レディ・マーガレット
「さて、どうしたものかしら」
マーガレットの記憶を全て我が物にし、マーガレットの意思を脳幹の奥底に眠らせた胞子は、この惑星をいかに占領するかについての検討を開始した。
胞子にとって誤算だったのは、この惑星の食物連鎖の頂点に立つ「人間」が「超個体」であること。
超個体または群体とは高度に分業が進んだ社会集団を指し、集団から離れた個体は生命活動の維持が困難となる。
マザーが振り撒いた胞子たちが想定している「食物連鎖の頂点」とは、少数の頂上捕食者であり、胞子は少数の頂点者を支配することにより惑星の支配を成し遂げる。
ところがこの惑星においては食物連鎖の頂点にある人間の数は数十億を超える。
しかも単一の超個体で活動しているのではなく、マーガレットの記憶にあるだけでも150以上の国家という定義の超個体がそれぞれせめぎ合っているという。
それでもオスに寄生していれば、各超個体のメス数十人に毎日胞子力エネルギー入りの種を与えることにより、100日もあれば十分な支配力を構え、3000日もあれば各メスが生んだ混成種により加速度的に惑星支配を進めることができたであろう。
しかしメスの場合は、胞子力エネルギーは生命を含まない体液で与えるしかない。
それもマーガレットの記憶によれば、この惑星でごく一般的な体液授受はせいぜいが「キス」という唾液交換しかない。
血液や愛液、排泄物などを与えるなどの方法もないわけではないが、唾液交換と効率がほとんど変わらない上、前者は寄生した身体を損傷する恐れがあり、それ以外はこの身体が本能的に拒んでいるのが分かる。
「焦っても仕方がないわ。まずは手近なところから、徐々にしもべを育てるしかないようね」
胞子はマーガレットの声でそう呟くと、間もなくいつものようにやってくるであろう若い男性を第一のターゲットに定めることにした。
マンションのインターホンが鳴る。
続けて若い男性の声がスピーカー越しに響く。
「マーガレットさん、お迎えにあがりましたよ」
「すぐに行くわ」
今日は警察署長とのディナーの日。
彼はマーガレットを娘のように扱ってくれる。
彼女のためならば所轄の景観を総動員できるくらいには。
いつものように彼女を迎えに来た若手警察官である啓司圭君もその一人だ。
しかも彼は間違いなくマーガレットに「恋心」すなわち「つがい」となる欲望を向けていたのを彼女の記憶が認識している。
最初の下僕としては最適だ。
「お待たせ」
「いえいえ」
いつものように圭はマーガレットがドアを開けた先に、一歩引くようにして立っている。
そこに胞子はいつもよりももう一歩踏み出した。
「あ」
圭にとってはここは少女漫画の世界ですかと疑うほどのシチュエーションが展開される。
玄関先で躓いたマーガレットが思わず圭の胸元に飛び込んでしまう。
一瞬のことにどぎまぎしながらも「大丈夫ですかマーガレットさん」と胸元の彼女に目線を送ろうと首を前に倒す。
そこにマーガレットの上目遣いが見事にリンクした。
まさしく少女漫画。
圭とマーガレットの唇が偶然を装うかのように触れる。
同時に胞子はありったけの胞子エネルギーを唇を濡らす唾液に注ぎ込んだ。
その後のやりとりは普段と変わらない。
圭の野望が達成されたとは思えないほどに。
「お待たせ」
「いえ、レディ・マーガレット」
「レディ?」
「はい、レディ・マーガレット」
胞子はマーガレットの記憶を検索し、圭が半ば自主的に自身の下僕となったことに確信を持った。
彼女を「レディ」と自発的に呼んだことによって。
なので胞子は今後「レディ・マーガレット」と名乗ることに決めた。
圭の全身は一瞬だけ歓喜に包まれた。
だからつい、いつもはなるべく名前を呼ばないようにしていた金髪の美少女に呼び掛けてしまった。
「レディ・マーガレット」と。
すると彼女は彼にまさかの微笑みをくれた。
だから圭は決めた。
彼女は「レディ・マーガレット」だと。
その後圭はいつものようにマーガレットを署長が待つレストランに送り、彼女が食事を済ませるまで社内で待機していた。
しかし不思議と今日は、肩書だけの署長とレディ・マーガレットが二人きりで食事をしていることに対していつもの嫉妬心が湧いてこない。
それどころか彼は何の根拠もなく確信していた。
「俺はレディ・マーガレットにとって第一の下僕だ」と。
恐らくレディは今晩中に警察署長も彼女の下僕に加えるのであろう。
しかしそのとき、上位に位置するのは俺なのだ。
だから圭はレディ・マーガレットと唇を重ねたときに響いた言葉に満足しながら従うことにする。
「まずはこの超個体、すなわち日本国を破壊しなさい」という指令に。




