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UP TO YOU  作者: 来生尚
8/14

 病院は時間が掛かると思ったので、運転手の人にも申し訳ないから待たなくていいと伝えたのに、やんわりと拒絶されて、今何故か病院のコーヒーショップの前。

 最近の病院はホテルみたいにキレイで、中にコーヒーショップまであるからすごい。

 でもコーヒー飲んでいいのかな。どうなんだろう。

 これでまた飲んで具合悪くなるといけないから、野村くんに確認しとこうかな。


「すみません、ちょっと電話してきていいですか?」


「仕事ですか?」


 仕事、ではないんだけれど、でもそう言ったほうが良いかな。


「……ちょっと確認したい事があるので」


「わかりました」


 離れることにほっとして、携帯電話通話可能エリアまで移動する。

 コーヒーショップ自体が入口の傍にあるので、病院の正面玄関を出るのが一番早そうだ。

 ふと視線を感じて振り返ると、川西さんと目が合う。

 本当にこんな人が私に一目惚れ?

 離れて見ると、余計に規格外のイケメンだと意識してしまう。

 やっぱり何かの間違いにしか思えない。

 遠目でもわかるように頭をぺこりと下げ、正面玄関の自動扉の向こう側へと出る。


 スマホの履歴から、野村くんの名前を押す。

 普段めったにかけないのに、最上位にいる。

 後輩なのに、最近本当に頼りっぱなしだなぁ。

 何度かコール音がして、ほどなく野村くんの声が耳に届く。


『おつかれさまっす。どうしたんですか?』


「今忙しい?」


『忙しくはないっすけど。ちょっと待ってくださいね。……加山さん、俺ちょっと席はずします』


 電話の向こうから、加山さんの「わかりました」という無機質な声も届き、なんだかいつもどおりの光景が頭に浮かんでほっとする。

 今の状況が非日常的過ぎて、二人の声に現実が戻ってくる感じがした。

 地に足が着く感じ。

 フワフワと落ち着かなかったのが、いつもどおりの自分に戻れる。


『どうしたんすか? 病院で何かありました?』


「ううんー。診察はまだこれから。診察時間までかなりあるから、コーヒーショップで時間潰そうと思ったのね」


『症状伝えても、早めに診察はしてくれなかったですか?』


「今は結構落ち着いてるんだ。座ってればひゅーひゅー言わないし。それに担当医の先生が席を外してるんだって」


『緊急性が無いくらい、症状が落ち着いてるって事ですね。それは良かったです。で、どうしました?』


「んーっと」


 視線を病院内に向けると、ぱちっと川西さんと視線が合う。

 ずっとこっちを見ていたのだろうか。

 そう思ったら、かーっと頬が熱くなった。

 さっきあんなに冷静に一目惚れだなんだと話していた時よりもずっと、今のほうが感情的に見えたから。

 その感情が自分に向けられたものだと思うと、すごく落ち着かない。

 もう何年も、そんな感情が自分に向けられた事なんて無かったから。


『田島さん?』


「あっ。ごめんごめん」


 野村くんの声で現実に戻り、病院内に背を向け、バスロータリーに目を移す。

 少しでも頬の赤みを消しておかないと、恥ずかしくて川西さんとこれからお茶なんて出来ない。


「時間あるからコーヒー飲もうと思うんだけれど、喘息の時にコーヒーって飲んでいいの?」


 聞くと、はははっと受話器の向こう側から笑い声が聞こえる。


『大丈夫っすよー。ただナッツが入ってるものはやめときましょうか。もしもそれがアレルゲンの一つだといけないんで』


 弾むような楽しそうな野村くんの声が、いつもの職場を思い出させてくれて、心が落ち着いてくる。


『俺に聞く前に、そこ病院なんだから、病院で聞くっていうのは浮かばなかったんですか?』


「あ。そっか」


『別にいいっすけどね。田島さんに頼られるなんて超レアなんで。あー。ただ煙草の煙には近付かないように気をつけてくださいね』


「うんわかった。帰り道も気をつけて、なるべく煙には近付かないようにするね」


『そうしてください。一人でいる時に具合悪くなったら大変ですからね』


「おっけー。仕事中にごめんね。ありがとう」


 それから一言二言会話を交わしてから、終話ボタンを押す。

 その途端に、心が落ち着かなくなる。

 振り返るとやっぱり川西さんがこっちを見ていて、今度は視線を綻ばせる。

 通りかかる人が振り返るくらいのきれいな顔で微笑まれると、頬が赤くなるのが止まらない。

 真っ直ぐに向けられる好意が気恥ずかしい。

 けど、このまま逃げるわけにもいかない。



「すみません、お待たせしました」


 なるべく冷静に言ったつもりだけれど、顔はほんのりと熱い気がする。

 じーっと頭二つほど上から見つめられるだけで、返答が無い。

 ただ見られているというのが、こんなにも気恥ずかしいものなのか。

 ぱっと俯いてその視線から逃れると、男の人にしてはキレイな、けれど節ばった指先が頬に、それから目尻に触れる。

 体中に熱が燈ったかのように熱くなり、ふるっと体がが震える。

 不快な意味で人に触れられる事は多々在るけれど、こんな風に大切なものに触れるかのように、そっと触れられる事なんて無い。

 恥ずかしさと、落ち着かなさで、ますます視線は足元へと落ちていく。

 ぎゅっと鞄を握る手に力が入ってしまう。

 逃げたい。

 逃げ出したい。


「田島さん」


 声を掛けられてしまえば、顔を上げるしかない。

 きっとみっともない顔をしているだろう。

 それでも意を決して顔を上げる。

 視界に飛び込んできたのは、キレイすぎる笑顔。

 どきっと胸が鳴ったのは、あまりにもその笑顔が綺麗だったからだ、きっと。


「あなたは本当に可愛らしい」


「え、え、え、え、え?」


 動揺する私に、どこか嬉しそうに見える笑みを浮かべ、顔に触れていた指先をするっと離していく。


「今日はまだ時間はたっぷりありますから。色んな表情を見せてくださいね」


「……怒っているところもですか?」


「うーん。あんまり怒らせるのは趣味じゃないですけれど、見せてくれるんですか?」


「怒るようなことをするんですか?」


「したい気もしますけれど、今日のところは自重しておきましょうか」


 一体どんな事をするつもりなんだろう。

 ぎょっとした私に、川西さんが声を上げて笑う。


「まずはコーヒーでも飲みながら、色々な話を聞かせてくれますか?」


「私の話だけじゃなくて、川西さんの話も聞かせてください」


「いいですよ」


 その頃には、頬の熱も少しは冷めてきた。

 顔の事を度外視すれば、当たりも柔らかくて、とても話しやすい人であることは間違いない。


「でもそんな面白い話は無いと思いますよ」


「そうでしょうか? 聞いてみないことには何とも言えません」


 自分の話は面白くないと言い切った川西さんだけれど、絶対に興味深い話がたくさんあると思う。

 その若さでそこそこ大きな企業の支店長を務めているんだもん。

 私の知らない世界をたくさん知っているような気がする。


「それに私、川西さんのお名前しか知りません。だから色々聞いてみたいです」


 年齢さえ知らない。

 ほんの数時間前まで、全く知らない人だったんだもの。

 今ですら、取引先の支店長だって事と、顔が恐ろしく整っていることと、背が高い事と、話し方が柔らかい人だということしか知らない。

 一瞬だけ少し驚いたような表情をしたような気がしたけれど、気のせいだったのか、すーっと川西さんの視線がメニューボードへと移る。


「ではまずコーヒーの注文をしましょうか」


「そうですね」


 病院の通路に面した注文カウンターでそれぞれコーヒーを注文すると、さりげなく支払いをしてくれる。

 そのあまりのスマートさに、女性慣れしているんだろうなと思った。

 こういう人だから、当たり前なのかもしれない。



 コーヒーを飲み、カップが空になった後も診察時間近くまで、ゆうに一時間以上話しこんでしまった。

 気がついたら、趣味はなんだとか、学生時代どんな事をしていたかとか、聞かれるままに話していた。

 とても聞き上手な人なんだというのが新たな発見であり、思ったよりずっと若かったというのも驚いた。

 まだ33と聞いた時には、え!? と大きな声が出てしまった。

 そんな若い年で支店長になるなんてと思って。

 出世頭なんて言われている、うちの課長よりも若いなんて。

 川西さん本人はあまり自分の事は話さなかったけれど、ものすごく優秀な人なんだろう。

 そして、洗練された雰囲気や、物腰の柔らかさは、そうなるように教育されたのだと感じた。

 多分、家柄もいいのだろう。

 言わないけれど、会話の中から察する事が出来た。

 ますますもって、何故そんな人がという疑念が、心の中に張り付いた。


「そろそろ診察時間ですよね。移動しましょうか」


「そうですね」


 席を立ち上がると、そそくさと店員が川西さんの持つトレイを受け取る。

 その頬はほんのりと朱が指している。

 誰でもこういう反応になるよね。

 自分が赤面してしまうのを正当化すると同時に、やっぱり何かおかしいと思えてくる。

 店員の女の子が川西さんに向けた笑顔は、同性だけれど可愛いと思えた。

 だから特段私だけが彼に笑みを返すわけじゃない。

 赤面してしまうような反応をするのだって、私だけじゃない。

 多分、世界中のほとんどの人は、川西さんを前にしたら私と同じ反応をするだろう。

 それなのに、どうして私?

 本当に私?

 その気持ちが強く心の中で勢力を増していく。

 本当にこの人は、私に一目惚れなんてしたんだろうか。

 特別なものなんて何一つ無い私に?

 もしそれが嘘だったとしたら?

 きっと立ち直れない。素直にそう思った。

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