第31話 『鯖ざむらい』
あるとき旅人ニコラスが砂浜を歩いていると、鯖とイカが喧嘩をしていた。
『生き腐れクラッシャー!』
づがんっ。
ニコラスがその絶叫を聞いたとき、彼は得体の知れない衝撃波に巻き込まれて吹き飛んでいた。
『一夜干しフィィィィィィィィィィィィルドォッ!』
べし。
受身を取ったり姿勢を整えるよりも早く、不可視の障壁がニコラスの身体を受け止めた。
「ぐぇ」
フルスイングで叩きつけられたヒキガエルのような声をあげて、ニコラスは顔面から障壁に衝突しそのまま地面に落下した。
『やるな鯖の字』『貴様も薄汚れたスミイカの分際でなかなか』
水際では鯖が尾で立ち、イカは十本の脚を交互に動かしながら揺れていた。その姿はニコラスが学舎の書籍で見た海洋生物と変わらぬものではあるが、その振る舞いを肯定することをニコラスは脳内で拒否した。
ちがう。
鯖は空中で回転しながら胸ヒレで磯の岩塊を磨砕などしない。イカが墨の代わりに虹色の怪光線を放出しながら屈伸運動するという話も聞いたことはない。
『くくくく』『ふふふふ』
鱗と外とう膜をゆがめて一尾と一杯は凄絶な笑みを浮かべた。ように見えた。見えたことにしないと己の精神がどうにかなってしまいそうだとニコラスは、死にそうなくらい消耗しながら考えた。
『楽しいなあ』『おお』
ゆらり、と。
鯖とイカが構える。何を構えて何を叫んで何を放って何をどうしたのか、それはさておき。
数日後、半死半生の体で発見されたニコラスの手には、やたら生臭い二枚の紙片が握られており、そこにはヒレや触手ののたくったような字で
【皆伝】
と書かれていた。
人々はかの遺跡探索者が何をどうして死にかけたのか不思議がったのだが、彼は生涯これを伏せたという。




