190 アラクネのビスクスープ
地図を空白部分を埋めるように進んでいく。
道中で見えるドラゴンスタチューは遠くから魔法で破壊する。
リゼットは今度こそ調子に乗りすぎないように、仲間から離れないようにして慎重に進んでいく。
「なんだか、元気のない階層ですね」
リゼットの声が静寂の中に響く。
「ダンジョンに元気ってなんだよ。活気ならともかく」
「まあ、言いたいことはわかる。ここは特にモンスターの数が少なく、植物すら見かけない」
「はい。食べるものも全然見当たりません。キノコも、草も。人間もダンジョンも、元気がなければ何もできません」
「人間とダンジョンを一緒にすんなよ。元気満々のダンジョンとか嫌だよオレは」
レオンハルトが苦笑する。
「不思議なダンジョンのは確かだ。古いのか、新しいのかさえよくわからない」
「訪れる人がほとんどいないからでしょうか」
「まーダンジョンなんて、冒険者か罪人しか来ねえからな。ここは特に罪人だけだろーし」
進んでいくと、再び大聖堂のような大きな建物が現れる。
「……あの大聖堂に似ているけれど、別の建物だな」
大聖堂と同じような荘厳さと神聖さがあるが、形状はかなり違う。それには天を突くような高い塔が伸びていて、上の方には大きな鐘の姿が見えた。
「雰囲気や規模は似ていますが、描かれているのは竜の姿ばかりです。竜の神殿という感じですね」
レオンハルトは複雑そうな表情を浮かべながら、その神殿を見つめ続けた。
その時、地の底から響くような鳴き声が再び聞こえてきた。
「何の鳴き声でしょうか……レオン、わかりますか?」
「流石にモンスターの鳴き声までは学べていない……だが、この中から聞こえてきているのは間違いない。行こう」
重々しい扉を開き、竜の神殿の中に足を踏み入れる。
リゼットは灯火の魔法を使い、暗闇を照らした。内部は白い石造りで、あらゆるところに竜のデザインが施されている。
静寂の中に三人の足音が響く。
「何もいませんね」
「ああ。アンデッドでもいそうな雰囲気なんだが……」
「いないに越したことはねぇよ……」
その時、鐘の音が神殿全体と身体に響く。
「上の鐘楼の鐘でしょうか。誰が鳴らしているのでしょうね」
「……風だろ、風。もしくはなんかの仕掛けで動いてるんだろ」
風であれだけ大きな鐘が動くだろうか。
「ワイバーンか、他のモンスターがぶつかっているのかもしれないな」
先頭を歩くレオンハルトが、前の暗闇を見据えたまま言う。
神殿内部は構造的にシンプルだった。
地図を埋めていくと、やがて突き当りに扉が目の前に現れる。扉を開けると、四角い部屋と上への階段だけがあった。
階段を上っていく。
小休止を挟みながらしばらく上っていると、鐘の音が大きくなってくる。
やがて、広い部屋に出る。
高いところには大きな鐘が吊り下げられている。その鐘が、誰も触れていないのに一定のリズムで鳴り続けていた。
「何か、キラキラした糸のようなものが……」
「下手に触るなよ。アラクネ糸だ。こーいうのは他のトラップと繋がってるからな」
伸ばしかけていた手を引っ込める。
「派手に張りやがって。誘導かもしれねーから、どこもかしこも気をつけろ――」
その言葉が終わる前に、上から何かが飛んでくる。
勢いよく落ちてきた白い塊が気道を描き、べたべたとしたものが足にまとわりついた。
それは糸のように細いのに頑丈で、あっという間に動きが封じ込められる。リゼットだけではなくレオンハルトとディーも同じ状態だった。
顔を上げると、甘く腐ったようなにおいが鼻を掠める。
鐘の中から這い出してきた黒い大きな生き物が、空中を飛んでいた。
「ものすごく大きな蜘蛛がいます!」
鐘と同じぐらい大きな蜘蛛――暗青色と黒く輝く身体を持つ蜘蛛が、八本の足を使って、張り巡らされた糸を伝って移動している。そしてその蜘蛛の上には、白い肌の六つ目の女性が乗っていた。
――否、腰から下が融合していた。
「アラクネ本体だ!」
【鑑定】アラクネ。人型の女と蜘蛛の融合体。糸を操る能力を持つ。
アラクネの口から白い塊が吐き出される。
【火魔法(神級)】【敵味方識別】
「フレイムストーム!」
炎の嵐が渦を巻き、糸も鐘楼もアラクネも燃やし尽くす。
アラクネは燃える糸と炎から逃げようとしたが、逃げ切れずに燃えて落下した。
床に落ちてきたところを、レオンハルトが剣で斬る。
アラクネの身体が真っ二つになり、透明な液体を零しながら床に転がった。
その時、腹の下に抱えていたらしい白い袋が破れ、小さなアラクネが大量に飛散する。
「ぎゃああああああああ!!」
ディーの戦慄の叫びが響く。
【水魔法(神級)】【敵味方識別】
「フリーズストーム!!」
リゼットは自分たち以外のすべてを凍らせ、氷の世界を作り出す。
氷雪の嵐が収まった後には、ひんやりとした冷気だけが残っていた。
既に倒されていたアラクネは、その姿のまま転がっている。切り裂かれた腹部からは、透明な液体が零れ出していた。
「……糸の材料でしょうか。いえ、それよりも……」
リゼットは真っ二つになっているアラクネ本体の方に目を向ける。
「おい、まさか……これを食うのかよ?!」
「焼けた匂いはおいしそうですよ」
アラクネは魔法の火によって焼かれ、赤くなっている。
漂う香ばしい匂いは食欲を誘うものだ。
「いままであらゆるものを食べてきて、何を今更」
「ちょっとは躊躇しろ! 人型じゃねーかこれ!!」
「これは単なる擬態だ。それらしく見せているだけで、蜘蛛なのは間違いない」
「だからなんだってんだ! 蜘蛛も嫌だ!」
レオンハルトとディーが言い合っている中、リゼットはアラクネを見つめる。
「いままであらゆるものを食べてきました……どのモンスターも、予想もしなかった美味でした。モンスター料理たちは、私に前に進む力をくれました。どんな困難も乗り越える力を」
「ホントに正解だったのか? その出会い」
「そしてこのアラクネも、きっと私たちに力を与えてくれるでしょう」
「巻き込むな頼むから」
レオンハルトが笑いながら剣を抜く。
「まあいいじゃないか、食べてみよう」
「マジかよ……」
「解毒して、しっかり火を通せば大丈夫だ。いままでだってそうだっただろう?」
レオンハルトは言いつつ、アラクネの足を一本斬り落とす。
「なんて食べ応えのありそうな脚でしょう……まずは焼いて食べてみましょう」
浄化魔法をかけてから、足を一本取って魔法の火でしっかり熱を通す。赤くなった足を三等分ににして、外骨格である殻をむくと、滑らかな白い身が現れた。
リゼットは躊躇なく一口食べる。繊維質の身が、肉汁と共に口の中でほぐれていく。
「おいしい……!」
あまりの美味に、喜びの声が零れる。
「どこかで食べたことのあるような……宝箱ミミックに似ていますが……」
「……これは、カニだ!」
レオンハルトの確信を持った言葉に、リゼットは大きく頷いた。
「確かに、これはカニの味です! アラクネはカニの味……ダンジョンとはなんて神秘的なのでしょう。ふふっ、見かけもなんとなくミミックに似ていますね」
「変な共通点見出そうとしてんじゃねーよ……」
ディーがぶつぶつ言いながらアラクネの肉を食べる。そして敗北感に満ちた表情を浮かべる。
「……クソ、うめえ……」
「茹でてもおいしそうですね。焼きアラクネと、茹でアラクネと……そうだ、スープを作ってみたいです」
「じゃあ俺たちは解体して、足を茹でていこう。手伝えることがあったら言ってくれ」
リゼットは解体されたアラクネの足から身を取り出し、殻と身を分けていった。
野菜をみじん切りにし、鍋にバターを溶かして野菜とアラクネの殻を炒める。色づいたら、酒を加え、トマトを入れて潰す。
塩と香辛料で味を調え、弱火でしばらく煮込み、煮込んだスープを火からおろし、布巾でスープを濾す。ヘラで殻や野菜をすり潰しながら。
濾し終わったスープにアラクネの身を加えて煮て、別の鍋でアクリスのミルクにバターを溶かし、熱したものを加えて伸ばす。
最後に念のためユニコーンの角杖で一混ぜして解毒し、太陽のような赤いスープを器に盛る。
「できました! アラクネのビスクスープです!」
火を囲んで座り、茹でアラクネと一緒に食べていく。
一口飲み、リゼットは目を見開いた。とても濃厚で、クリーミー。心地よい温度に塩分に、アラクネと野菜の甘み。
「これは……アラクネの風味がたっぷりと感じられるスープだな」
「なんつーか、贅沢な味ってのはわかる……」
アラクネの肉の風味は驚くほどにカニに似ていて、繊細な甘さが野菜の旨味と完璧なバランスだった。
「幸せの味です……茹でたアラクネも、とてもおいしいです」
「アレがこんなにうまいなんてな……」
「ご存じですか? 蜘蛛の糸って食べられるんですよ。薬としても使えますし――」
「絶対ヤダ!!」





