第19話 『魔法使いの仕事』
あるところにフランツ・バルゼットという若者がいた。
そのまま頑張っていれば魔法学舎で高い地位を得られただろうに、政変に巻き込まれて失脚した師匠を見捨てられず学舎を辞めた男だった。貴族である父親は爵位と財産を守るためフランツをあっさりと勘当し、彼は学舎を辞めたその日の内に寝床と家族の愛情を共に失った。
『まあ、そういうこともありますよ』
屋敷の裏口より路地に放り出されたフランツの前に、一匹のカエルが現れた。
普通のカエルと違うのは、糊がぱりっと効いた燕尾服を着て後ろ足で歩いているところ。ウシガエルより二回りほど大きくて、ちょっとした仔猫ほどはある。そのカエルがシルクハットを胸に抱え恭しく頭を下げるのだから、フランツも思わずそれにつられて頭を下げた。
『人間、生きていれば落ちぶれることの一度や二度は経験するものです』
「カエルに人生諭されるとは、いよいよ私も御仕舞いかね」
『それもそうですな』
これは失礼と、カエルはステッキで己の頭を軽く叩く。カエルの仕草には一分の隙もなく、屋敷で仕えていた執事よりはるかに礼儀正しくも滑稽な振る舞いにフランツは言葉を失う。カエルは、そんなフランツが我に返るまで辛抱強く待ち、その後にこう言った。
『実はわたくし、あなた様に救われたカエルなのです』
「助けた記憶はない」
きっぱりと返され、今度はカエルが凍りついた。仕方ないので今度はフランツが辛抱強く待つことにして、時を過ごした。
『……人違いですかね?』
一度見たら忘れそうにないカエルが相手だけに、フランツは無言で頷いた。
「でもまあ、心当たりあるかもしれないから『恩人』の特徴を言ってみるといい」
言われてカエルは考え込んだ。
水かきのついた手で顎をしゃくり、つぶらな瞳を細くして唸る。
『私を助けてくださったのは』
「おお」
『濃紺のミニスカートに桃色のオーバーニーソックスが映え、走るたびにささやかな胸が腰まで伸びたポニーテールと共に上下に小刻みに揺れるような、クマさん柄の若草色パンツがとても可愛らしいお嬢さんです』
「煮込むぞ、両棲類」
その前に踏み潰そうと、降ろしたフランツの靴を必死に掴んで受け止めるカエル。
『おおおおおおおおおっ』
「どこをどう解釈すれば私と小娘が同一人物になるのだ」
『言われてみると納得というか、わたくしひょっとして現在生命健康の危機なのでしょうかぁぁぁぁぁ』
「うむ」
今度は正確な現状認識だったので、フランツは踏むのを止めた。
が。
カエルは両手を天に突き出した構えのまま動かない。ぎちぎちと何かが軋む音が聞こえ、カエルの面に汗の玉が浮く。
『て、天魚の構えであります』
「ふん」
意味不明のことを口にするカエルを拾い上げるフランツ。燕尾服の背中に耳を当てれば、歯車と発条の動く音。その間もカエルは動かない。
「おまえさん、人形かい」
『……どうか御内密に、それと』
呆れつつも驚くフランツに、動けないカエルは小さく呟いた。
『助けて下さいませんかね?』
溜息を吐くとフランツはカエルを鞄に突っ込んで、夜の街を歩き出した。
◇◇◇
都より少し離れた村に、一軒の家があった。
その昔、変わり者の魔法使いが住んでいたというそこは没後に幽霊屋敷との噂が飛び交い、借り手も買い手も現れず、しかし祟りを恐れて取り壊されることもなく放置されていた。
「魔法使いへの偏見というのは、まあそんなものだろうな」
鞄一つで村を訪れたフランツは、しみじみと言った。
村長が提示した家の価格はただ同然の値段であり、家屋修繕の手間ひまをもって相場程度の値段になりそうだった。何しろ十数年間放置されていた文字通りの廃屋なので、石や煉瓦で作った壁が無事だっただけでも御の字とフランツは考えた。
『これは見事なボロ家でございますな』
鞄の中で、燕尾服カエルが率直な感想を漏らす。カエルは相変わらず動けず、フランツはそれを否定しない。
「ボロ家だな」
『まあ住めば都とも申しますので』
それには答えず鞄ごとカエルを地面に叩きつける。文字通りカエルの潰れるような悲鳴が聞こえたので村長は驚きフランツを見るが、彼は至極平然とした顔で「ご心配なく。何かありましたら連絡を」と握手した。
フランツが知る限り、魔法使いには奇人が多い。
具体的に言えば人付き合いが苦手だったり、世間に疎かったり、生身の人間に興味を持たなかったり、おねいさん以外の女性を女性と認識しなかったりする。もっともそれは魔法学舎にいた者の特性であり、つまるところ魔法使いとしての素質に関係なく環境が人格を歪ませてしまうということになる。
事実フランツも「霊薬と超振動を用いた古代文明の便秘解消法」については一晩中語ることが出来ても、年頃の娘相手に色恋事を話すとなれば半刻会話を続ける自信も無い。
(郊外の一軒家に住んでいた魔法使いとなれば、もはや重症だろうな)
村長の話では、かつての住人は年がら年中引きこもっていたという。
『くれぐれも真似なさらぬよう』
燕尾服を脱いで歯車と発条を剥き出しにしたカエルが、テーブルの上で仰向けに寝ている。解剖標本のごときカエルは目をきょろきょろと動かして喋るのだが、その様は滑稽というか不気味というか。
『聞いておりますか?』
「喋るな、手元が狂う」
口元に当てた布越しにフランツの言葉。汚れた歯車を洗浄し、外れた軸を接ぎ、発条の具合を確かめる。修理といっても大した作業ではないとフランツは感じたが、どんな機械細工の時計よりも精緻な仕組みだった。熟練の職人でも躊躇するであろうそれを、フランツはいとも簡単に手入れする。その手先の器用さにカエルは素直に驚く。
カエルは半日の作業で元通りになった。
満足な道具もなく、埃だらけのテーブルを片付けただけの即席作業場で出来る芸当ではない。もっともそれを理解しているのはカエルだけで、フランツ自身はなんら疑問を抱くわけでもなく、埃と蜘蛛の巣だらけの家屋を掃除し始めている。
『……フランツ様は、手先が器用ですね』
「質問するまえに掃除を手伝え」
『おお、これは失礼いたしました』
と、燕尾服を着なおしたカエルが立ち上がり、フランツの後を追う。
丸二日をかけて一人と一匹はボロ家を掃除し、修繕した。それは本職の大工も感心するほどの早業かつしっかりとした仕事であり、村人はなるほどこれが魔法使いというものかと驚いた。
『でも魔法、使っておりませんよね』
「掃除如きに魔法を使ってたまるものか」
と当たり前のようにフランツは言う。
現実逃避したいかのように。
『……前に住んでおられた方、色々と遺されておりましたね』
「ああ」
魔法使いの遺品に手をつける村人は少ないだろう。家に遺された道具の数々は、フランツにとっては有難い代物だった。特に薬草を保存する瓶や、薬を煮込むための特別製の大鍋は、彼が生計を立てる上で欠かせないものだ。
が。
『フランツ様』
「なんだよ」
『現実を直視しましょう、現実を』
カエルはテーブルの上に置かれた物を指して、努めて冷静に言った。カエルが言う「現実」とは、極彩色に染め上げた少女服だったり、全裸の方がよほどマシというべき局部保護鎧だったり、濃紺のブルマーだったり、片方だけのストッキングだったり、金髪のかつらだったり、コルセットだったりする。
「あれだ、前に住んでいた魔法使いは女性だったに違いない」
『フランツ様』
カエルはぽんぽんと、フランツの肩を叩く。フランツは無言でそれらの衣服を裏庭で焼き捨てることにした。
◇◇◇
魔法使いというのは、魔法だけで生計が立てられる訳ではない。
もちろん遺跡を駆け巡り傭兵としてやっていけば、魔法のみで食っていくことも不可能ではない。しかし比較的平和な村に居を構え村人と仲良くやっていこうとすると、それ以外の仕事が増えてくる。
たとえば、糸を染める染料の調合。フランツが染める藍色の木綿糸はとても鮮やかで、織物をする女たちは喜んだ。
あるいは、恋文の代筆。隣村に住む若い娘に贈りたいのだと若者にせがまれて、カエルと共に頭をひねり古典文学など参考に、歯が浮くほど気障な言葉を書き並べる。封筒に花弁を煮詰めた香油など染み込ませ色つき蝋で封を施せば、その文面はともかく見た目は極上の恋文が出来上がり、若者はそれを大事そうに抱えて飛び出していく。
『平和でありますな』
すっかり居座ったカエルが背筋を伸ばし茶器を用意する。
フランツはというと、村長に頼まれて子供達に文字の読み書きを教えるための教本をいかなるものにしようかと考えている最中で、返事を口にするのに数秒を要した。
「食っていけるのなら、平和で結構」
『然り然り』
カエルは満足そうに頷きつつ、良く熱したポットより茶を注ぐ。朝一で摘んだ笹葉を焙じて作った茶は鮮烈な香気を漂わせ、カエルはうっとりとした。
『たとえ茶葉が手に入らないほど生活に困窮していたとしても、このようになけなしの知恵を振り絞って使えば胃袋は悲しくなるほどの貧しさを誤魔化して毎日を過ごすことが可能ですなあ』
「実にその通りだが君を好事家に売り払って当座の生活資金を獲得する事を考えないわけでもない」
『大切なのは心の豊かさであります、フランツ様』
しれっとした顔でカエルは茶を差し出した。
◇◇◇
ちょうど昼時の事である。
フランツは二日ほど前に掘ってきた山の芋と、菌糸が組織に侵入し肥大した松の根を共に煮込んでいた。煮詰めれば滋養強壮の薬となるそれをじっくりと煮込んでいたフランツは、そんなものを一体誰が買い求めるのやらと考えつつ大鍋の前に座っていたので、最初その客に気付かなかった。
もちろん、盛大に鳴る腹の虫に併せてカエルが陽気に歌い始めていたというのもある。
『そういえば、その昔すべてを喰らい尽くそうとした黒鬼がいたそうですな』
「私の敵だそれは」
『紙芝居屋に丁稚奉公している神官娘も、よくモノを喰らうそうで』
「私の敵かもしれんが追及は避ける」
『――空腹は人の心を荒ませますなあ』
ぴたりと腹の虫が止まった。
「……村長夫人の御厚意で焼いてもらったパンを君が勝手に食わなければ、私も穏やかな気分で午後を過ごせたと思うのだよ」
ひどく疲れた笑みを浮かべてフランツはカエルを掴んだ。手を伸ばし、ぐらぐらと煮立つ大鍋の上に運ぶとカエルはけろりと呻いた。
『これはひょっとして生命の危機でしょうか』
「返答次第では多分」
それは困りましたねえと、カエルは咽を鳴らす。
『わたくしに答えられることでよろしければ』
「なに、質問自体は単純だ」
静かに、そして大きく息を吐く。自分の中より感情的な部分を極力排し、理知的理性的に物事を進められるよう意識してフランツはこう尋ねた。
「人形は、飯を食わなくても生きていけると思ったが」
『もちろんです、フランツ様』
きっぱりとカエルは答えた。胸を張って。
『我ら人形にとって食事というのは味覚器官への刺激と、ウィットに富んだ会話を持続するためのスパイスに過ぎません』
まあ、はっきり言ってしまうと一種の娯楽です。
けろけろと断言した直後、フランツは大きく振りかぶりカエルを近くの壁に叩きつけた。
カエルを壁に叩きつけて、フランツはようやく来客の存在に気がついた。
正確に言えば来客の存在ではなく、扉をカリカリ引っかく音とすすり泣く声にだ。なにしろ先刻までは盛大に鳴り響く腹の虫にカエルの歌声が混じっていたので聞き逃していたのだろう、フランツは壁に張り付いているカエルを引き剥がしてこう言った。
「客か」
『左様で』
ずり落ちたカエルが埃を払い落として立ち上がる。
『フランツ様がか弱きわたくしをいたぶったりねぶったりしゃぶったりもてあそんだりされて貴重な時間を浪費していたために、放置プレイと勘違いされた妙齢のご婦人がハアハア言いながら扉の向こう側でフランツ様が来るのを待っているのではないのかと』
「四六時中腹を空かせて苛立っている無軌道無差別徹底破壊竜娘が珍妙なる燕尾服カエルがここに住み着いているのを聞きつけて、爪を研ぎつつ待ち構えているのではないのかと私は思うぞ」
沈黙が生じた。
『ひょっとしてフランツ様、ご機嫌ななめですか?』
「性根が歯車ごと捻じ曲がっている君ほどではない」
再び沈黙が生じた。
「ともかく客は出迎えなければな」
『御意』
一人と一匹は玄関へと向かい扉を開ける。
と。
『……ハアハアハアハアハアハアハア』
扉の向こうでは、二十を超えたかという妙齢の貴婦人が悶えていた。
ただし、下半身が蛇。
『では双方正解ということで』
「うむ」
『あああああああっ、扉を閉めないで下さいぃぃぃぃぃっ』
何事も無かったかのようニ爽やかな笑顔で扉を閉めようとするフランツに、蛇女は必死にしがみつくのだった。
◇◇◇
半人半蛇の貴婦人は、機械仕掛けだった。
『……驚かれないのですね』
「それはまあ、機械仕掛けのカエルが身近にいる訳だし」
とフランツは淡々と語り、貴婦人の尾に触れた。尾は途中で不自然な角度で曲がって動かず、まっとうな生命ならば骨折や脱臼など通り越した大惨事になっている。しかし鱗の裂け目から血が噴き出ることも患部が壊死することもなく、隙間を注意して観察すると複雑に入り組んだ歯車やパイプがそこにある。
「歯車や部品の脱落は?」
単眼鏡を右目に当て傷口をちょいと広げたフランツに、蛇女は小さな布袋を差し出す。開いてみれば歯車を含む幾つかの部品が入っており、それらは幸いにも磨耗も破損もない状態だった。
『直りますか?』
「治しますよ」
そのために私の家に来たのでしょうと問えば、蛇女は頷く。テーブルを片付けて即席の工作台に蛇女を乗せれば、盆に工具を乗せたカエルが駆けてくる。
『フランツ様、わたくしに手伝えることがあったら申し付けください』
珍しく声を震わせてカエルが言う。
『わたくし、なぜか胸の奥が疼くのであります』
「ほうほう」
『手足も、舌も、引きつったように。……はっ、これはまさかトキメキというものなのでしょうか』
それは本能的恐怖ではないのか。
咽までその言葉が出かけたフランツだが、或いはカエルの言葉にも真実が含まれているのやも知れぬと思い黙ることにした。なによりも痛々しい蛇女の尾を一刻も早く修理するのが先決だと考えていたので、フランツはそのまま作業を開始した。
人形を修理すべく作った道具は、以前にも増してフランツの作業速度を上昇させた。歯車仕掛けの構造を理解しつつあったフランツは、作業と並行して機構を図面に書き起こし、必要以上に傷口を広げないよう細心の注意を払う。
細工に長け地に住まう小人達でさえ驚愕するに違いない、卓越したフランツの技術をもってしても作業の完了まで一昼夜を要した。フランツは一睡もせず飲み食いもせず作業に没頭し、カエルはその間、蛇女を励まし続けた。
修理を終え数日を過ごし、蛇女の尾が完治したことをフランツは確認した。
「おそらく、これで当分は大丈夫だろう」
『……はい』
機構的には何も問題のない筈の蛇女は、どこか惚けた顔で窓の外を見ている。心ここにあらずとはよく言ったもので、歯車と発条で動いているはずの人形がこのような人間らしい仕草をするものだとフランツは感心する。
「他に問題は?」
『胸が痛いんです』
苦しそうに胸元に手を当てて、蛇女が呟く。
「胸というと、つまり主動力発条に異常ですか」
機構を記した図面を広げつつ頭をかくフランツ、しかし蛇女は苦笑して首を振る。
『あのカエルさん』
と、蛇女は窓の外を見た。
前庭の掃除をしつつ、村の子供達と戯れているカエルがそこにいる。
『あのカエルさんを見ると、こう……ムズムズするというか』
「はあ」
それは狩猟本能だろうねえ、と咽まで出かかった言葉を飲み込んでフランツは相槌を打った。
『彼はわたしを絶えず励ましてくださいました。だからこそ、わたしは手術の恐怖にも耐えられたのです』
胸の前で手を組み、まるで祈るような仕草でカエルを見る蛇女。
フランツはしばし考え。
とりあえず考え。
唸り。
「あいつも、あなたのことを気にしているそうですよ」
と、何気ない口調で言った。
『本当ですかっ!?』
「嘘だと思うなら」
直接訊くといい。
言うや蛇女は物凄い勢いで扉を開けて家の外に飛び出した。村の子供たちは突如現れた蛇女の姿に驚き、ついでにカエルと熱い抱擁を交わしたのを見て意識を失った。
こうして。
人形修理の確かな技術を身につけたフランツは、セップ島でも数少ない技師として人形達に知られるようになる。これにより彼の暮らしは少しずつ改善していくのだが、沢山の人形が押しかけてくる彼の家は化け物屋敷として知られるようになったという。




