六話 麗空
駄目ね、また翔惟に相談するのを忘れてしまったわ。
麗空はバスを降りて手を振っている友人の姿を眺めながら、思わず自分の失態に吐息を零した。
彼女はスイスでこの春まで生まれ育ち、家の中と日本人学校でしか日本語を話す機会はなかったが、日本に来ても何とか日常生活には困らなかった。しかし友人となると、困った事に少なかった。
会話が続かないのである。最初は会話になっているが、次第に相手がうっとりとした顔になって、自分の顔を見たまま動かなくなる。最初は嫌われているのかと思ったが、どうやらそれは好意故らしいと気付いてからは仕方ないと諦めた。
普通に会話が出来るのが数人しかいなく、楽しく会話が出来るのは翔惟ぐらいだったのだ。だから、何かと翔惟に甘えてしまっている。
日本に来て初めて登校する日にバスに乗ろうとして、親から貰っていたICカードの種類が違っていてどれだか困っていると、手にしているカードの中から一枚抜き取り「これだよ」と親切に教えてくれた。初めて翔惟に会った時、麗空は漠然とした親しみを彼女に感じた。翔惟なら、自分を助けてくれる、寄り添ってくれる、と。彼女の笑顔が、どこか懐かしいように思えた。
だからそんな彼女にしか、麗空は今抱えている悩みを相談する事が出来ない。夢で困っている、なんて誰も信じないだろう。もしくは、たかがそんな事でと笑うだろう。麗空には、この話を真剣に聞いてくれるのは翔惟しかいないと信じていた。
そもそも、自分の成長と同じく知らない世界観の夢を見るなんておかしいに違いない。それは幼少期育ったスイスの夢でも、映像でしか知らない日本の夢でもなかった。一枚の布で体を覆い、装飾品や帯で個性的に飾る服。男性は短く髪を刈り上げて、女性は高く結い上げる髪型。気候は温かく温暖で、湿った花と海の香りがした。もしかしたら、地中海辺りだろうか。
夢の中で、歳の近いだろう少年少女たちが並んで海を見ていた――島か半島なのかもしれない。この仲の良い少年少女たちの夢を、麗空は小さな頃からずっと見ていた。彼らは五人組のような気がするのだが、何故か一人の姿はぼんやりとしていて記憶に残らない。ただ――金色の髪の少年と仲が良かった気がする。起きた時、四人の姿は覚えているのだが、影のようにもう一人だけ思い出せない。
夢だから、仕方ないのかもしれない。そう、麗空は割り切って夢を楽しんでいた。
彼女の成長と共に、この少年少女たちも夢の中で成長していった。かと言って、毎日見ていたわけではない。三カ月に一回や半年など、連続夢としてそう多くはなかった。だから、夢を見た日は特別な物語を見たようで楽しかった。
しかしここ二週間ほど、同じ場面を見ていた。
古代戦争のような、土煙と火の匂い。血が辺りに飛び散り、呻き声が聞こえて来る。宮殿が自分に崩れるような光景を見た時に、麗空は叫んで目が覚める。毎日見ているので、落ちる瞬間が分かっているのに何故か叫んでしまう。三日前は、あまりに大きな声を上げてしまったので、兄が心配して様子を見に来てくれたくらいだ。
あの仲の良かった少年少女はもう今の自分たちくらいの年齢になり、剣を手にしていた。彼らも、戦に参加しているのだ。むしろ、彼らが戦いの中心にいたような気がした。応援したいのだが、途中で目が覚めるのでどうなったのか分からない。
この夢は、自分に何か関係あるのかもしれない。そう思った麗空は忙しい時間の中図書館で本を読んだりインターネットで調べてみるが、何も夢と関係するものは出なかった。
しかし、匂いや喧騒――それらは麗空がそこに居ると感じるほどリアルに感じる。実際に見たような感覚しか残らなかった。だからこそ、この夢は自分に何かを訴えかけているのではないかと麗空は感じていたのだ。
でも自分だけで調べるのには限界がある。そこで、翔惟の力を借りようと思っていた。だけど彼女と話していると、つい楽しい話ばかりを選んでしまう。もしかすると、その夢の意味を知らずに「恐れている」のかもしれない。
だけど、はっきりさせなければ私は何時までもこの夢を見る事になるかもしれない。
麗空は可憐でか弱そうな美少女の風貌だが、意志が強い所があった。決めた事を実行する勇気を持っていた。学校が終わって落ち着いたら、翔惟にメールをする時に今度こそちゃんと相談しよう。そう改めて自分に言い聞かせる。
それに――何故か、この夢に翔惟も関わっているような、そんな漠然とした不安もあった。
「次は、水嶋高校前」
バスのアナウンスで、麗空は我に返って降りる準備をした。同じくバスを降りる水嶋高校の生徒が、「おはようございます」「おはよう、姫」と挨拶してくるのに「おはよう、いい朝ですね」と返事をして麗空は黒い髪をひらりと揺らして、校舎へと向かった。




