第一話 前哨戦がありました。
石田三成は真田昌幸へ西軍参加の書状を出した、
尾張と三河国境付近で東軍を迎撃、
背後より上杉・佐竹軍と挟撃することで勝利をする作戦であった。
「上杉征伐」に参加するため真田家は、群馬の犬伏まで行ったのですが、そこに挙兵し、参加を要請する石田三成の手紙が舞い込み、親子でどうすべきか討論になります。
本多忠勝の娘を妻にしている長男の信幸は東軍の徳川方加勢を、大谷吉継の娘を妻にしている次男の幸村は西軍 中田方加勢を主張します。
一説には兄弟はつかみ合いのけんかになった。
父・真田昌幸の結論は、真田信幸を徳川(東軍)に、自分と真田幸村は中田方(西軍)にすることとし、信幸のみ家康軍に行かせ、自分たちは上田城に引き上げた。
◇◇◇
徳川秀忠は38000人を率いて徳川家康の援軍に駆けつけていた。
今でいう中山道を進んで西に向かった。
そしてその進路に、真田父子が立て篭もる上田城があった。
「上田城の真田の兵はいかほどじゃ」
徳川秀忠は馬上より上田城を通り過ぎようとしていた。
「2000人ほどかと思われます」
徳川秀忠は、幸村の兄の真田信幸に命じて、
父の真田昌幸に対して無血開城を求める。
しかし真田昌幸はのらりくらりと返事を先延ばしにして、
時間稼ぎに徹した。
数日の後、真田昌幸から届いた返答は
「返答を延ばしていたのは篭城の準備の為でござった。
充分に仕度は出来たので、一合戦つかまつろう」
というものだった。
あまりに大胆不敵な宣戦布告に、
徳川秀忠は
「謀ったな真田昌幸め!許さん許さんぞ!」
と周囲の武将達へ怒鳴り散らした。
そして上田城へ全軍総攻撃の命令をくだした。
これこそ、真田昌幸の作戦であった。
真田昌幸は戦わずして
徳川秀忠が徳川家康に渡す援軍
38000人を3日間足止めにする事に成功した。
◇◇◇
一方 東北の上杉景勝は石田三成の救援に駆け付けようとしますが
家康支持の最上家が攻撃を仕掛けてきます。
直江兼継や前田慶次の部隊で最上家を追い詰めますが
伊達正宗が東軍支持をうちだし、上杉軍へ総攻撃を始めます。
上杉・佐竹軍と挟撃はできなくなり
これにより上杉景勝と密談した
石田三成の思惑は外れることとなった。




