第38話 『氷雪の器』
あるところに手先の器用な男がいた。
見よう見まねで土を練り、借りた窯で器を焼いた。上手下手もわからず、ただ土を練り、焼き、それを楽しいと思いながら日々を過ごしていた。
あるとき男は一枚の綺麗な皿に出会う。
三日月の紋様の美しいそれに心奪われた男は、来る日も来る日も三日月柄の皿を焼き始めた。生まれ出でる皿は手本には遠く及ばず、しかし他所では見られぬ工夫が随所にあった。出来栄えの良い皿を市に置くと、面白いように売れた。好事家達は目を細め、男がどのように大成するかを楽しみにした。
嫉妬する者もいた。そういう者は、男の器が三日月柄の皿の出来損ないであることをよく知っていた。なるほど贋作として見るならば、男の器は滑稽な出来栄えであった。
が。
「これは君にしか焼けぬ皿だな」
黒白の翁は歪な皿の一枚を手に取り、男に代金を手渡した。
しばらくの時が流れた。
市で出会った陶芸家が、男を工房に誘った。君の腕は荒削りだが光るものを持っている、君が大成するかどうかはわからぬが自分達と一緒に頑張ってみないかと。男は喜び勇み、過去と決別すべく今まで焼いていた器を全て叩き割って町の工房に飛び込んだ。
果たして陶芸家は人格者であり、熱心な教え手でもあった。
工房には志を共にする陶芸家の卵たちが大勢いた。彼らは男を快く迎え、共に頑張ろうと激励した。彼らもまた三日月の皿に心奪われ、我流に限界を感じ、その先の道を求め悩んでいた過去を持っていた。
工房での日々は、男にとって幸福であった。知らぬ技法。土選び水選びからして違う。最初の半年は、土を満足に練る事すら叶わなかった。だが男は挫けもせず、周りも男を見捨てたりはしなかった。
陶芸家は六角の美しい紋様を角鉢に描いた。
聞けば故郷に降り積もる雪の形だという。氷雪の器は評判を呼び、遂には城に届けられるほどとなった。男は、男の仲間たちは氷雪の器を新たな手本とした。陶芸家もまた技を秘することなく、また渋る事もなかった。男達は技を学び、語らい、腕を磨いていった。
月日が過ぎた。
工房で学んだ仲間たちが少しずつ、己の作品を世に送り出し始めた。確かな技で生み出されたそれは、それなりの評判を呼び、そこそこの名声を得た。もはや独り立ちしても食べていけるだろうと陶芸家は言い、ひとりまたひとり工房を離れていった。
男の番が来た。
土をいじり始めた頃、男が作った器は分厚く不恰好であった。今や男が作る器は、その厚みが五分の一になったにも関わらず、硬く丈夫であった。男は満足のいく器を慎重に選び、大きな市に並べた。すぐさま行列が並ぶほど、男の皿はよく売れた。誰もが男の上手を誉めた。引き抜きの声も上がった。
「すばらしい」
五角の雪紋を描いた丸鉢を手に、樽の様な体型の小男が言った。男は美辞麗句に慣れていたので、次の言葉が小男の口から出てくるまで客の顔を見ようともしていなかった。
「次は、貴方ならではの器を見せてくださいね」
男は笑った。
確かに自分には師と呼べる人がいた。技法を学び、欠点をそこで克服した。だが、自分の個性を捨てたつもりはないと。
「では、どの辺りが貴方の個性でしょうか」
小男の丁寧な質問に、男は馬鹿にしたような顔で鉢の丸さ、雪の結晶が五角であることを告げた。世に五角の雪などない、そんなことも知らないのかと言わんばかりに。
「なるほど」
小男は表情の見えない顔で頷いた。小男は結局なにも買わず、姿を消した。器の奥深さ難しさも知らぬ半可通というのだよと、買い付けのひとりが小男の背を指して笑った。男も、全くその通りだと内心頷いた。
男は五角雪の丸鉢を生み続けた。技巧を磨き、絵付けの図案を試行錯誤しながらも、それこそが自身の個性だと信じて疑わずにいた。
月日が過ぎた。
ある日、己の皿を売りつくした男は市を歩き、そこに己とよく似た図案の鉢を見た。それは四角雪の三角鉢であり、七角雪の長角鉢であり、八角雪の深鉢であった。それらは工房で学んだ先輩たちの器であり、その技巧は男のものよりも上であった。しかしそれらの器は粗末な籐篭に積まれ捨て値で売られていた。
男は憤慨した。
これほどの品を屑器として売るなど、物を見る目がないと大声で叫び、買占め、せめて正当な評価を受けるようにと己の店に並べ始めた。自分の客ならば、正しく理解してくれるに違いないという自信があった。
果たして客は大勢集まり、器を次々と買い求めた。
「やあ、見事な新作ですな」
そう言ったのは、かつて小男を馬鹿にした買い付けのひとりだった。
男は目の前が真っ暗になった。
知らず、男は名声を得ていた。
知らず、男は空虚であった。
知らず、男は野を彷徨い、気付けば小さな庵の前にいた。庭に立つ黒白の翁は男を招き、皿に桃を載せ喉を潤しなさいと勧めた。 男は獣のように桃を喰らい、食べつくした後にようやく皿を見た。歪な皿であった。一度二度三度と割れ、銀を含む漆で接いだ皿だった。黒ずんだ銀は皿に絶妙の紋を描き、一枚の絵を成していた。銀のにじみは、まるで降り積もる雪のようであった。
それは故郷を旅立つ時に割り捨てた器の陶片で、下手糞な継ぎ接ぎにもかかわらず、その皿は紛うことなく男の生み出した器であると誰の目にも明らかだった。男は驚き、震えた。
この皿をどこで。
かすれるような声で男は慄き、譲ってくだされと頭を下げた。技巧の先にあるものが、この器にあった。翁は答えず、奥より幾つかの器を持ってきた。
どれも男が捨てた過去であった。
男は器を抱え、哭いた。
ただひたすらに哭いた。
哭きながら、男は五角雪の丸鉢を幾枚も割った。どう接ごうとも、それは五角の雪でしかなく、どう接いでも丸鉢であった。
狂ったように丸鉢を割り始める男を一瞥し、樽魔人は漆に銀を含ませる事しか出来なかった。




