第四十二話『あの人は今』―5
「ここで繁殖させたんですか……」
東陽と同室の会員は猿轡を噛まされ、生きてはいるが毒にやられて動けない状態だ。
昨日からバタバタと忙しくしていたので、周りに気付かれなかったのだろう。
「ここで生ませた卵だとすると、成長が恐ろしく速いですね」
部屋に張っていたのか、床には大きな網が落ちている。
巨大蛾の羽が壁を叩くと、衝撃で壁紙にヒビが入り、毒針も落ちた。
「……これで周りが気付かないなんて、防音が優れているのも考えものですね」
康成はやれやれと肩を竦める。
ぶんっと、頭を目掛けて包丁を投げたが、羽で叩き落とされた。すかさず、頭と腹に向かって発砲。それも致命傷には至らない。
「うぅん。母は強し……ですかね」
蛾は、康成から卵や幼虫を守るようにして飛んでいる。
「母性本能って人間には無いらしいですけど、虫にはあるんですかね?」
誰にともなく訊いてみるが、返事はない。
紐を引いて包丁を手元へ戻し、少々刃のこぼれたそれを見て嘆息する。
銃も使えないとなると、どうするか……。と考えている間にも、毒針は降ってくる。
「康成さん、伏せてください」
殺伐としたこの場に似合わない、春の陽射しのように柔らかい声が、康成の姿勢を低くさせた。
視線は巨大蛾へ向けたまま。視界の端に目の前に大きなハエトリグサが現れ、それは大口を開けて蛾へと向かっていく。蛾に逃げ場はない。ハエトリグサはもう一回り大きく葉を広げ、蛾を喰った。
丸呑み。
蛾は、ハエトリグサの中で消滅した。
康成が後ろを向く。
「お早い到着ですね、雪乃さん。助かりました」
藤原雪乃。喫茶“仏々”の看板娘が、沈痛な面持ちで部屋の入り口に立っている。
「丁度こちらへ向かっていた時に連絡を受けたので……。でも、もう少し早く着いていればここまでの被害は……」
「いえ。貴女をこんな場所へ引きずり出す程の事態を招いた、こちらに非があります。すみません」
「あの会長の事です。これもきっと、思惑通りですよ」
負傷している少年の猿轡を外し、解毒薬を飲ませている雪乃の表情は康成からは伺えないが、いつものおっとりとした声色の中に、微かに怒気を孕んでいるように感じた。
雪乃は、どこに持っていたのか……大量の湿布薬を康成に渡す。寿途が千晶に作ったものと同様、ヘチマなどで出来ているようだ。
「鎮痛剤入りの解毒湿布です。取り敢えず、これを皆さんに貼ってあげてください」
毛虫用とムカデ用を分けて説明し、雪乃は少年の額に解熱用の湿布を貼って、立ち上がった。その雪乃に、康成がひと言。
「よろしくお願いします」
「可哀想ですが、仕方ありませんね」
ふぅ、と息をひとつ吐き、雪乃は眼を閉じた。
すると、雪乃の長めの襟足の毛先が深い緑色と鮮やかな黄緑色へ変化し、質感も繊維質なものへ変わっていく。それは、最終的に植物の茎となった。深い緑のものと、黄緑色の二種類が無数に伸び、室内を覆い、続々と廊下へ飛び出していく。
康成はその間をくぐりぬけ、負傷者たちの元へ急いだ。
「いやぁ……雪乃さんのコレ、初めて見ましたけど凄いですね……」
人を避けて進むつるたちに、康成は僅かな冷や汗を滲ませて呟いた。
比較的無事な会員が「何だこれ!?」と驚いてつるを切ろうとしているのを、「切ったらダメですよー」と戒める。
「つるは索敵機能が備わっていて、もう一方は……」
ちらりと横を見て、黄緑色を確認する。
「ほら。あれはハエトリグサです。つるで敵を見付け、ハエトリグサで仕留める。アレに食べられたら、文字通り消滅してしまいます」
パクッと毛虫が喰われ、次の毛虫を喰う為に双葉を大きく開けた時、中にはもう何もなかった。
康成は顔を青くしている会員の、赤紫に腫れている腕に毛虫用の湿布を貼る。にこりと笑って、
「現在の形態では人は対象外なので、安心してください。動けるようでしたら、これを他の会員に貼ってあげてくださいね」
貴方誰ですか。という視線を感じつつ、毛虫用とムカデ用の湿布を分けて渡して康成は下の階へ下りた。
東陽の部屋では、雪乃が植物化した髪を伸ばし続けていた。
部屋の中に虫はもう居ない。
(ムカデの移動速度が速い。秀貴さんの結界に覆われているから、敷地の外へは出ないはず……)
一般の人間を巻き込むことがないのが、せめてもの救いだ。
つるが得た情報は雪乃の脳へダイレクトに映像として流れ込む。
一度に大量の情報が入ってくるので容量オーバーしそうなものだが、全身全力で意識を集中させ、つるとハエトリグサを操り、虫を減らしていく。
負傷した会員たちの姿が多い中、《S級》の会員が数名、虫を相手に善戦していた。だが、急に正体不明の植物が迫ってきたら、敵かと焦りもする。
ここに居る会員たちは、雪乃の能力を知らないのだ。
ムカデを斬り刻んでいた少年が、つるやハエトリグサを斬ってしまっても仕方がない。
「痛……ッ」
一本や二本なら何という事はないが、大量に切られると痛みも走る。
少しして、刀を振り回していた少年の元へ康成が来て「それ、雪乃さんなので切らないでくださいねー」と言ってから、湿布を渡して負傷者の手当てに回るよう促し、去って行った。
索敵用のつるが伝えてくる映像でその様子を見ていた雪乃は、小さく安堵の息を吐いた。
十五分ほど経過した頃。
「雪乃さん、お疲れ様です」
飲み物と、非常用に備蓄してある缶入りの保存パンを持って、康成が現れた。
雪乃は伸ばしていた植物を引っ込める。数十秒で、雪乃の髪は元に戻った。
肩で息をしている雪乃に、ペットボトルのミルクティーを渡しながら、康成は感嘆した。
「話には聞いていましたが、凄いですね」
付け加える。
「でも、かなり無理されたんじゃないですか? 休んでいてください。あとは僕が――」
細い指の手が、康成の腕を掴んで止めた。
「まだです。まだ、怪我をした子たちがたくさん居ます。まだ生きている子が、もし、手遅れになったら……」
「分かりますが……」
「小さい子が多く居た、一階へ行きましょう」
有無を言わさず、今度は康成の腕を引く。
先程得た情報で、被害の状態は分かっている。
康成も同様に、走り回っていたので敷地内の様子は把握している。
二人は揃って、一階へ急いだ。
悲惨な地獄絵図――というものを、雪乃は度々目にする。主に翔の所為なのだが……見知った顔となると、雪乃の顔も沈痛なものとなる。
命を落とした者は三人。その他は、大なり小なり怪我で済んでいる。
転がっている腕や脚を持ち主の体へ戻し、雪乃が手を翳す。患部が白く発光し、千切れた個所がくっついていった。
「葉脈を血管代わりにして、繊維で繋いでいるだけの応急処置です。なので、無理に動かさないでくださいね。きちんと固定していれば、一か月くらいで元のようにくっつきますから」
雪乃が繋いだ場所を康成が固定しながら、各々に説明をして回る。
外の犠牲者は少ないが、地面に横たわっているのは、シンジ襲撃時に生き残った子どもたち。養護施設棟から避難し、本部の一階や広間に身を寄せていた。
少年少女たちは、上級会員に避難するよう言われて外へ飛び出したのだろう。
康成が腕を切り落とした少年も、幸いまだ息がある。雪乃の応急処置と解毒で、青紫だった顔に、少し血色が戻って来た。
雪乃は胸を撫で下ろすも、直後、胸に刺すような痛みを感じた。視線の先には、頭部を砕かれた少女の遺体。
先週、店のレジ横で売っているクッキーの残りを持って来た時、花の形をしたアイシングクッキーを美味しそうに食べていた女の子だ。顔の損傷は激しいが、服がその時に着ていたピンクの花柄のものだったので、気付くことが出来た。
大きくなったらお菓子屋さんになりたいと夢を語っていた、向日葵に似た笑顔の少女だった。
花弁のような唇を震わせて俯いている雪乃の肩に、康成が手を置く。
「泣いていいですよ」
涙が今にも決壊しそうな眼を向けられて、一瞬どきりと胸を鳴らした康成が、
「僕の胸でよければお貸ししますよ。拓人君でなくて申し訳ないですが」
と失言をかましたので、雪乃の涙は引っ込んでしまった。
さぁ、殺された千晶がここに居るのに、何故他の死んだ人たちはその辺に居ないのか……そんな疑問が発生しそうですね。
(勿論、書いていないだけで、そこらじゅうに幽霊は居ます)
基本的に、彼らの住んでいるこの世界の死者たちは、強い意思を持っていないと現世に留まれない決まりとなっています。
生前、精神的に強かった者がそれに当てはまる傾向にあります。
能力値の低い千晶が《SS級》に居る理由の大部分は、きっとそれです。
臣弥にとって千晶は“死んでからが本番”という計算だったのかもしれませんね。
となると、翔の母親や拓人の母親も現世に留まっていても良さそうなものですが……何故居ないのか。
翔の母親は、好奇心が旺盛なので「あの世って所、気になるぜ!」と。まぁ、現世に居ても息子の翔に触れられるわけではないので、とっとと消えました。
次に、拓人の母親。
彼女は少しの間は現世に留まっていて……という、蛇足落書き漫画を描いてきたので貼り付けていきます。
彩花は自分が無理矢理秀貴を引っ張って駆け落ちした事に後ろめたさを感じていたけれど、そんな事はないのに秀貴の愛情表現が下手すぎて伝わらなくてすれ違ったまま別れたから秀貴は数日間落ち込みまくるという不器用さ(早口説明)
あと、どうでもいいけどこの頃は竜真の髪が短め。
以上、蛇足でした!




