感じながら、槍を回して感触を確かめた。
「衛兵の基本装備は槍だ。暴れる酔っ払いや、街に入り込んだ魔物を制圧するのが仕事だからな。相手を自分に近づけさせず、安全圏からチクチク突く。……地味だが、実戦的な武器だ」
俺は足を肩幅に開き、腰を落として構えた。
剣のように華麗に構えるのではない。
半身になり、的を小さくする。
「いいか、クリス。槍は腕で突くんじゃない」
「え?」
「足で突くんだ」
ダンッ!
俺が右足で地面を蹴った瞬間、槍の穂先が弾丸のように突き出された。
風切り音と共に、木人の喉元を正確に貫く。
そして次の瞬間には、すでに槍は引き戻され、元の構えに戻っていた。
「腕力で押し込むと、外した時に隙ができる。下半身のバネを使って、体全体で押し出し、すぐに引く。……やってみろ」
俺は槍をクリスに返した。
クリスは槍を受け取り、俺の言葉を反芻する。
「足で突く……体全体で……」
彼は深く息を吐き、腰を落とした。
その時、ふと彼の中で何かが繋がったようだった。
「……そっか。これって、あの時と同じだ」
「ん?」
「船の上ですよ。嵐の中で料理をしていた時の感覚です」
クリスは目を閉じ、揺れる甲板をイメージする。
足場は不安定。油断すれば転倒する状況下で、スープをこぼさず、指を切らないように包丁を使うにはどうすればいいか。
――足を大きく開き、地面を掴むように踏ん張る。
――上半身の力は抜き、腰から下の安定感だけを頼りに、手先を精密に動かす。
「……フッ!」
カッ!
クリスの身体がブレることなく前方へスライドし、鋭い突きが空を切った。
先ほどとは比べ物にならない、芯のある突きだ。
「ほう……!」
俺は思わず声を上げた。
教えたばかりの「足で突く」感覚を、自分の経験――料理人としての身体操作に落とし込み、一瞬でモノにしたのだ。
「すごい……! エドさん、これ、すごくしっくりきます!」
クリスが興奮したように顔を上げる。
「剣を振っていた時は、どうしても上半身の力に頼りがちでした。でも、この動きなら、僕が船で培ったバランス感覚をそのまま武器に乗せられます!」
「飲み込みが早いな。……そいつは、剣よりも厄介な武器になりそうだ」
俺は頼もしくなった弟子の姿に、ニヤリと笑った。
夕方。
俺たちは再び、裏通りの古びた工房を訪れた。
「おう、来たか。剣なら直ってるぞ」
老ドワーフが無造作に作業台を指差す。
そこには、新品同様に磨き上げられたクリスの剣が置かれていた。
刃こぼれは消え、刀身は鏡のように輝いている。
「見事なもんだ。いい腕だな、親父」
「はんっ、当然だ」
クリスは剣を手に取り、その輝きを確認してから、静かに鞘に収めた。
そして、それを腰のベルトに吊るす。
――ただし、予備の武器を吊るす位置に。
「どうだ坊主。世界が変わって見えたか?」
老ドワーフが、試作品の槍を持つクリスを見て、意地悪く笑う。
クリスは深く頷き、真っ直ぐに職人を見返した。
「はい。エドさんにコツを教わって……まるで、腕が伸びて世界が広がったみたいです」
そして、彼は槍を強く握りしめた。
「親父さん。この槍、譲ってください。……僕、これからはこいつで戦います」
その言葉に、老ドワーフは満足げに髭を揺らした。
「いい目だ。……よし、持ってけ! 試作品だから安くしといてやるよ」
「ありがとうございます!」
さらにドワーフは、「お前さんの背丈に合わせてバランスを変えてやる」と言い、その場で石突の重さを調整してくれた。
こうして、クリスは正真正銘、自分のための「槍」を手に入れたのだ。
工房を出ると、あたりはすっかり夜の帳が下りていた。
だが、カレドヴルフの夜は明るい。
大溶鉱炉の赤光が雲に反射し、街全体を幻想的に照らしている。
背中に新しい相棒を背負ったクリスに、俺は声をかけた。
「剣士じゃなくなるのが寂しいか?」
「いいえ」
クリスは清々しい顔で首を振った。
「剣で学んだことも、無駄じゃありませんから。それに……槍なら、エドさんの背中越しに援護できます。もっと頼ってくださいね、相棒」
以前よりも一歩引いた位置から、より広く戦況を見て、俺を支える。
それは、クリスが見つけた新しい戦い方であり、俺たちパーティの新しい形だった。
「ああ、頼りにしてるぜ」
俺は笑って、相棒の肩をバンと叩いた。
「くりす、つよくなった?」
足元でロウェナが見上げてくる。
「ああ、強くなるよ。ロウェナも守れるようにな」
クリスが優しくロウェナの頭を撫でる。
俺は二人の頭をまとめてポンポンと撫で回し、大通りへと歩き出した。
「さて! いい武器も手に入ったし、記念にもう一杯やりに行くか!」
「えど、またのむのー? こんどはわたしものむ!」
昨日の失敗も忘れて、ロウェナが拳を突き上げる。
「「それはダメだ!!」」
俺とクリスの声が綺麗に重なり、俺たちは顔を見合わせて吹き出した。
笑い声が、鉄と炎の匂いがする夜風に溶けていく。
100の夜を超えて、俺たちの旅はまだ続いていく。
新たな武器と、より強固になった絆を携えて、俺たちはカレドヴルフの熱気の中を歩き始めた。
今回のお話で丁度100話目になりました。
記念なので少し意識して書きましたが、まだまだ旅は続きます。
これからもよろしくお願いします。




