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世界の平和より自分の平和  作者: 三ツ葉きあ
第四章『味方の中の』
169/280

第三十八話『銀の人』―2

◆◇◆◇




 はぁ、はぁ。


 息を切らして、洋介は走っていた。普段はワックスで後ろへ追いやっている髪が、視界を遮る。建物内で“上靴”として履いている靴は、有事の際に対応出来るように外履きのものと変わらない種類を履いているので、足元については問題ない。


 《自化会》の敷地を飛び出し、洋介はある場所へ向かっていた。

 焼肉屋“匣”。地下がレンタル武器庫となっている、地下組織御用達の店。

 千晶と寿途はここに居る確率が高いと、洋介は考えていた。


(千晶は、寿途が樹木葬をしたって言っていた。だとしたら、寿途はお腹がすいているはず……)


 腹がへって食事に向かったのだとしたら、十中八九焼き肉だろう。そして、《自化会》から近く、気兼ねのない店と言えば“匣”しかない。


(順番は狂ったけど、こうなったら――!)


 洋介は木製の引き戸に手を掛けた。

 いつもなら、がらっという軽快な音と共にスライドする入り口は、少し重く……、


(まさか……)


 と思った時には、洋介の手は扉と一体化していた。“扉に掴まれた”ともいえる。木製の扉からは枝のようなものが伸びていて、それが洋介の右手に絡まっている。


 固定されている戸はそのまま、入り口が開いた。立っているのは、頭の先から足の先まで赤い、ヘソ出し女。


「安心しなさい? さすがに、こんなトコで機関銃をぶっ放すなんてしないわ。まぁ念のため、やすえさんには地下に避難してもらったけど」


 腰に手を当て、千晶が、ふん、と鼻を鳴らす。年下彼氏とのランチデートを邪魔され、ご立腹の様子だ。その後ろに、頭一個分小さい少年が居る。

 木製の引き戸を変形させている張本人。いや、扉を変形させているのではなく、木を変形させて扉にしているのだろう。


 今日は本当に、ツイてない。


 洋介は、本日何度目かの大きな溜め息を吐き出した。その息は、極寒の中に居るかのように……白かった。


 ピシ……ッ。パキ、パキ――。

 扉に、無数の亀裂がはいる。間もなくして、扉は僅かに膨張し、内側から砕けた。


「例え寿途が“成長させた”樹木でも、それは、“只の植物”でしかないんだよね」


 自由になった右手首を回しながら、洋介は赤の後ろにある、黒い頭に向かって言った。


「つまり、葉脈ごと細胞を凍らせてしまえば、敵じゃない。だって、寿途の中には、六合(りくごう)()るわけじゃないからね。翔を相手にするのとは、わけが違う」


 千晶は元々上がり気味の真っ赤な眼を更に鋭くし、洋介を睨む。


「どういう事よ。寿君の式神は、六合の筈……現に、寿君は樹木を操れるでしょ……?」


 千晶の発言に驚いたのは、洋介だ。タレた目を一頻(ひとしき)りしばたたせ、笑い出した。


「はははははは! ウソだろ? 知らなかったのかい? はっははははは、笑わせないでよ! 千晶はほんと、面白いなぁ!」


 腹を抱えて笑う洋介の目には、涙まで浮かんでいる。

 千晶は後ろに居る寿途に、本当なの? と訊いた。寿途はいつものように表情らしい表情の無い顔で、頷く。


「ぼくの中にあるのは、六合の、さいぼう……いでんし。だから、植物があやつれる……」


 元々明るい顔ではないが、少し、寿途の顔が曇った。


「……ぼく、失敗した?」


 もっと早く伝えるべきだったのか、という意味を込めて、寿途は首を傾げる。それに対する千晶の答えは、


「いいえ。そうよね。訊かれなければ、答えなくていいわ。あたしは訊かなかった。だから寿君は言わなかった。それだけ。だから、寿君は落ち込まなくていいの」


 寿途の頭に、ぽんと手を置き、千晶はにっこり笑う。寿途も笑い返した――ように、見える。そんな二人の間を割いたのは床から突き出した氷柱(つらら)だった。

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