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世界の平和より自分の平和  作者: 三ツ葉きあ
第五章『秘密』
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第四十九・五話『がとうとごとう』

 

「『ごとうまひる』さん、二番の診察室へどうぞ」


 白い看護師服に身を包んだ女性が、柔らかな声で待合室に向かって呼びかけた。

 しかし、誰も立とうとしない。

 看護師はもう一度、同じ文言を呼びかけた。


 すると、「すみません」と男性の声。

 その隣には、むっすりと頬を膨らませて目を三角にしている女の子――ではなく、成人女性。


「『ごとう』ではなく『がとう』なんです」


 付き添いの男は眉毛をハの字にして言った。

 少し崩したオールバックというワイルドな髪型をしているが、声色は優しい。

 看護師は慌てて謝罪し、名前を訂正した。


「ったく。問診票もカルテも診察券もフリガナふってんだろうが。フツー、そこはチェックするだろ」


 頭に真っ赤なカチューシャを着けたおかっぱ頭は、ご立腹だ。文句を吐きながら、案内された診察室へ向かった。

 後ろでは男性が看護師に苦笑しながら頭を下げている。

 その姿が気に入らなかった後藤(がとう)真昼(まひる)は、夫を睨みつけて先を歩いた。


 真昼の妊娠が判明したのは一か月前だ。その時すでに、妊娠二か月目だった。

 病院へ行く金などないからと通院を拒んでいた真昼であったが周りが(さと)し、現在もこうして病院で診察を受けている。


 エコーの画像は昔ながらのもの。白と黒の画面に、胎児の姿が確認できる。

 丸眼鏡の老体が「男の子ですね」と目尻を垂らし、皺を深くして言った。


一月(いつき)、男だってよ。良かったな」


 そう言う真昼も、その表情だけで喜んでいることがわかる。

 先程までプリプリ怒っていたからか血圧は高めだったが、注意されるほどではなかった。体重の増え方も緩やかなものだ。

 経過は良好といえた。




◇◆◇◆




「男だってよ!」


 真昼は病院で貰ったエコー写真を机に並べていた。


「マジか! ねーちゃんでかした!」


 子分ができるからか、弟は大喜びだ。

 対して友人は「えー? 女の子じゃないのー?」と不満げである。ぽってりとした唇を尖らせ「フリフリのワンピース着せたかったのにー」と大きな溜め息を吐いている。


「どっちゃゆーても元気ん大きなっとーなら良かね」


 トサカのような髪型の赤毛の青年は笑いながら駄菓子を頬張っている。同じように机に座っている金髪マッシュルーム頭も「だよな!」と頷いた。


「っつーか聞いてくれよ! まぁた病院で名前間違われたんだぜ!?」


 真昼はまだ、看護師に『ごとう』と呼ばれた事を根に持っている。

 このメンバーにとっては見慣れた光景だ。


「俺はこの前、名前間違った先公の両脚をねじ切ってやったぜ?」


 弟は何故やり返さなかったのかと不思議そうにしている。

 その視線の先には一月。


「一月にーちゃんなら看護師一人ぶっ飛ばすくらいできるだろ?」

(ゆう)、場所を考えなきゃ」


 大勢の人が居る上、その大半が妊婦だ。そんな場所で傷害事件など起こせない。

 弟は、それもそーか、と引き下がった。

 だが、完全に納得はしていない。少し考え込む素振りを見せ、


「んじゃさ。もう名前をカタカナにしちまおーぜ」


 突拍子もないことを言い出した。

 しかし、真昼は乗り気だ。


「いいなそれ! よっしゃ、私らは名前をカタカナに改名! 決定!」


 一月は内心、そんな無茶な、と思ったが、この姉弟(きょうだい)は言い出したら聞かない。

 名前の事でこれ以上犠牲者を出すのも好ましくない。

 結局、一月も頷くしかなかった。




◇◆◇◆



 一方。

 家族と離れて暮らしている後藤(がとう)朝陽(あさひ)こと後藤(ごとう)東陽(とうよう)は、学校の宿題を済ませてひと息ついているところだった。

 整った顔にはぽつんと艶ボクロがある。

 椅子の背もたれに身体を預けて伸びをした時、卓上に置いていた携帯電話が振動を始めた。すぐに止まったのでメールだろう。

 東陽は二つ折りのそれを縦に開くと、届いているメールを確認した。双子の弟からだ。


『よーっす!元気に生きてるか?

突然だけど俺ら

ガトウマヒル

ガトウユウヤ

ガトウアサヒ

ガトウイツキ

に改名したから!

あと、ねーちゃんの子どもは男だってよ!』


 短めの文面だが、この数十文字が東陽に与えた衝撃は凄まじかった。

 あまりの事に、本当に言葉が出ない。


 東陽は眼を閉じて天井を仰ぎ、そっと、携帯電話も閉じる。

 じわじわ溶けて滲むような溜め息だけが口から漏れ出した。


 もう眼を開ける気も失くしてしまった東陽だったが、身勝手が代名詞のような弟に返事を送る為、再び携帯電話を開いた。

 たったひと言。


『わかった』


 とだけ打ち込み、送信ボタンを押す。

 それだけで何故かどっと疲れてしまった。

 何もかもどうでもよくなり、そのままベッドへダイブ。


 同室の片割れが立てる寝息と同調するように、東陽もそのままゆっくり眼を閉じた。




 

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