92,亜人。
第2層の序盤は、実に順調だった。
蟲型魔物との遭遇はなし。ついでに、ただのネズミとの遭遇もなし(当然、こんなところにはいるだろうしな)。
ただし、死体との遭遇もなし。
どうにも不安になってくるね。会員№252の死体が、ここのどこかに転がっていて、〈キー〉を所持していた──なんて確率は、どの程度のものだろうか。
ちなみに第何層といっても、その層はどこまでも同じ深度にあるわけではない。
緩やかにくだり、時には天然の階段状となり、ぐんと下がる。
探索ルートとは、山登りの反対のようなものだ。先人が見つけていった『通過できるルート』を進むまで。よって武器以外の装備品も、登山のそれと似ている。
一休みして、水分と行動食をとることにした。
「この人数で、〈魔月穴〉内で野営するのは自殺行為だ。というわけで計画通りに進まなければ、第3層に達せずとも引き返すことになる」
エンマがうんうんと同意する。
「何事もリスクを取らないのが大事ですよね!」
「あれ、リッちゃん。火の玉が飛んでくるよー」
あははと笑いながら、斜面の下のほうを指さすスゥ。
スゥって、本当にネズミがかかわらないと肝が据わっているよなぁ。
一方、エンマは悲鳴をあげて、
「火の玉ってなんですか! ここはアンデッドとかでないと聞いたのに! ゴミ箱に避難させてくださいよぉぉぉ!!」
「落ち着け、エンマ。情けない」
「巨大ゴキで死にかけていた人に言われたくないです」
「あれは火の玉じゃない。松明をもって走りあがってくる人間だ」
基本、暗闇が包んでいる〈魔月穴〉内だ。光精霊のスキルでもなければ、松明などは必需品。
やがてその人物の姿が見えてきた。20代の女性で、何やら血相を変えている。
おれたちのもとまで来ると、肩で息をしながら、
「お願いします皆さん! 助けてください!」
おれはスゥと顔を見合わす。
〈魔月穴〉探索の暗黙の了解は、他人のことは放っておけ。人助けしていると、自分たちの身まで危なくなる。
ただし、それは冒険者には当てはまらないルールだろう。
冒険者は人助け精神でできている。おそらくな。
「どうしましたか?」とスゥ。
「その、あの、わたしはハンナといいます。仲間たちともぐっていたんですが、突然、たくさんの亜人たちに襲われまして。それで、仲間の二人は、亜人たちに連れていかれてしまいました。お願いします、彼らを助けてください!」
ジラ族が、こんなところまで上がってきていたのか。
それも、集団で?
「亜人は何体いたか、分かるか?」
おれが問うと、100体はいた、という驚愕の返答。
100体も第2層まで上がってきたと?
これまでの目撃情報は、せいぜい数体で移動しているものだったが。それに人類に友好的ではないとはいえ、向こうから集団で人間を襲撃してくる、というのは聞かない話だ。
ハンナの嘘だろうか。
助けを求めておいて、実は盗賊であり、油断したところを襲ってくる。
という事件もある。
ただこのハンナの様子を見るからに、助けを求めてきたのは演技ではないようだ。
ただ引っかかるところがあるのは間違いないが……
「スゥ。急いだほうがいいな。ハンナさんの仲間が、どこまで連れていかれるか。せめて第3層内で追いつけないと、まずいことになる」
「うん、そうだね。ハンナさんにはどうしてもらう?」
「一緒に来てもらおう。大丈夫ですか、ハンナさん?」
「え、あ、はい! もちろんです!」
この人は、何かが胡散臭い。
さて、なんだろうか。
とにかく、こういうときは性善説で動くとしよう。
実際にハンナの仲間が亜人たちに連れさらわれたというのなら、さっき言ったように、せめて第3層内で追いつき、救出する必要がある。
それより深く潜られると、厄介極まりないことになるからな。




