第三十八話『銀の人』―3
一撃、二撃、三撃……と入れ替わるように床材を突き破って現れたそれに対して、千晶は赤く染まっている眉を寄せた。
洋介の傍に、シロの姿はない。
「不思議そうだね」
どこか楽しそうに言う洋介に、千晶の眉間の皺が深くなる。
「そんなに驚いてもらえるなんて気分がいいから、教えてあげようかな? 何でシロが出てきていないのに、氷をポンポン出せるのか。簡単さ。寿途と同じ。僕も、シロの遺伝子を打ち込んである。それだけだよ」
なにせ僕は化学枠で会員になってるからね! と、両手を広げて言う。
「能力を使う時にいつもシロを呼び出していたのは、それを悟られない為。今シロを出さないのは、寿途にシロを消させない為。以上、説明、終わり」
ゴッ! と鈍く重い音を立て、ひと際太い氷柱が出現した。
寿途は樹木の壁で千晶を覆い、庇う。氷柱は樹木の皮を抉って止まった。かと思うと、円錐型だった氷柱の先端が急激に細く伸び、次の瞬間には下方へ曲がり――、咄嗟に後退した寿途の右太ももを、氷針が突き刺した。しかし、寿途は膝を突いたのみ。痛みに叫ぶ事も、呻く事すらなかった。
「ははは。ほんと気持ち悪いよね、痛覚のない化け物って! 人形みたいだ!」
洋介が、ぶんっ、と手を振れば、寿途の太ももに刺さっている氷は拡張し……。
「ぇ…………」
小さな口から小さな声が零れ……、寿途の右太ももが、破裂した。
「ははははは。全身凍らせて砕いてもよかったんだけどさぁ、それじゃ面白くないもんねぇ!」
「何!? ちょ、寿君、コレ引っ込めて!」
床から生えている木の向こうで千晶が叫ぶので、洋介は抉れた皮の部分に手をあてて木の中にある水分を凍らせ、破壊した。
樹木の壁が崩れ……、千晶の目に飛び込んで来たのは、片足を失くした寿途だった。
破裂した付近の血管が凍結しているからか、出血自体は少ない。だが、このまま長時間放っておけば、命に係わるだろう。
絶句して固まっていた千晶の額に、血管が浮いた。
「ブッッ殺す……!」
「ははは。千晶のその顔、好きだよ。でも、今僕が見たいのは怒った顔じゃないんだ。そんなの、見飽きちゃった」
アメリカのコメディアンのように大袈裟に肩を竦め、洋介は両手を広げて言った。
「僕が見たいのは、千晶の泣き顔さ」
「あいっかわらず気持ち悪いわね! 黙んなさい! この、クズが!!」
怒りと嫌悪で叫んだ拍子に傷口が開き、脇腹に貼ってある湿布に血が滲み、広がりつつある。そんな事には構わず、千晶は片脚を失くしてうまく立てず、座り込んでいる寿途の首元を引っ掴んでカウンター裏まで飛ぶように走った。
ビリ、と布の破れる音がしたが、それにも構わない。どうせ包帯代わりに破るつもりだったので、むしろ好都合だ。
着地した低い姿勢のまま、千晶は視線を動かした。
カウンター裏――つまり、いつもやすえが調理をしている場所。奥には地下へ通じる通路がある。だが、今用があるのはそっちではない。
千晶は目の前にある板の窪みに指を引っ掛け、板を外した。そこには、やすえが緊急時に使う9ミリ機関けん銃が掛けられている。M9と呼ばれる、小型の短機関銃だ。それを足元に置き、寿途のTシャツを先程の裂け目から更に割き、残っている右のふとももへ巻いていく。
徐々に出血が酷くなっているものの、痛みに鈍感な寿途は静かだ。
「寿君。ボーッとしてないで、止血」
小声で、だが強い口調で言うと、寿途は泣きそうな顔で千晶を見上げた。
「ごめん、おれ、失敗した……」
初めて見る寿途の表情に驚きつつも、千晶は深呼吸を挟んで、寿途の両肩に手を添えた。真っ赤で人工的な瞳が、漆黒のような眼を真っ直ぐ見詰める。
「大丈夫。失敗なんかしてない。寿君は生きてる。大丈夫だから……今は、自分の事だけ考えて。自分を最優先で守って。コレ、あたしからのお願い。分かったら、ほら、音が聞こえないくらい、しっかり巣篭りしてなさい」
肩から手を放すと、寿途はもう一度千晶を見上げ、頷き、硬く分厚い樹皮に覆われた。床に張り付き、蛹のようになっている。
千晶は植物に詳しいわけではないが、おそらく針葉樹の皮だろう。
カウンターで隠すようにしてM9を握り、千晶は立ち上がった。今になって腹が痛むが、気合いで無視して。




