91 ユドミラ
「ユドミラ……!」
ケヴィンが急いでユドミラを抱き起こす。
悲壮感に沈んだ表情で、その白い顔を見つめる。
ユドミラは死んでいた。
顔や身体に傷はないが、息は完全に止まっている。ぐったりと投げ出された手足はまったく動かない。
(ケヴィンさん……)
名前を呼ぼうとするが、声が出ない。
全員を守るためとはいえ魔法を放ったのはリゼットだ。どんなふうに声をかければいいのか、思いもつかない。
「……すまん。礼を言うよ。こいつを人の姿に戻してやれた」
ケヴィンはユドミラを頭にそっと触れ、顔を上げずに言う。
「蘇生できるかもしれない」
「レオン――」
レオンハルトはリゼットに向けて小さく頷くと、ユドミラの前にしゃがみ、つぶさに様子を見る。
レオンハルトの蘇生魔法により、ユドミラの顔にみるみると血色が戻っていき、呼吸が再開される。
何度見ても奇跡的な光景だった。
「うっ……」
弱々しい声がかすかに零れ、閉ざされていた目が開いていく。
ただしそれは右目だけだった。失われていた左目までは戻らない。だが、赤い瞳の中には確かな命の輝きがあった。
「ユドミラ……!」
「……ケヴィン……? ふふ、私……暗闇の中で、光が見えた……」
ユドミラは小さく名前を呼び、再び瞼を下ろす。
「不思議……あんなに飢えていたのに……いまは満たされている……」
「あ、それはきっとラミ――むぐ」
ラミアの卵のおかげだろうと言おうとしたら、レオンハルトに口を塞がれる。
「聖女、さま……」
ユドミラはまるで夢を見ているかのように、か細い声でそう言って、眠りにつく。
記憶が錯乱しているようだが、呼吸は安定していて顔色もいい。命の心配はないだろう。
「ははっ……魔力も何もかも空っぽじゃねえか……相棒」
ケヴィンは手袋を脱ぎ、同じく手袋を脱がせたユドミラの手を握る。
じわりと、ゆっくりと、体温を分け合うように魔力がケヴィンからユドミラに移っていく。
レオンハルトが静かに声をかける。
「俺にできるのはここまでだ。地上に戻ったら、腕のいい回復術士を探すことだな」
ケヴィンはユドミラを抱えて、手を握りしめたまま、何度も頷いていた。感情が言葉にならないのだろう。その肩は震えている。
「すまん、どう礼をすればいいのか……」
「礼には及ばない。君たちのためにやったんじゃない」
レオンハルトが落ち着いた声で言うと、ケヴィンはまるで泣いているように喉の奥で笑う。
「……色々と、すまなかったな。ははっ、おれたちにはダンジョン探索は向いてなかったわ」
「なんなら向いてんだよ。審問官とやらも向いてなさそうだぜ」
「痛いとこつくよなあ」
ディーに言われ、ケヴィンは困ったように頭をかいた。
「おい、あれ――」
ディーが警戒心の強い声を上げる。指差した先――部屋の片隅には、階段があった。
闇の中に開いた魔物の口のように、ひっそりと。ぽっかりと。
「ここが底じゃねえってことか?」
「…………」
リゼットは階段を見つめ、そして決めた。
「――進みましょう。このまま引き下がれません」
そこにダンジョンがあるのならば最奥を目指すのが、冒険者の本能だ。
「万が一、帰還ゲートで外に出られない場合、またここに戻ってくるのも大変ですし」
あの帰還ゲートがどこに繋がっているかはわからない。都合よくダンジョンの外に繋がっているだろうか。もしそんなことがあったらとんだルール違反だが、ダンジョンを作った何者かの性格によっては充分ありえる。
ふりだしに戻る事だけは避けたい。
「まあこうなりゃ、深層のお宝でも手に入れないと割に合わねえけどよ……」
「――俺は、進みたい」
レオンハルトが剣の柄に手を置いたまま言う。
真剣な瞳は奥の階段を真っ直ぐに見据えている。冒険者のまなざしで。
「決まりですね」
「――意見はまとまったみてえだな。んじゃ、おれたちは戻るわ。このままだと足手まといだしな」
ケヴィンはそう言いながら、片手で器用にユドミラを背負った。
「帰還ゲートが作用しなくても、入口付近までには戻れるだろ。そこであんたらのクリアを待つさ」
「他力本願かよ」
「悪いね」
人懐っこく笑う。
憎めない、すっきりとした笑顔だった。
「う……」
ケヴィンの背中で、ユドミラが再び細い声を上げて重そうに瞼を開く。
「相棒、無理するな。しばらく寝とけ」
ケヴィンが肩越しに声をかけるが、ユドミラはまるで聞こえていないかのように、ぼんやりとした様子でケヴィンの背中から滑り落ちるように地面に降り立つ。
そしてそのまましゃがみ、地面に両手をつき、リゼットに向けて頭を垂れた。
「聖女様……」
「えっ? ……えぇっ?」
先ほどの言葉は聞き間違いではないらしい。
「数々の無礼、申し訳ありませんでした……この命をもって贖います――」
リゼットは慌てた。
さすがにいままででと態度が違いすぎる。
「ま、待って! 待ってください!! せっかくレオンが蘇生してくれたのですから、命を大切にしてください!」
リゼットを見上げる瞳は信奉者のそれで、刺すような敵意はもうどこにもない。
いったいユドミラは何を見て、どんな心境の変化があったのだろうか。
「なんて慈悲深い……」
「慈悲深いわけではありませんし、聖女でもありません! そう、私はただのモンスター料理愛好家です!!」
「それで名乗るのかよ……」
「リゼットらしいじゃないか」
ディーが呆れたように呟き、レオンハルトは笑っていた。
「モンスター料理……」
ユドミラが不思議そうにリゼットの言った言葉を繰り返す。
「――そうだ! ぜひユドミラさんも食べてみてください。そう、その方がいいです。体力をつけていかないといけませんし、食べられるときに食べておかないと!」





