第四話 鷹狩りをしました。
左右に180cmのマッチョマン2人に挟まれて歩いている
僕は、知らない人がみれば、
どう見てもヤクザ屋さんの親分なわけで、
みんな避けて通り抜けたり、道端で平伏する人までいる。
(僕は、そんなに悪い人ではないんです。)
勝手について来た、宮本武蔵ですが体臭が半端なく臭い。
お風呂に入らない流儀だとかで、これも相手に勝つ作戦だそうだ。
身なりも汚いし髪もボサボサ。バッチィので近くに寄らないでくれー
僕はお腹がすいたので通りの飯屋に入った。
戦国時代、九州名物やっぱり馬刺しでしょう。
舌の上で、とろけるような馬のお刺身
あー美味しい。
店の中がなんか臭うぞ・・・
「クサインダヨお前!アッチイケヨ!!」
鼻をつまみあっちいけと手をバタバタする弥助
「うぬ!スキあり!うおりゃああ」
いきなり刀をを振り下ろす宮本武蔵。
「アブネエェナ!店でソンナ物騒なもの振り回すんジャネエヨ!」
「他のお客様に迷惑になりますんで・・・」
店主が出てきた。
「ミッチーお会計!おあいそ、勘定してー。」
(はぁーなんで僕はコントみたいな事してるの(ー ー;)
「宮本武蔵は二刀流ではなかったんですね?」
「二刀流とは何でござるか?教えてくだされ!」
「えっ!僕が教えちゃダメでしょ!!自分で開眼してよ!」
【二天一流】
宮本武蔵が晩年に熊本で完成させた兵法
武蔵は二刀流をたえず使っていたわけではなく
沢山の敵に囲まれたら脇差の刀も使った方が
いいでしょ。ようは使える物はなんでも使えという
考えだった。脇差もいざとなれば投げちゃうらしい。
◇◇◇
九州をほぼ回り僕は四国地方へやって来た
四国全土をほぼ長宗我部元親が納めている。
僕は鷹狩りに連れてかれた。行きたくないのに。
戦国時代、鷹狩りは
ゴルフ接待のようなものであります。
僕は長宗我部さんから鷹狩り接待を受けているわけです。
「獲物を捕らえる為に鷹を放つその一瞬の見切りが戦場勘を養う
そうは思わぬか!」
「えーその通り思います。」
「わしの自慢の鷹の翼を見ておくれ!どうじゃ
みごとであろう!」
「見事な翼でございますな・・・」
あれっ?!接待してもらってるの僕なのに
これは単なる自慢大会じゃない?
「獲物のとらえ方が的確というか賢いんでしょうね」
「中田殿は鷹の習性をよくわかっておるな!
この素晴らしき鷹は信長様より頂いたんじゃ」
(鷹の事なんか知りたくもないし知らんわ!
長宗我部さんと仲良くなったし次は上杉家か)
僕は中国地方のみかんを沢山お土産に頂き
家路につくのでした。
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【巌流島に宮本武蔵の名前がつけられていない伝説】
巌流島は元々は舟島と呼ばれる島だった。
それが佐々木小次郎が巌流(岩流)と名乗ったことから
巌流島になったと言われている。
しかし、普通であれば勝った方、宮本武蔵の名前が付けられるのが
通例である。何故つけられなかったのか、
実は気絶した小次郎に隠れていた武蔵の弟子たちが出て来て
複数の人数でトドメをさしたという説があるのだ。
嘘か誠かわからないが、このような噂が
たつということは、宮本武蔵は当時の人達に
かなり嫌われていたのかもしれない。
【佐々木小次郎は60歳のおじいさんだった?】
佐々木小次郎といえば面長の美青年で物干し竿という長剣を
燕斬りという上から斬り下ろした刀を下から跳ね上げる剣技
の使い手です。このイメージは宮本武蔵という小説から
きてます。
佐々木小次郎は巌流島の戦い時の年齢は60歳の
お爺さんだったとの説があるのです。
歌舞伎も老けた人が演じています。
そもそも宮本武蔵に関わる資料が自伝の二天一流に基づいており
60勝0敗の話も誰と戦ったのか詳しく記されていません。
佐々木小次郎は本当に現存していたのかという所まで、
突き詰めてしまえばなってしまうのです。
夢物語だったのか本当に戦ったのかわかりませんが
いつか真実が明かされる日が来るかもしれません。




