115 好きな人
モンスター料理に胃も魔力も充分に満たされて、リゼットは寝袋に入って休んだ。
「――リゼット」
レオンハルトに軽く肩を叩かれ、潜めた声で名前を呼ばれて目が覚める。見張り交替の時間だ。
寝袋から起き上がると、まだ雨音が聞こえた。花畑には雨が降り続いている。
リゼットは何度か目を瞬かせる。深く眠っていた頭と身体は中々はっきりとしない。
「やっぱり、もう少し寝ていた方がいい」
「いえ、大丈夫です」
ディーを起こさないように声を潜めて答える。
睡眠時間は平等に取るべきだ。そのため蝋燭に等間隔に記しを入れて、そこまで燃えれば交替する方式を取っている。
とはいえこのままではすぐに眠ってしまいそうだ。それでは見張りにならない。
「――レオン、あの、少しだけいいですか」
「ん?」
眠気を覚ますためにも、そしてちょうどいい機会でもあった。少しだけ話したくて声をかける。レオンハルトも眠いだろうから手短に。
「……レオンに、ちゃんとお礼を言いたくて」
寝袋の上に座り、姿勢を正す。
レオンハルトは少し驚いたような顔で、リゼットを見ていた。
「最初のころ――あ、いえ、いまもですけれど、初心者で不慣れな私に、ダンジョンでのことや、色んなことを教えて下さってありがとうございます」
頭を下げる。
「私、このダンジョンで一人になったとき、改めて気づいたんです。レオンにたくさんのことを教わっていたことに。そして、ずっと助けられていたことに」
ノルンのダンジョンの中で、偶然出会って、ほぼ強引にパーティを組んでから、ずっと。
ダンジョンの知識は少しばかりあったが、祖母から聞いていた知識だけでは、自分一人の力だけでは、きっとどこかで死んでいた。いまごろダンジョンの土になっていたかもしれない。
リゼットはこれまで多くの人たちと出会い、助けられてきたが、一番力を貸してくれたのは間違いなくレオンハルトだ。ダンジョンのことも、モンスターのことも、世界の広さも、正義も、強さも。たくさんのことを彼から教わった。
「本当に、ありがとうございます。できたらこれからも――……い、いえなんでもありません……」
未来の話まで勢いでしそうになって、慌てて口をつぐむ。これから先のことまで求めるのは、あまりにも欲深い。
「……以上です。それでは後は任せてください。ゆっくり休んでくださいね」
静かに聞いていてくれていたレオンハルトに睡眠を促す。
だがレオンハルトはそのままの姿勢で、リゼットを見たままやわらかい微笑みを浮かべた。
「――リゼット。俺の方が、ずっと君に助けられている」
「そうでしょうか……なら、嬉しいです」
「うん。これからもよろしく」
笑った顔、やさしい声は、どんな不安も悩みも吹き飛ばしてくれる。
リゼットも笑って、頷いた。
「はい。よろしくお願いします」
未来のことを、これからの約束ができるのは、嬉しい。胸の奥があたたかくなる。
「そうだ。レオンの好きな人って、どんな人ですか?」
「…………っ」
レオンハルトはあからさまに動揺した。顔が強張り、身体が硬直している。
リゼットは慌てた。
「ご、ごめんなさい、ずっと気になってしまっていて。やっぱりいいです。おやすみなさい」
不躾な質問だった。プライベートに踏み込みすぎだ。深く反省し、早く見張りを交替しようとしたが、レオンハルトは動かなかった。
「…………」
「…………」
お互いに黙ったまま、動けないまま、身体は向き合っているのに視線は逸らしたまま、時間が経過していく。
なんてことを聞いてしまったのか。後悔しても遅すぎた。
「……すごく、前向きで」
長いような短いような沈黙のあと、レオンハルトが口を開く。
うつむき加減で、やや視線を逸らして。
「優しくて、芯が強くて……いつも、好きなことに一生懸命で――……」
途切れがちに話す。緊張した顔を、焚き火が赤く照らしていた。
その表情と、声と、言葉で。真剣に話してくれていることが伝わってきた。
リゼットの胸に痛みと寂しさが去来する。彼の想い人への気持ちが、とても純粋で真摯なものだと伝わってくるほど、胸の痛みは強くなる。
それと同時に、どこか安心したような気持ちも湧いてきた。もうこれ以上、不思議なざわめきに振り回されることはないのだ、と。
「――リゼット」
「は、はい」
緊張した声で名前を呼ばれ、顔を上げる。
みっともない顔をしているのではないかという不安は、目が合った瞬間にどこかに消える。
エメラルドグリーンの瞳にまっすぐに見つめられると、何も考えられなくなる。綺麗な色に吸い込まれそうになる。
心臓の鼓動が速まり、体温が上がる。
再び、互いに口を開かないまま時間だけが過ぎていく。沈黙も、ざわめきも、雨がすべてを飲み込んでいく。
「俺は――……」
バキッ、バキバキッ――
雨音を引き裂いて響いてきた破壊音。
壁に空いている物見の穴から、二人で並んで外を見る。
夜が来ない空の下と、深い森の間に、森の大樹より背丈の高い影が移動していた。
モンスターだ。
ゆっくりと歩く姿は巨人のように見える。相手はこちらには気づいていない。遠すぎるからか、リゼットの鑑定魔法が効かない。
「……あの巨体に、背の瘤……トロルか」
レオンハルトは、ゆらゆらと揺れる動きとシルエットだけで、どのモンスターかを推測する。さすがの知識だった。
「トロル……あれがこの階層のボスでしょうか」
「多分。次は向こうの方を探索してみよう」
「はい。それでは、見張りを交替しますね。おやすみなさい」
「あ、ああ……おやすみ」





