187 ワイバーンの巣
――大空を、飛んでいる。
風を切って、力強く。世界の上を飛んでいる。
初めての飛行体験に、リゼットの胸は躍る。肩に食い込む爪の痛みも忘れるほど。
「――痛い痛い痛い」
獲物に対する慈悲はまったくないようで、ワイバーンの爪は容赦なく食い込む。頑丈な服のおかげで突き刺さることはなかったが、しっかりと掴まれているため痛い。
(それにしても、どこへ向かっているのかしら)
ワイバーンは脇目も振らずに一方向へ向かっているかのように思えた。
そして、遠くの建造物の屋根下に、大きな巣のようなものが見えてくる。ワイバーンの巣かもしれない。
(このままいけば、卵が手に入るかも? ――ワイバーンの卵。なんて興味深い)
卵は栄養がたっぷりだ。そして色んな料理に使える。オムレツ、プリン、フレンチトースト……ワイバーンの肉と合わせて料理するのもいいかもしれない。
考えているうちにどんどん巣へと近づいていく。
泥と枯草でつくられたような大きな巣では、ワイバーンの雛たちが大きく口を開けて、エサを口に入れてもらうのを待っていた。
「フレイムバースト!」
狙いを定め、巣を破壊する。
リゼットをつかんでいた親ワイバーンが、驚いたように高い声で鳴き、スピードを上げた。
リゼットをポイっと空中に放り出して。
「ウインドリフト」
慌てず風魔法で身体を包み込み、ゆっくりと着地する。
(風魔法にもだいぶ慣れてきたかも。これも、エルテリアさんが助けてくれたおかげね)
サポートを受けながら強力な風魔法の使い方を覚えたおかげで、かなり上達した気がする。
(ああ……またひとりになってしまいました)
リゼットが落とされたのは壁に囲まれた通路の一部で、辺りは不気味に静まり返っている。ドラゴンスタチューの石像もない。
あるのは壁と、地面と、わずかな草だけだ。
リゼットは壁をじっくりと見た。
自力で登れそうにはないが、土魔法を使って足場をつくれば余裕だろう。
高いところに上って、壁上から魔法を打ち上げれば、レオンハルトとディーにも見つけてもらえるはずだ。
(またワイバーンに攫われないように、気をつけておかないと)
土魔法で石の階段をつくった――そのときだった。
強い風音と、怒りに満ちた高い声。
戻ってきたワイバーンが、リゼットに向けて滑空してくる。
「フレイムランス!」
火焔の槍で迎え撃ち、貫き燃やす。
そして、燃えながら落ちてくるワイバーンを――
「フレイムバースト!」
破裂させ、勢いを殺し。
「アイスウォール!」
氷の壁を作って、破片を防ぐ。
少しの間、燃える破片が氷を叩く音が響き続けたが、ほどなく静かになる。
――戦闘終了。
ほっと気が緩んだ瞬間、リゼットは顔を顰めた。
「痛っ……」
肩――ワイバーンに爪でつかまれていた部分が、熱と痛みを放っていた。血が服の表面にまで滲んでいた。
リゼットは硬直した。
怪我をしたのが久しぶりすぎて、痛い上にどうしたらいいかわからない。
傷はいつもレオンハルトに回復魔法で治してもらっている。自分では怪我したことに気づかないときも、レオンハルトはいつもすぐに治してくれる。
だが、いまはひとりだ。
怪我をした時の処置は覚えている。とりあえず応急手当を――
その前に結界を張って、安全を確保しないと――
頭がくらくらとして、思考がうまくまとまらない。
(……もしかして、毒――?)
獲物を大人しくさせるために、爪に毒が仕込んであったのかもしれない。
リゼットは急いで浄化魔法を使う。体内に入った毒にまで効果があるかはわからないが、しないよりはいいだろう。
続けて結界魔法を使って、安全を確保する。そしてそのままリゼットは、むき出しの地面に倒れた。
土や石の感触がざらざらとするが、いまは何も気にならない。
全身に力が入らず、頭もぼんやりする。
(毒はたぶん、消えたはず……血も、そんなに出ていない……とにかく体力を回復させないと……)
横になって瞼を閉じ、傷口を両手で押さえて、ひたすらじっとする。
あとは自己治癒力が頼りだ。これまで食べてきたモンスター料理たちが、力になってくれるはず。
(情けない……)
まともに傷の手当てさえできない。
情けなくて、恥ずかしい。
早く立ち上がらないといけないのに。
(おふたりに何かあったら、私――)
リゼットはふらふらになりながら、アイテム鞄に手を伸ばした。
――やるべきことを、果たさなければ。
聖遺物を――『母神の右手』を取り出して、身体に取り込んで――……
その瞬間、目の前で炎が弾けた。
リゼットの内側から――熱くない炎が。
髪の一部が赤く燃えている。『火女神の髪』を取り込んだ場所が。
「ルルドゥ――?」
リゼットは困惑した。
どうして邪魔をされたのかわからない。
ルルドゥは、リゼットが神の一部を取り込んで、同化することを願っているはずなのに――……
なのに、ルルドゥは何も言わずに、赤い瞳でリゼットを見ている。
瞳の内側に炎を燃やしながら。それは憤りのようにも、悲しみのようにも見えた。
「リゼット!」
遠くからレオンハルトの声が強く響き、リゼットはびくっと身体を震わせた。
その瞬間、ルルドゥも姿を消す。
(私、いま何を――……)
手元のアイテム鞄をじっと見つめる。
いま、何をしようとしていたか。自分でもわからなくなる。
思考が引っ張られて、ほとんど無意識のうちに同化しようとしていた。
心臓が大きく脈を打ち、呼吸が浅くなる。
「リゼット、大丈夫か!」
レオンハルトの姿が見え、声が胸を叩く。
「レオン、ディー……」
二人とも無事なようだ。心から安堵する。
「派手にぶっ放してくれて助かったぜ」
すぐにレオンハルトにより回復魔法がかけられ、続いて解毒魔法を施され、身体が一気に楽になる。
「ありがとうございます」
「顔色が悪い。しばらく休んでいた方がいい」
広げた寝袋の上に横にさせられる。
リゼットはされるがままに任せた。
「前の食事から時間が開いている。何か作ろう」
「オイ、何か食いたいもんとかねぇのか」
ディーに問われ、リゼットは瞼を閉ざした。
「ごめんなさい……いま、食欲がなくて……」
ガチャン、と音がした方を見ると、顔面蒼白になったレオンハルトが持っていた鍋を落としていた。
「――リゼットに、食欲がないなんて……」
「本気でヤバくね?」
「……くそ、どうすれば……!」
「あの、大丈夫です。少しずつ楽になってきていますから」
リゼットの言葉にレオンハルトもディーも気が緩んだのか、肩の力が抜けた。
「いや、油断は禁物だ」
レオンハルトが顔を引き締め、鍋を拾い上げる。
――確かに、食事は大切だ。
食べられるときに、食べられるものを食べておかないと。ほんの少しだけでも。
「……では、あたたかいスープを作っていただけますか?」
「ああ」
リクエストをすると、レオンハルトはほっとしたように料理を始めた。





