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セップ島の民話 -Ceplandtales-  作者: は
ニコ・ハワドの冒険 -Nicholas the Flock master-
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第14話 『竜と婿取り』


 ある夜の話である。

 人気の少ない都の裏路地を一人の娘が歩いていた。

 街娘のようなスカート姿ではない。旅人が着る薄手の装束を着込み、腕と臑に黒く染めた革帯を巻きつけた出で立ちには何の色気もない。髪も面倒くさいのか肩口で切り揃え、夜風に流している。それでも整った容貌や鍛え上げられて無駄のない肢体は、娘の本質的な美しさを際立たせている。

 凛とした輝きは、雪原の白狼にも似た凄みを持つ。

 その視線に捕らえられれば、酒場より千鳥足で出てきた酔っ払いさえ息を呑む。数秒も見つめられれば心臓さえ止まってしまいそうだ。酔っ払いの異変に気付いた酒場の客達が路地に飛び出して、同じように凍りつく。


『私に何か用か』


 少し掠れた言葉だ。それだけで酒場のウェイトレスは頬を染め腰が抜けてへなへなと座り込んでしまう。なるほどその姿と声を合わせれば、この娘は極上の美青年にも見える。


『ふむ』


 酒場の客も今は酔いも冷め、娘をじいっと見つめている。それが殺意や嫉妬の類ではないと感じ取った娘は彼らの元へと歩み寄り、腰が抜けたままのウェイトレスの手を取った。


『お嬢さん』

「は、はいぃぃ!」


 声を裏返すウェイトレス。男達はおおおとどよめき、次の言葉を待つ。


『実は私は人を探しているのだが、少々訊ねてもよろしいかな』

「まっ任せてください! あたし、こう見えても副業で情報屋やっているんです!」

『そうか、それは良かった』


 娘は爽やかに微笑み、それだけでウェイトレスは達してしまいそうだった。


「それで、いったい誰をお捜しなんですか!?」

『ああ……どうやら都の魔法学舎に放り込まれたらしいのだが』


 学舎という言葉に、ウェイトレスの表情が引きつる。

 周りにいた男達も同じように凍りつく。しかしそんな彼らの様子に気付かなかった娘は、爽やかな笑顔を、本当に嬉しそうにほころばせてこう続けた。


『ニコラス・ハワドという少年を知らないか?』


 今年で十六歳になる栗毛の少年なのだが。

 という言葉をかき消して、ウェイトレスは「あんまりよぉぉおおおおおおおっ!」と泣き叫び、男達は「なんで奴ばっかりぃいいいいいいいいい!」と狂ったように吼えた。




◇◇◇




 その人形は、いつものように濃紺のエプロンドレスに袖を通した。彼女を造り出した【技師】は単なる記号に過ぎないと言っていたが、それでもエプロンドレスに身を包むことで心身が引き締まるように感じられるのも事実だった。


(第二主軸駆動、合金発条に異常なし。歯車比を低回転高出力に設定し、第四戦闘速度で家事を開始)


 人形は、妖精と変わらぬ姿を持っていた。

 肌の感触も、心の動きも、生き物とまるで変わらない。しかし彼女の身体には現在の技術では再現できない細緻な歯車と、いかなる金属を混ぜ合わせたのかさえ見当もつかない合金の発条が収められている。

 彼女の戦場は家の中であり、主と認めたものが訪れる場所である。その部屋は彼女の主人が一時的に借り上げた屋敷であり本来の住居ではない、しかし慣れない場所だからといって不完全な仕事を認めるわけにはいかない。

 彼女はプロなのだ。

 愛玩人形ではない。媚びて抱かれるのが彼女の仕事ではないし、今の主人は女性なのでそのような用途に使われることもない。人形である彼女が求められているのは、完璧なる家事と事務処理だ。それは彼女の職業意識を刺激するものであり、プライドを満足させる。


『おはようございます、殿下』


 いつものように人形は言う。

 王族にしては珍しく薬茶を好む主人のために、熱々の薬茶をカップ一杯用意する。これを飲むようになって主人の低血圧が少しばかり解消されたのを知り、それ以来毎朝用意している。


『空間共鳴も次元跳躍振動も感知されません。今日も世界は平和です』

「台詞の内容は理解できないが、平和なのはありがたい事だ」


 人形の主たる半妖の娘は頭に巻きつけていたタオルを外し、未だ湿り気を帯びる真紅の髪を香木の櫛で梳く。櫛の歯には花弁を煮詰めた香油が塗られており、数度梳く事で髪型は綺麗に整えられる。

 妖精の血が流れる娘は外見で年齢を測ることは難しく、幼い少女とも成熟した女性と判断できないものがある。ただ、その仕草は優雅であり、屋敷の主たる雰囲気を発している。


「もっとも今の私は世界平和よりも午後の天候の方が気懸かりだ」


 苦笑し、半妖の娘は人形が持つ服を受け取った。

 派手さはないが格調高い調度品、それを受容できる格式の屋敷。だが半妖の娘が着ようとしているのは随分と趣が違う。木綿や麻それに羊毛を組み合わせたその服は、造りは確かなものだが年頃の娘が街中で着ているものと大差ない。


『スカートの丈、短いですね』


 人形の指摘に、半妖の娘は腰に巻きつけたひらひらの布をつまむ。意外そうに人形を見て娘は首を傾げ、こんなものではないのかと呟いた。


『丈の短さでは街娼とタメを張れます』

「学舎中等部に通う女学生もこんな感じだが」

『十五の娘と何を張り合っているんですか、殿下』

「相手が十六歳だからだ」


 断言し、己の拳を握る娘。動くたびにひらひらと揺れるスカートに、レースとフリルを多用したブラウス。ニーソックスも、髪留めのリボンも、年端もいかない少女が身につけるような色遣いである。たとえ不老不死たる半妖でも、違和感は否めない。


「――ちょっと思うところがあってな」

『あったんですね』


 少し冷たく頷く人形。半妖の娘は「もはや仮装」としか言いようのない衣装に着替えると屋敷を飛び出した。出かける際に、とりあえず目標は朝帰りだと神妙な面持ちで告げていた己の主人が本懐を遂げられるよう密かに祈り、人形は何事もなかったかのように家事を始める。他に従者のいない秘密の滞在だから、食事の支度は勿論ありとあらゆる雑事を一人で片付けなければいけないのだ。

 主人の色恋沙汰に干渉するのは彼女の主義ではない。もっとも彼女の主人を悲しませようものならば、人形は自らが持つ機能の全てを駆使して彼氏とやらにお仕置きする所存ではあったが。



 太陽が真南に差し掛かった頃、一人の客が屋敷の門を叩いた。

 腕と臑に革帯を巻きつけた旅人風の娘は人形が応対すると軽く頭を下げる。人形は一目見ただけで、この娘が体術の達人であると理解する。


『人を捜している』


 丁寧な言葉遣いで、出来るだけ失礼のないように娘は問いかけた。


『ニコラス・ハワドという人間の少年だ。この屋敷に住む女主人が消息を知っていると聞いたのだが』

『あー』


 娘は少し恥ずかしそうにその名前を口にした。人形は答えに窮しつつ、件の少年をいかようにお仕置きしようかと考え始めていた。




◇◇◇




 それはニコラス・ハワドが都の学舎へ招かれた直後の話だった。

 複雑にしていい加減な御国事情のために故郷を離れることになったニコラスを経済的に支援したのは、紅国の王族だった。勿論それはニコラスが耳なが王女の想い人であり、おそらくそう遠くない将来に結ばれる事を認めていたからだが、それ以外にも理由があった。


「三番目の王子さま、ですか」


 城の使者と名乗る中年男性は沈痛な面持ちで頷いた。心労のため表情は重く、目の下に隈が生じている。

 聞けばランドールという名の王子様は幼少より病弱で、床に伏せる日々だという。ニコラスより少し年下だというランドールは、野山を駆け回っていたニコラスに興味を抱き、話を聞きたいと言ってきた。

 城仕えの医者の話では、次の冬を迎えることも難しいという。

 優しく聡明で王族だけでなく部下達にも慕われている王子なので、皆が嘆いている。薬師を招き、祈祷師を集め、王子の命を繋ぎとめようと必死になっているがそれらの努力は実を結んでいない。国王夫妻や兄弟姉妹たちは最後まで諦めないよう励ましているが、肝心のランドール少年が生きる意欲を失いかけているのだ。


「だから君と話す事で生きる気力を取り戻して下されば良いのですが」

「はあ」


 城の使者があまりにも悲しそうに言うのだから、ニコラスは断ることが出来なかった。人が死ぬのは基本的に避けられないことであり嘆いても仕方のないことだと言ってやりたかったが、そんな言葉が今の彼らに通じるわけもないと考えて黙ることにした。

 線の細い少年だった。

 肌は血管が透けて見えるほど白く、その分だけ髪は黒く艶やかだ。ドレスを着れば多くの男性が見惚れてしまうような、そんな倒錯的な美しさのある少年だった。


「ニコラス・ハワド、君に逢えて私は嬉しい」


 黒檀の円卓の向こう側。籐椅子に腰掛けて、少年は微笑んでいる。

 そこは手入れの行き届いた芝草の庭園で、形を整えられた庭木が風に枝を揺らしている。少年の背後には執事やメイドが控え、楽師の奏でる楽しげな音楽にあわせて道化が踊っている。しかし彼らの努力は少年には通じないようで、道化の笑顔は引きつったままだ。ニコラスは軽い眩暈を覚え、それでも何事もなかったように振舞うことにした。


「君は野を駆け羊を追い、不思議な生き物や出来事に遭遇したそうだね。私にその話を聞かせてはくれないか?」


 ニコラスは答えない。

 連れてきた中年男性、侍従なのか教育係なのかは不明だが……は殿下に失礼だぞと小声で言ってくるが、勿論ニコラスはそんな言葉に耳を貸すことはない。それどころかニコラスは円卓の端を掴み、重い黒檀で造られたそれを片手で軽々と頭上へと持ち上げた。どんな力自慢でも真似出来ない芸当を目の当たりにしたランドールは息を呑み、周囲に控えていた護衛達は剣を引き抜こうとする。

 が、護衛が抜剣するよりも早く彼は手首を返して円卓を横に置いた。地面が大きく揺れ驚くランドールの目の前まで踏み込んだニコラスは、電光の速さで右手を突き出しランドールの背後を掴んだ。

 背後である。

 そこには何もないはずだった。しかし空を握るニコラスの手より一筋の血が流れ、目撃したメイドが息を呑む。


「聞かせるよりも、直で見た方が楽しいでしょ」


 互いの息が届きそうなほど接近していたニコラスは、不敵な笑みを浮かべる。血まみれの手で何かを掴んだニコラスは、繰り出した時の勢いで右手を引き抜いて「それ」をひっくり返った黒檀の円卓に叩き付けた。分厚い黒檀の板が真二つに割れ、大きな鎌を持った黒衣の娘がそこに現れる。黒衣の娘は叩きつけられた衝撃で意識を失っており、人の首さえ刎ね飛ばせそうな鎌の先にはニコラスのものと思しき血がべっとりと付着していた。

 メイドは悲鳴を上げる。

 楽師は演奏を止める。

 護衛達は引き抜いた剣を持ったまま硬直する。

 そしてランドールは果たして何事が起こったのか理解できず、しかしニコラスの右手より流れ落ちる血を見て蒼ざめた。ニコラスは自らの傷など気にせず黒衣の娘を縛り大鎌を取り上げ、その後、傷の周りを布で拭いた。出血は既に止まり、傷口は塞がっている。尋常ではない身体の治癒を目撃したランドールたちは絶句するが、やはりニコラスはそれを特に意識することもなく右手の指を軽く動かし機能に問題がないことを確認した。


「これは」


 何とか言葉をしぼり出したランドールの問い。

 これ呼ばわりされた黒衣の娘はそこで意識を取り戻し、縛られたまま上体を起こした。


『き、聞いて驚くが良い。我こそは』

「わかりやすく言うと、痴女です」

『っ!』

「へえぇ、これが痴女というものか。私は初めて目にした」


 娘の言葉を遮り頭を踏みつけたニコラスの説明に、ランドールは感心して頷く。足下で『違うー、ちがううう』ともがいている痴女(仮称)を更に踏みつけることで黙らせ、ニコラスは手にした大鎌を膝でへし折る。乾いた音を立てて折れた大鎌は何故か黒い塵となって風に融けて消え、それを目にした痴女(仮称)は『ああああああああああっ、あたしの商売道具がっ』と泣き叫んだ。遠巻きにその様子を見ていた護衛達は「なあ、あれってアレ……だよな?」「ああ、巡回牧師が紙芝居で見せてるアレだよな」などと小声で話し合い、息を呑む。ランドールもまた気になったのだろう、痴女(仮称)を見て不安そうに尋ねる。


「でも、この痴女の姿は絵本で描かれる死神の姿に良く似ているようだが」

「そういうプレイなんです」


 断言するニコラス。足下ではやはり痴女(仮称)が『ちがうの、ちーがーうーのー』と手足をじたばたさせるが、ニコラスのひと睨みで凍りつき『は、はひぃ。そういうプレイなんです』と涙を流して頷いた。ニコラスはメイドの一人を招き寄せ、足下の痴女(仮称)を指差した。


「エプロンドレスを」

「はい」

「カチューシャを」

「はい」

「ローファーの靴を」

「はい」

「チョーカーを」

「はい」

「絹の靴下を」

「はい」


 ニコラスの指示に思わず従って、メイドは痴女(仮称)の衣服を次々と替える。さすがは王子付きのメイドである、まさに目にも留まらぬ早業で痴女(仮称)より黒衣を奪い用意した服に着替えさせた。黒衣を奪われた痴女(仮称)はまたもや悲鳴を上げ、ニコラスの足下より解放されたにもかかわらずメイドの衣装に身を包んだ痴女(仮称)はへなへなと力尽きて倒れてしまう。


「落胆しているようだ」


 どうしてなのだろうと首を傾げるランドールの横で、ニコラスは黒衣に針で糸を通した。金毛羊の毛より紡いだ丈夫な糸は黒衣に金色の模様を描き、黒衣が持つ純粋な漆黒はそれで失われてしまう。すると黒衣は大鎌と同様、塵となって消えてしまった。もはや悲鳴を上げる気力も失せたのだろう、痴女(仮称)は呆然とその様子を見ている。

 肩を落とす痴女(仮称)。ニコラスは彼女の肩を叩き、他の誰にも聞こえないようそっと耳打ちした。


「奪ったものは持ち主に返却してくださいね」

『うううう、わかりました』


 直後、ランドールは突如として立ち上がり両腕をぶんぶん振り回すと今までにないほど大きな声で叫んだ。


「身体が軽い!」

「をを!」

「身体中に力がみなぎっているようだ!」

「ををを!」


 その叫びに、周囲のメイドや警護たちが歓喜の声で応じる。ランドールは思わず走り出し、広い芝草の庭園を駆け回る。楽師は明るい曲を奏で、道化は本当に嬉しそうにおどけ始める。

 が。


「うっ」


 駆け回る途中でランドールはぱったり倒れた。


「精気と魂戻っても、基礎体力や持久力はそのままだよねえ」

『ええ、その通りなんです』


 一転して大騒ぎとなった庭園の一角、ニコラスの呟きに痴女(仮称)は涙を流しつつ頷いた。


 その日を境に王子ランドールの体力は医師が驚くほど回復した。

 冬までの命といわれていた彼は、貧血気味ではあるものの人並みの生活を送る事ができるほどになった。国王夫妻は、原因不明の回復劇を驚きつつもそれを歓迎した。真実に近いものが王子の周辺で囁かれはしたがそれが外部に漏れることはなく、代わりに王子が魔法学舎に足しげく通う姿が目撃されるようになった。




◇◇◇




 王子ランドールは劇的に回復した。

 余命半年と思われていた王子の快気は、基本的に多くの人を喜ばせた。家臣思いで優しい王子は昔より民に慕われていたし、幼くも聡明な彼は将来を期待されていた。

 当然。

 二人の兄は焦った。

 もちろん死ぬはずだった弟が助かったのは嬉しいが、王様の椅子というのは一つしかないのだから競争相手が増えるのは素直に喜べないわけで。いや、仮に兄たちが現実を受け入れたとしても、その取り巻き達、つまり自分の人生計画を二人の王子に託していた野心家達が黙っているはずもない。

 だから二人の兄は焦った。

 他の兄弟姉妹もまた焦った。

 彼らの焦りは家臣たちに伝播し、それは更に下の連中に広がった。たった一つの命が救われたために、より多くの命が失われそうになった。小心者達は自衛と称して武器を集め荒くれ者共を募った。

 山一つ越えた碧国さえ心配し国境の警備兵を増やしたその日、王子はこう言った。


「王様の椅子に興味など無い」


 実にあっさりと王子は宣言した。

 周りは大層驚いたが、その日より彼は屋敷を抜け出しては城下の街に出入りするようになった。それが野心家達をかえって刺激することになったのだが、王子は気にもしなかった。




 ランドールは屋敷を抜け出し城下に出かけるのが日課になった。

 ニコラスがいれば、旅の話を聞く。いなかったとしても、今の彼には大勢の友人がいた。遺跡の話、怪物退治の話、あるいは神話時代の異形達と戦った英雄の物語。それらの話を聞くだけで彼の心は躍った。

 彼らのように旅に出てみたい。

 そう感じるようになった。病弱だった頃より王位など興味なかったし、継承権とやらを破棄して数年経つが気持ちに変わりはなかった。二人の兄は王様としての資質に恵まれていたし、彼らの一方が王様になるのが適当だと考えていた。

 できるものなら王位継承権など捨ててしまいたい。

 常々彼はそう願っていた。しかし彼の父親は肯かない。


「では王族としての仕事をさせていただきましょう」


 ランドールは大胆に行動した。

 自分を救ってくれたニコラスの事情を知り、耳なが王女との複雑なる関係に興味を示した。ニコラスが知らないところで耳なが王女と会談を設け、遺跡発掘と牧羊にしか興味を示さない恋愛感覚欠陥人間をなんとかしようと協議を重ねた。無論それはニコラスに対するささやかな恩返しのつもりであり他意はなかったのだが、その行為自体は大きな問題だった。

 仮にも碧国の有力貴族と接触しているのだ。

 当事者のニコラスは「ふーん」と一見平穏に対応し、兄二人とその取り巻き達は血相を変えた。それはそうだろう、耳なが王女の助力を得れば邪魔者など簡単に始末できるのだから。何よりも耳なが王女を個人的に味方につけた王子の存在は、王位の継承という点でも兄二人を脅かすことになる。

 誤解を招かないようランドールは二人の兄に、そして国王に何度も説明した。

 だが二人の王子に従う取り巻き達は、説明の詳細を知らなかった。知らないということは疑心暗鬼を生ずることになり、元より不安を抱いていた連中は一気に恐慌状態に陥ることになる。ランドールにとって最大の不幸は、彼の半生で出会った人間の大半が強い意志と信念を持っていたということだ。


 心弱い者こそ手段を選ばないのだ。

 彼はそれを言葉では知っていた。

 しかしながらそれ実感したのは都の裏通りで、覆面の集団に囲まれた時だった。いつものように屋敷を脱け出し供も連れず街を歩いている最中、彼は襲撃を受けた。彼らが持つのは布を巻いた鉄棒であり、刃を黒く焼いた短剣である。護身用と呼ぶにはまがまがしいそれらの道具を構え、覆面集団は無言で迫る。


 陽は沈み、人通りもない。

 たとえ悲鳴を上げたところで聞く者はいないだろうし、いたところで駆けつけるまでに致命的な臓器を刺し貫かれ頭蓋を打ち砕かれるだろう。

 追い剥ぎではない。

 殺すことを目的とした集団だ。逃げられぬよう八方を塞ぐだけの人員を繰り出し、人ひとり殺傷するには十分すぎる武装で襲い掛かろうとしている。


(ああ、ここまでして私を殺したいというのか)


 誰の差し金なのか、ランドールは考えようとしてそれを止めた。

 自分を今すぐにでも殺したいと考えているものには多少心当たりがあったが、ここまで行動されるのは驚くべきことであり、同時に悲しいことでもあった。

 だからランドールは己が迂闊だったと考え、殺されてやろうと思った。悔しくはあったが、それ以上に悲しかった。

 が。


『悔しければ怒れ、悲しければ戦え!』


 凛とした女の声が外より聞こえる。

 諭すというよりは、叱咤に近い叫び。それは鍛えた鋼を打ち合わせたように硬く澄んだ声で、王子だけでなく覆面の暗殺集団さえ雷を打たれたように硬直した。

 誰だ。

 王子は声の主を探そうとして視線を動かし、一条の雷を見た。その雷は地を這うように路地を疾り、覆面の男達を薙ぎ払う。十数名からなる覆面集団は構えることも叶わず雷光の一閃に吹き飛ばされ、その雷光が一人の娘に変じるのを見た。

 否、それは最初から雷光ではなかった。

 動きやすい旅装束。腕と脛に革帯を巻きつけ、肩口で髪を切り揃えた美しく凛々しい娘だ。常人が一動くところ、娘は十動く。繰り出す一つの拳は十の衝撃で覆面の者達を打ち貫き、拳の衝撃は石畳や煉瓦を容易に砕く。


『お前はニコラスの知り合いなのだろう』


 襲撃者全員を叩きのめし、息を乱すこともなく娘は言った。ランドールは自分より少しばかり年上であろう娘の言葉に、未だ現状を把握できなかったものの頷いた。


『そうか』


 爽やかな笑顔で娘はランドールを見た。


『怪我はないか?』

「大丈夫、です。多分」

『……熱はあるようだな。脈も速いし、陽の気が乱れているが本当に大丈夫なのか?』


 娘はランドールの頬に手を当て、額を重ね様子を診る。雷に打たれたような衝撃を受け紅潮したランドールは、顔より湯気を出し無意識に娘の両手を掴んだ。


「と、突然なのだが」


 上ずった声を出すランドール。娘は手を握られたまま、ランドールをじっと見つめている。何が起こるのかはわからないが、敵意を感じないので手を振り解こうとも思わないのだ。


「ずっと私のそばにいて欲しいのだ」

『小用済ませた後で良ければいくらでも護衛しよう』


 笑顔で応じる娘。

 しかしランドールはぶんぶんと首を振り、そうではないと気恥ずかしそうに叫ぶ。


「これは運命の出逢いだと私は思うのだ」

『なんだ、繁殖相手を探していたのか』


 繁殖という言葉に、王子は口と鼻よりだくだくと血を噴き出す。身も蓋もない意見に俯く王子だが、娘の手を放そうとはしない。


『私は旅を続けるつもりだが』

「一緒に旅に出る、それなら良いだろう?」

『羊農家の長女だが、お前の両親は納得するのか』

「ついさっき家族を棄てる覚悟が決まったから問題ない」

『出会って数分で繁殖相手を決めるのは性急過ぎやしないかな?』

「私は運命を信じる。多少の障害など折込済みで覚悟しよう」

『多少の障害を覚悟の上ならば、まあ構うまい』


 ようやく納得したのか娘は一つ息を吐き、王子の手を握り返すことにした。




◇◇◇




 逢引というのは楽しいものだ。

 少なくとも耳なが王女は、そう考えていた。

 屋外劇場で歌劇を楽しみ、日が暮れれば通りに張り出した屋台で軽く食事を済ませる。公園では旅の楽師が雰囲気を盛り上げる曲を奏でてくれるだろう。趣味の良い酒場で静かに飲むのも悪くない。

 幸い、自分達には時間がある。

 ニコラス・ハワドがどういう人間なのか、頭の固い連中もそろそろ気付き始めているだろう。魔法学舎に放り込まれ一年余り、彼が見つけ出した遺跡や遺品の類は莫大な数に上る――耳なが王女が預かっているそれらの品は、好事家に売りつければ天井知らずの値がつくものばかりだ。


(義母殿の名を明かせれば、一瞬で片付く問題なのだが)


 そんな事をすれば要らぬ恋敵が増えることになる。

 ならばじっくりと時間をかけて進めよう。自分はもう六年以上待っているのだから、焦っても仕方が無い。何しろ結婚の約束を交わしているし、自分もニコラスも互いを想っている。そう信じている。

 信じているのだが。


(やはり若い娘の方が嬉しいのだろうか)


 半妖は歳をとらない。容姿は変わらないのだから、仕草や衣服の着こなし方で全てが決まる。王族として家臣や部下に接するならば威厳ある衣装と振る舞いでも構わないだろうが、齢十六の少年を相手に威厳を示しても何の意味も無い。


(それに、年頃の娘のように接しないとニコラスも変に遠慮しそうだからな)


 うんうんと頷きつつ、耳なが王女は入念な調査をして衣装を調えた。仕立て屋は「あのー、本当にこれでよろしいのですか」と心配そうに尋ねるが、そんなことは大して問題ではないと考え耳なが王女は逢引に臨んだわけである。

 待ち合わせは、学舎に近いカフェテラス。


(驚かせてやろう)


 まるで少女のように笑い、街を歩く耳なが王女。特別な用事があるとは聞いていないから、ニコラスは先に待っているだろう。難解な古文書か遺跡で見つけた不思議な道具を手にしながら時間を潰して待っているのがニコラスだから、それほど待たせても怒ることはない。古文書や道具に熱中していても、それ取り上げてしまえば普段と違った衣装の自分に気付いてくれるだろう。

 劇場へ行って。

 屋台で食事をして。

 綿密に立てた計画が妄想になり、耳なが王女は平静を装いつつも頬を染め顔がわずかに緩む。人込みをかき分け(その際ぎょっとした顔で彼らが振り返った事実には気付くこともなく)そこに至った耳なが王女は息を弾ませ、

 そして硬直した。

 目の前およそ数メートル。

 白く塗った安物のテーブルと椅子。いつものような出で立ちのニコラスと、同じテーブルに座る旅装束の娘。その両腕と脛には革帯が巻きつけられ、肩口で切り揃えられた髪が風に揺れている。凛としたその眼差しはかつての耳なが王女に良く似ており、彼女に負けないほどの美女だった。

 その二人が、楽しそうに話をしているではないか。

 都に来てからは感情をあまり表に出さなくなっていたニコラスが、まるで少年のように屈託の無い笑顔で話をしている。旅装束の娘も、本当に嬉しそうにそれを聞いている。

 完全に石と化す、耳なが王女。

 街の人々はただうんうんと頷くばかりである。




『いま魂の叫びが聞こえた』


 娘はふと顔を上げ辺りを見渡した。


『悲痛な叫びだ。今までの自信とか信念とか、そういうものが一気に砕かれてしまった人外ロリの慟哭に良く似ている』


 あれは相当重傷だと何度も娘は頷く。それを聞いてニコラス・ハワドは「後でフォロー入れておきますから」と、耳なが王女が固まっている場所をちらと見て呻く。


「それよりも」


 視線を戻しニコラスは語気を強くする。娘は思わず姿勢を正し、向き直った。


「いつものことですが、唐突過ぎやしませんか。せめて手紙の一通でも事前に届けてくれれば時間を割いたのに――姉さん」

『ベアトリスで構わない』


 娘、すなわちベアトリス・ハワドは引きつった笑顔で答える。


「修行の旅も構いませんけどね、実家に便り一つ送らず故郷にも立ち寄らないのは問題なんです。サージェリカなんて姉さんの顔どころか名前だって知りませんよ」

『そりゃあ、そうだろうな』


 あの娘が一歳になった頃に私は故郷を飛び出したのだから。


『だからこそニコラスにはしっかり我が武術体術の奥義を徹底して授けたではないか。な?』


 間接的に私もサージェリカの教育に協力しているのだよ、わはははは。

 ベアトリスは乾いた声で笑い、テーブル上のスコーンを口中に放り込む。ニコラスは「まあ過ぎたことですし」と息を吐き、手の中の小さな短剣に視線を落とした。白銀に輝く装飾のそれは、かつてニコラスが魔法猫の王より友情の証として預かった品だ。


「それで、観光で来たのですか?」

『発情期を』


 迎えたのだ、とベアトリスが言い終わらぬ内にニコラスは椅子を蹴るようにして後ろに飛び下がっていた。先刻までの笑顔が消え、額に汗を浮かべ、全身の筋肉を戦闘状態にまで張り詰めていく。


「……よもや姉さんからその種の発言を聞こうとは思いませんでした」


 信じてたのにー。

 尊敬してたのにー。

 だくだくと汗と涙を流しいやいやと首を振るニコラス。


「一流の武闘家もケダモノの本能には勝てないんですか」

『ケダモノゆーな、ケダモノ』


 言うやベアトリスは虚空に手を伸ばし、そこから一人の少年を掴み出した。旅装束に身を包み、おそらく何か買い物でもしていたのだろう釣銭の硬貨と揚げたての棒パンを抱えている少年は、ニコラスが良く見知った顔だった。


『義理とはいえ弟に手を出すほど飢えてはいないし、理性的な契約で繁殖相手も見つけた』

「や、やあニコラス」


 とりあえず、その少年――つまり第三王子ランドールは旅装束の己の姿に変なところはないかと数度確認し、それから胸を張ってこう言った。


「私はベアトリスと旅に出ようと思っている」

『求婚されたので応じたのだ』


 ニコラスの中で、何かが切れた。


「王族の地位も、今の暮らしも捨てる。一個の人間としてベアトリスと共に生き、世界中を見て廻りたいのだ」

「ベアトリスと?」

「そう。彼女は素晴らしい女性だから」


 ニコラスは胡散臭そうな視線を、たとえば義妹サージェリカに向けるようなそれをベアトリスとランドールに向けた。


「求婚したのですか」

「運命の出逢いだったと信じている」


 きっぱりと瞳を輝かせ、ランドールは強く頷いた。


「家事が壊滅的でも?」

「些細な問題だよ」

「武術修行に妥協しない性格でも?」

「私は強くなりたいのだ」


 情熱的な眼差し。ニコラスはジト目でベアトリスを見る、人間の言葉に翻訳すれば「発情光線でも発射しましたか?」といったところか。


『私も、運命の出逢いだったと信じている』

「年齢差は犯罪的では」

『ニコラスの場合ほどでもない』

「それはどうも、姉さん」


 姉さん。

 その一言に、硬直するのはランドールだ。


「姉さん?」

「血はつながっていませんけどね」


 しれっと答えるニコラス。隣ではベアトリスが『血のつながりなど大した問題ではない』と続ける。


『ついでに言えば種族の壁も越えられると信じている。義父母のように』

「種族の……壁?」


 聞いてはいけないものを聞いてしまったかのように、ランドールはニコラスを見る。ニコラスは「ああ、やっぱ知らなかったんですか」と瞑目する。


「つまり、ベアトリス姉さんは人間じゃないわけです」

「具体的には!?」


 具体的には、と言われて。とりあえずニコラスは沈黙することにした。


「答えるのです、ニコラス!」

「いやあ」

「答えてください、ニコラス!」

「その」

「納得できる回答を私に下さい、ニコラス・ハワド!」


 一呼吸分の沈黙が生じ。


「……責任とりましょう、男でしょ?」

「説明になっ」


 言葉の途中でランドールは意識を失う。その首筋に手刀を叩き込んだベアトリスはランドールと荷物を抱えた。


『いずれ余裕が生じたら再び会いに来る。達者でな』

「姉さんもお元気で」


 それと、ほどほどに。

 ニコラスの言葉にベアトリスはうむと頷き、その身体を一条の雷に変えて空に消えた。






 その日、紅国第三王子ランドールは都から姿を消した。

 王子は武者修行の旅に出かけたとされ、都の騒ぎはそれで一応の解決を見た。

 一応は。


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