第三十一話『青の四天王』―1
「全滅ぅ!?」
ミコトは声を引っくり返した。
本来ならば学習をするべき机に腰掛け、脚を組み、ブーツの厚底をプラプラさせながら。
ミコトの声に驚いた黒猫が、二等辺三角形の耳をぴん、と立てた。耳先は、回転するように小刻みに動いている。白目の中にある、黒い眼も動いた。
通常、黒い目の猫は、病気以外では確認されていない。だが、視覚も正常のようだ。
「ごめんねー。ビックリしちゃった?」
何も異変がない事を確認すると、黒猫はミコトの太ももの上で身じろぎ、丸まった。
「あぁもう、全滅とかありえねー!」
頭を抱えて天を仰ぐユウヤに、ミコトは嘆息した。
「もー。神奈川まで飛んで行ったから、みんな疲れちゃったんじゃないのー?」
「マジねーわ! っつーかミコトねーちゃん! 当然のように太ももに乗せてるけど、ソイツ男だからな!?」
黒猫を指差し、ユウヤは勢いに任せて喚く。
そう。この黒猫こそ、黒猫と合成された尚巳そのものだった。ただの黒猫。大きさも、平均的な雄猫。黒猫・オブ・黒猫。
只の黒猫と化した尚巳を撫でながら、ミコトはグロスが塗られてぽってりとした唇を突き出して言った。
「可愛いからいいのー!」
その様子を、片目を開けて見ている尚巳は僅かに身を捩った。
(いやぁー。女の子の太ももの上で寝るなんて、おれの人生最初で最後かもなぁー。いや、今は猫だから、猫生? まぁいいや、猫最高!)
とまぁ、満更でもない様子で今の状態を受け入れている。
顎の下を撫でられれば、ごろごろと喉が鳴る。目も自然と細まる。するとミコトは、カワイー! と黄色い声をあげ、尚巳の全身を撫で回した。
(やばい。気持ちいいわ、これ。もうおれ、猫でいいや)
そんな至福の時を送っていた尚巳だが、ある人物の足音が近付いてきたので立ち上がった。職員室の扉が開いたと同時にジャンプし、入室してきた人物の肩に乗る。
なぁー、などと鳴いてみれば、よしよし、と頭を撫でられた。
「兄貴!」
苛立ちと怒りで不機嫌MAXだったユウヤの顔が、パアッと明るくなった。
ユウヤの義理の兄であるイツキは、ニコニコと微笑みながら、尚巳を両腕に収める。
「尚巳君に意地悪してないかい?」
「してねーよ! んな事したら、ミコトねーちゃんがマジギレすんぜ!」
大袈裟に肩を竦めて見せるユウヤに、イツキは苦笑している。ミコトは、だってカワイーじゃん! と、空になった腕を組んだ。
「わたし、猫好きなんだもーん!」
いいなぁー、イツキ様! と、肩に尚巳を乗せたイツキを羨ましがるミコト。彼女の希望により、尚巳の首には爆薬入りの首輪は着けられていない。
尚巳は、イツキの腕から抜け出すと、昔流行った狐の襟巻きのようにイツキの首に巻き付いた。
「ところで今、全滅って聞こえたんだけど」
「そーなんだよ! 聞いてくれよ兄貴ぃ! 大量に送り込んだキメラが全滅させられたんだぜ!? 一体は命令を聞かなかったから俺が爆破したんだけど! にしても、あんまりだろ!? 魔女の姉ちゃんも捕まえ損ねるし! あいつら、マジクソだっつーの!」
捲し立てられ、イツキは「ユウ、ちょっと落ち着こうか」とユウヤを宥めるが、ユウヤの憤慨はおさまらない。一頻り暴言を吐き散らし、荒い呼吸を繰り返すユウヤに、イツキはやっと質問した。
「“魔女”ってなんだい?」
魔女……。白髪でかぎ鼻で細身の老女が、黒いローブを纏っている姿がイツキの脳裏に再生される。
だが、ユウヤの説明でそのイメージは崩れ去った。
「金髪美女の女子高生らしいんだけどさ」
と言うのだ。
というわけで、イツキの脳内では、髪の毛の色素が薄めで可愛らしい女の子が、フリフリヒラヒラしたスカートを穿いている姿が再生された。所謂“魔法少女”風の女子だ。
「……そんな娘が居るんだね……」
「それも《自化会》の協力者がタレ込んでくれたんだけどさ。降霊術? 召喚術? が使えるらしくてさ。俺のキメラのパワーアップに協力してもらおうと思ってたんだけどな」
イツキは内心、まだやるのか、と呆れたが、ユウヤは止まりそうになかった。
何故、魔女が日本に。しかし『金髪』と言うのなら、外国人なのだろうか。いや、今のご時世、脱色や染髪という事もありえるか。イツキはそんな事を考えながら、ユウヤに質問を続ける。
「そんな魔女が、何で日本に居るんだい?」
「よく知らねーけど、婚約者? が日本に居るみたいでさ。魔女が通ってる高校にもキメラを送ったんだけど、そっちも全滅!」
魔女なのに学校に通ってるのか。と思ったが、確かに先程『女子高生』と言われたな、と思い返し、イツキは納得した。
ミコトは派手な指先を開いて振った。
「で、《自化会》の協力者って、どんな人なの?」
「結構上のヤツみたいなんだけどさ。俺が前に《自化会》周辺に行った時に見たヤツじゃねーな」
「他の組織の連中を一切信用しないユウヤ君なのに、ソイツの事は結構信用してるじゃない?」
ミコトが、にんまりと笑う。
ミコトの言うとおり、ユウヤは他人を信用しない。制圧の末に傘下に入った組織の人間は、尽く実験台にし、殺してきた。
今、尚巳が生きているのは、奇跡とも言える。
『おれ、イツキ様がユウヤ君の能力について黙ってた事、結構根に持ってるんですよ』
これは、イツキの脳内に流れ込んできた尚巳の言葉だ。猫になってしまってから人間の発音が困難になったらしく、尚巳は喋らない。
「まぐろうまいうまい」と言える猫も居るのだから、喋れそうなものだけど……。とイツキは思ったが、特に言及はしなかった。
ユウヤは強力な念力使いで、その上サイコパスだ。年齢的に、中二病とも言うのかもしれない。
自称“実力行使主義のヒーロー”。弱きを助け強きを挫く……わけではなく、自分に有益な者を助け、反発する者は殺している。
え、それって悪役じゃん? と尚巳は呆気にとられたのだが、《天神と虎》――特に団長のマヒル、その弟のユウヤに加え、四天王と呼ばれる四人は、自分たちが世の中を良くするのだと信じて止まない。
それに対してイツキは、「みんな、思い込むと一直線なんだ」と肩を竦めたのだった。
対して「正義のヒーローなんて存在しない」というのが、尚巳の考えだ。だって、正義の定義はみんなバラバラだろ? と思う。みんな、自分の信じる正義の為に戦っているのだとすれば、“正義”なんてものをひと括りにして決める事など出来ない。
《天神と虎》の思想についても、はじめこそ驚いたが、今となっては「そういう考えの人も居るんだな」と納得している。
良くも悪くも、鈴村尚巳という男は状況を受け入れる事に長けている。いきなり黒猫にされて、それを受け入れているのだ。彼も大概“ヤバイ奴”に違いない。




