女神の前髪4
「10分だけ――ソフィーさんと、二人だけでお話させて」
という、母親からの『お願い』。
「さっきあんなに、失礼な事を言ったばかりで……ダメに決まってるでしょう!?」
ばっさりと断ったイーサンに
「イーサン様、わたしは大丈夫です!」
きっぱりと、ソフィー先生は頷いた。
「母上、くれぐれも言葉に気を付けて……また先生を傷つける様な事を言ったら、許しませんよ!」
しつこく念を押す息子に
「はいはい。ほら早く行きなさい」
ひらりと手を振る、公爵夫人。
心配そうに何度も振り返りながらイーサンは、四阿の奥に建つ温室へと、アナベラ達を案内した。
「ふふん――考えたわね? あそこならガラス越しに、こちらの様子が丸見えだもの」
温室を横目に呟いてから、向き直り
「ごめんなさい、ソフィーさん。いきなりこんなお願いをして」
謝罪をするレディ・ウルフ。
「『イーサンがレディ一行を招待した』って執事から聞いて、今日出かける予定を、急いで取りやめたの。
だってあの子が初めて、この屋敷に招待するくらい、大切に想っているレディ……何としても、お会いしたかったんですもの!」
大興奮のレディ・ウルフに、
「あの――確かに、ご招待は受けましたけど……それは公爵夫人が、思ってらっしゃる様な事では」
レディ・セロウは、困り顔で微笑んで、
「今日のご招待は、珍しい『ライラックの木』を見せて頂くのが目的。それ以外の理由はございません!」
きっぱりと言い切った。
「なるほど……?」
イーサンのグラスから、アイスティーをひと口飲んだ公爵夫人が、フルートグラス越しに先生を見つめる。
「話は変わるけど、ソフィーさん? 今あなたが着ているステキなドレス――それはシャーロットから、借りた物でしょう?」
「あっ……はい! 実は、ご招待にふさわしいドレスが無くて。シャーロット様のご厚意に、つい甘えてしまいました」
『借り物』と見抜かれた事に驚いて、恥ずかしそうに答えると、
「違うわ!」
即座に、否定の言葉が返って来た。
「はい?」
「そのドレスはね、あそこから心配そうに見ている、『恋に狂った愚息』が、用意した物なのよ」
右手の親指で指す方向に、釣られて振り向けば、『愚息』ことイーサン・ウルフ次代公爵が、温室のガラスに張り付くように、こちらを窺っていた。
両隣には、アナベラとベティも心配そうに、張り付いている。
公爵夫人の説明によると、
「アナベラ達の助けを借りて、ギボン家の仕立て屋から、あなたのサイズを聞き出して。あなたに似合うデザインをシャーロット達と相談して、ウルフ家御用達のドレスメーカーに作らせた――という訳」
「何でわざわざ、そんな事を……!?」
「そうねぇ……もしイーサンがドレスを、直接プレゼントしてたら、あなた受け取った?」
「いいえ、受け取りません!」
こんな高価なドレス、受け取れるわけがない。
どんなに素敵な――こっそり何度も、鏡やガラスに映して見たくらい――気に入ったドレスでも。
「だから愚息なりに、知恵を絞ったのよ?
好きな女性に、ふさわしいドレスを、プレゼントしたい一心で。」
「好きって……イーサン様がわたしを!?」
「あら、気付かなかった? 全然?」
『はい』と答えようとして、ふいに、植物園での記憶が、頭を過る。
いつも優しい穏やかな瞳が、急に熱を帯びたように見えたこと。
手を取られ、その瞳で見下ろされて、なぜか心臓が高鳴ったこと。
ドギマギして目をそらした先に、パッピー・ライラックを見つけたこと。
それから先程の、上着を貸してくださった時も。
至近距離で上着を腰に巻いてもらって、恥ずかしさと嬉しさで、心が弾んだこと。
でも。
ほんわり頬を染めて考え込む、先生の様子をじっと見ていた夫人が、さり気なく声をかける。
「あなたは、どう? 息子の事を、好きかしら? 将来結婚を考えても、いいくらいに?」
「ムリです……。わたしに、公爵夫人なんて務まりません」
問われて力なく、ソフィー先生は、首を横に振った。
「あらっ、わたしが出来たんだから、大丈夫よ!
家の執事も家政婦も、あなたの事絶賛してたし。主人だって、絶対気に入るわ」
「でも、わたしは家庭教師で」
「わたしもよ。『元家庭教師』」
さらりと告げられて思わず、いかにも大貴族の奥方然とした優雅な姿を、上から下まで見直す。
「信じられませんっ……!」
「ふふっ……わたしも昔、貧乏伯爵だった父を亡くして、家庭教師の道を選んだの。
うるさい親戚からは、『金持ちの、訳あり貴族と結婚しろ』って、大反対されたけど!
とあるご令嬢を教えていた時、そのお兄様の友達と知り合って……それが、今の旦那様。ウルフ公爵よ」
「それで、ご結婚を?」
「最初はね、『無理です!』って断ったの、さっきのあなたみたいに。でもね……」
公爵夫人は、にんまりと微笑んで。
「ウルフ家の男性は、『外堀から埋める』のが得意なの。
気が付いたら、『無理だ』と思った障害を一つ一つ、取り除かれて……『イエス』と言うしかなかったのよ」
悪戯っぽく告げられた、まるで『おとぎ話』のような恋物語。
驚き過ぎて、言葉の出ないソフィー先生に、昔ユージェニー先生だったひとが尋ねる。
「ねぇソフィーさん、『幸運の女神』の話、聞いた事あるかしら?」
「『幸運の女神』ですか? いいえ」
いきなり話題が変わって、目をぱちくりさせる先生に、元先生が言葉を続けた。
「他国の神話によると、幸運の女神には、前髪しかないんですって」
「前髪しか……?」
「そう、だからすばやく掴まないと、するりと逃げてしまうの。
わたしは――ここだ!って時に、捕まえたわ」
得意げに、にこりと笑う元家庭教師。
「あなたは、どうかしら? 捕まえる用意は出来ていて?」
その言葉に、背中を押されるように、席を立ち。
ちょうど温室から出て来た一行に、ソフィーは歩み寄る。
「ソフィー先生! 大丈夫でしたか? 母が何か失礼を……!?」
焦った様子で、尋ねて来るイーサン。
いつもはぴしっと上げている銀色の前髪が、今日は柔らかく額に落ちて。
ピンクのつぼみを胸に挿し。
薔薇に紫陽花、ラベンダーにチドリソウ。
色とりどりの花壇を背に立つ姿は、まるで『おとぎ話の王子様』みたい。
寄せた眉の下に、黒スグリのような瞳。
心配そうに瞬く様が、兎穴のナツに似てる……。
思わず、くすりと微笑むと
「どうしました? どこかに珍しい植物が?」
きょろきょろと、辺りを見渡す次代公爵。
「いいえ、植物ではありません」
「では、何を?」
「わたしは今、イーサン・ウルフ様……あなたを見ておりました」
「はっ? えっ……!?」
うろたえて、大きな右手で口元を押さえる、イーサン。
その、みるみる赤く染まって行く、形の良い耳を見上げて
『わたしたった今、女神の前髪を捕まえたのかしら?』
ソフィー・セロウはにっこり、幸せそうに笑った。
『女神の前髪』完結しました。
植物オタクのソフィー先生と、外堀埋め士(本命には外堀から埋めるタイプ)のイーサン。
実は父親も『外堀埋め士』だった事が判明!笑
拙いお話ですが、二人の恋を、楽しんで頂けたら嬉しいです。
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感想もお待ちしております。
番外編も10まで来ました。
本編終了後も、引き続き読んでくださった、皆様のおかげです。
いつも本当にありがとうございます。
次回は、ちびっ子イーサンとジェル兄の、寄宿学校時代のお話を、予定しています。
また読んで頂けるように、頑張ります!




