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第五十三話『憑依』―3

 

 普段、マヒルが自分を浮かせる事くらいにしか力を使っていなかったので弱い印象しか持っていなかったが、出力幅はあるようだ。


「死んじゃいないと思うけど、脳震盪(のうしんとう)でも起こしたのかな? この、超能力……だっけ。案外強い力が出せるんだね」


 気に入ったよ、と楽しそうに笑うマヒルの顔は、彼女そのもののように見える。


 洋介は、ユウヤ同様怒っているであろうイツキへ顔を向けた。

 小学生のように小さな体。丸みを持った頬。それより丸い、黒目がちな眼。

 見た目はいつものマヒル。

 けれども、確実に違う。


 今の彼女を包んでいる色は、かつてイツキが心を奪われた、極彩ともいえる輝きを失っていた。


 多くの人々同様、日本庭園にある池のように穏やかな一色だけがマヒルを包んでいる。

 しかもそれは、澄んだ美しいものではなく、何年も放置された沼のように濁っていた。


(あぁ……僕が好きだったのはマヒル自身じゃなくて――)


 イツキは気付いてしまった。


 自分が“マヒルを包む色たち”を愛していたのだ、と。


 しかし、彼は気付かない。

 彼女を包んでいた“色”そのものが、彼女の本質である事を。

 そんな事はイツキ自身よく知っているはずなのに、完全に失念している。

 彼女自身が現在、洋介によって塗り替えられている。

 つまり、イツキが優先すべきなのはいつものマヒルを取り戻す事、だ。


 だが、考えがそこに及ばない。


 その結果、イツキの出した“現状打破”がコレ(・・)だ。


 スーツのジャケットから、ハンカチを取り出した。

 何かを包んでいる。

 ハンカチを広げて“何か”を摘まみ上げ、口に含むと――イツキはマヒルを抱き上げて、深く口付けた。


 丁度この場へ現れた凌が、「え、どーいう状況……?」と間の抜けた声を発したが、その問いへの返答は……残念ながら無かった。




 そして、数秒の沈黙が流れ――。


「あれ?」


 マヒルから口を離したイツキもまた、間抜けな声を上げた。


「尚巳君の奥歯にあったコレ……自決剤の筈なんだけど……」


 イツキが口からハンカチへ移したソレ。

 凌には見覚えがあった。


 破損している、奥歯の被せ(クラウン)

 《P・Co》の工作員が奥歯に仕込んでいる、毒薬だ。


(そういや、尚巳あいつ律儀に奥歯に仕込んでたな。半年に一回ある歯科検診で毎回交換するけど……アレ、泰騎先輩からの指示で中身キシリトールに変えてんだよなー)


 今、イツキとマヒルの校内には、優しい甘みが広がっている筈だ。

 勿論、飲み込んでも死にはしない。


「何だコレ!? なんか甘ぇぞ!!」


 マヒルは大きな目をぱちくりさせて叫んだ。


 イツキの愛の口付けにより意識が戻った――わけではなく、男にキスをされたショックで洋介がマヒルから飛び出したからだ。

 その洋介はというと……、


「ははは! 最初からこの子に憑りついておけば良かったよ!」


 ちゃっかり、気を失っているユウヤに憑りついていた。

 虹のように鮮やかな色のオーラが戻ったマヒルだが、イツキは先刻までの自分の行いに対する罪悪感から、言葉が出ない。


 イツキの様子を不思議に思ったマヒルが、顔を傾ける。

 少女のような姿と、元に戻ったマヒルの“色”にイツキが愁眉を開いて長い息を吐き出した。


 瞬間。


 マヒルの体がなくなった(・・・・・)


 否、捩じられ、細くなり、人のかたちではなくなった。

 頭部のみが無事だったが、支えがなくなったそれはゴト、と低い音を立てて廊下に転がった。


 その弾みで、真っ赤なカチューシャもパシャンと落ちる。


 僅かに訪れた静寂を破ったのは、ユウヤに憑りついている洋介だった。


「拓人を狙ったつもりだったんだけど……おかしいな?」


 手のひらを見ながら呟かれた、全く緊張感のない声。


 ユウヤの声を聞いて我に返ったイツキが、言葉に成らない悲鳴を上げた。

 広がっていく血だまりに両膝を落とし、震える手でマヒルの頭部を拾い上げる。大きく見開かれたままの眼は光りを失い、その瞳がイツキを映すことは事はなかった。


 マヒルが死んだ事を脳が理解し、イツキの目からは涙が零れ、口からは嗚咽が漏れ出した。


「イツキさんはさぁ」


 ユウヤの姿で洋介が語り掛ける。


「マヒルさんと心中しようとしていたみたいだけど、コーセー君はどうするつもりだったんですかぁ?」


 いつもよりねちっこく問い、彼の精神を抉りにかかる。


 勢いに任せて自害しようとした時とは違い、イツキの中に未練が蘇った。

 目の前に立っている義弟を殺そうと思い至らしめた存在。

 自分とマヒルの分身ともいえる、まだ小さく、自分が守ってやらなければならない存在。


「こう、せい……」


 うわ言のようにその名を呼んだ。


 それと同時に、地響きと爆発音が立て続けにイツキを襲った。


 



 

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