敵陣の探索
「朝食も身支度も済んだし……とりあえずは、『ウェディングドレスの修復待ち』――って事よね、ばあや?」
翌朝、窓越しに差し込む朝日に、目を細めながら、シャーロットが問いかけた。
奥方の間は屋敷の三階、東端に位置し、とても明るく居心地が良い。
「さようでございますね。はたして、元通りに出来るかは、神のみぞ知る――ですけど?」
にんまり……クリームをなめた猫のような、乳母の顔を見て、化粧台を整えていた孫娘のユナが、くすりと笑った。
昨夜、到着が予定よりも、はるかに遅れた理由を
『あれは、領地境の川を渡っていた時。いきなり、橋げたが崩れて――危うく馬車ごと、流されかけたんですよ! 衣装箱一つで済んだのは、不幸中の幸い……あいにく、半年がかりで仕立てた、花嫁衣裳が入った箱でしたけど』
遅れた理由は、こちらの不手際ではないと、初対面の執事と家政婦相手に、乳母は、涙ながらに、まくし立てた。
実際は、馬車の揺れで荷がゆるみ、運悪く衣装箱が、川に転げ落ちただけ。
「あれだけ、ドロドロに汚れたら、キレイにするのは至難のワザ。新しく作るとなれば、それだけ婚儀も遅れて――ついには、破談という事に!」
両家の婚約が決まって13年、しつこく結婚に反対していた乳母は、ほくほくと笑顔で、
「もうまもなく、こちらのメイド達が、荷解きの手伝いに来るそうですけど。お嬢様は、読書か――刺繍でも、なさいますか?」
「そうね。針箱は、見つかりそう?」
乳母に問いかけながら、さり気ない足取りで、扉に向かったシャーロットが、ユナに目で合図。
「お任せください! 確か、この下に……」
「ばあや、やっぱり――刺繍は中止」
「はい?」
「『敵陣の探索』に、変更します!」
胸元を白いレースで飾った、濃紺のドレス姿で、にっこり。
「荷解きの指揮、よろしくね?」
優雅に一礼したシャーロットは、駆け寄った侍女と、するりと部屋を出る。
「お待ちください! ばあやもご一緒に……‼」
荷物にうもれた、お目付け役の、あわてた声を背に。
すばやく扉を閉めた二人は、足音を忍ばせて、階下に向かった。
「のんびり座って、刺繍なんて無理! 『敵陣に潜入したときには、まず』」
「『逃走経路の確保』――ですよね?」
「まぁ、ご明察!」
思わず、目を見張った主に、
「ジェラルド様の講義、わたしも、聞いてましたから」
にっこり答えた侍女は、プリント柄のドレスに、レースのリボンを後ろに垂らした、白いキャップとエプロン姿。
きちんとまとめた、ベージュブラウンの髪と、緑がかったヘーゼルナッツの瞳に、よく似合っている。
「では、『何より大事な事』は?」
「「『食料の確保』‼」」
声をそろえて答えて、くすくすと笑いながら、廊下を進んでいたシャーロットの足が、広間の入口で、ぴたりと止まった。
暖炉の上にかけられた、大きな肖像画を見上げている、見慣れた後ろ姿。
「ジェル兄様っ……!」
いつもの軍服を着た、広い背中に呼びかけながら、子供のように走り寄る。
昨日一日、馬車に並走してくれてたのに、まだ半日も離れていないのに。
なんでこんなに懐かしくて、なんでこんなに、嬉しいんだろう。
「ん……?」
振り向いたジェラルドの右手には、分厚いハムとチーズを挟んだ、大きなパンのかたまり。
もぐもぐと口を動かし、ごくりと飲み込む。
「ロッティ――ここのパン、めちゃめちゃ美味いぞ!」
ハチミツをほおばる熊にも似た、幸せそうな笑顔に、ずっと張り詰めていた、シャーロットの心が、ほわりと、ほどけて行く。
大丈夫。
どこにいても、ジェル兄様は、ジェル兄様。
そして、わたくしも、わたくし。
「……さすが、ジェル兄様」
にっこり、見上げると
「お? おぉ――ほら、食べてみろ」
首をかしげながら、小さくちぎったカケラを、口元に運んでくれた。
あーんと、鳥のひなのように、貰ったパンを、シャーロットは、ゆっくり噛みしめる。
「本当――すごく香ばしい!」
あまり食欲が無かったので、朝食を、スープだけで済ませた事が、悔やまれるほど。
「だろ?」
「ふふっ……」
従兄弟の得意顔がおかしくて、思わず笑い声をあげたとき
こほんっ……分厚い絨毯に落ちた、咳払いのあとに、
「失礼……」
ためらいがちな声が、楽しそうに銀髪を揺らしていた、濃紺色の背中に届く。
はっと振り向けば
「……シャーロット嬢」
広間の入口で、この屋敷の主が
「ウィルフレッド様……!」
どこか見えない場所に傷を負った、手負いの獣の瞳で、たたずんでいた。




